10 同時多発※
「え~とですね。昨日、愛美さんに会ったんですよ」
いつものように私を指名してくれた美人さんと向かい合わせで床に座りながら、
今日はジェンガで遊んでいた。
ジェンガの一部分を引き抜く途中の美人さんの手が一瞬止まる。
「へぇ、で?」
「インフレイムに会うなと言われました」
「なに、そんな可愛いこと言ったのあいつ」
「ええ、可愛かったですよ」
「お前に聞いてねぇし。ほら次、さっさとやれよ」
ジェンガ順番を促されて、左右のバランスを確認しつつ狙う場所を決め、引き抜く。
少し揺れてしまったのにはひやりとしたが大丈夫そうだ。
なぜこんな修羅場のような話しをしようとしてる中でジェンガという神経をすり減らすための
遊びをしているのだろうか。チョイスを間違ってしまった。
こんな気まずい雰囲気は中2の修学旅行中、他人のパンツを廊下で拾ってしまったとき以来だ。
「それで、ですね。もう私を指名しないで頂きたいんですが……」
「…なにお前、妬いてんの?」
ふんと鼻で笑う美人さんの顔はとても楽しそうだった。
その表情がとても格好良かったので私はしいたけが食べたくなり、胃の辺りをさすった。
「愛美と一緒にお前もキープしといてやる。心配すんな」
珍しく私に優しく接してくれた美人さん。しかし言葉の内容が内容なだけに首をひねる。
今のは二股宣言なんだろうか。さすが美形。
まぁ相手は魔界の住人さんな訳だし、もしかしたら可笑しい事じゃないのかもしれない。
しかしそれではキャビアちゃんに申し訳が立たない。
「いやぁ、出来れば私はご遠慮したいです」
なぜ私はこんなド美人さんを振ろうとしてるんだろうか。
慣れぬ状況にお尻がかゆくなる。
ガシャ、という音と共にジェンガが崩れた。
美人さんが倒したらしいそれを凝視しながら、顔を上げることが出来ない自分を自覚する。
人に嫌われる瞬間ってのは何歳になってもきついもんだ。
「お前のくせに、俺に好かれるの嫌だとかぬかすわけ?」
「はぁ……要約すると、そうなりますな」
「じゃあもう生きてる価値無いじゃん」
「まぁ存在価値への見解は人それぞれかと…」
「他に言うことは?無いなら死ね」
ジリリ、と電話の鳴き声が突然部屋に響き、身体が硬直する。
美人さんはそんな音など知ったことかと言わんばかりに私を睨み付けていた。
部屋に備え付けの電話があるが、こちらから使うことはあってもかかって来る事はまず無い。
娼婦の予約はラミア店長が管理しているので本人に直にかける必要がないからだ。
なので余程の緊急性がない限り電話のベルが鳴ることは有り得ない。
ちょっとすみません、と美人さんに断り慌てて受話器を取った。
「はい、岸本……」
『ごめんね接客中に。悪いお知らせがあるの』
「店長、勘弁して下さい…。ただでさえ重苦しい雰囲気なのに」
『大丈夫。考えようによっては救いようのある話だから』
「なんですか?今美人さんがいらっしゃるので手短にし、いっ、た?!」
鋭い痛みを脇腹に感じてそこを見ると、美人さんの爪が喰い込んでいた。
反射的に振り返ろうとしたがそれは叶わなかった。
美人さんが近くに居すぎて身体が回せなかったからだ。
次に肩に痛みが走る。どうやら服越しに噛まれたらしい。がり、と特有の音がした。
「 」
小さな声で何か囁いた後、美人さんはさっさと部屋を出て行く。
乱暴に叩きつけられた扉はギィ、と鈍い悲鳴を上げ半開きになっていた。
「ちょっと!あの、美人さん!あの……っ」
『どうかした?』
「すみません後でかけ直しますんで、今は…」
『分かった。早めにお願いね』
受話器を置いて私も部屋を出る。
追いかけて何がどうなるという訳でもないが、今の別れ方はあまりに中途半端だ。
せめてばっさり切るか切られるかしたい。
廊下を突っ切って出入り口である門の前に来ると、不自然な人だかりが出来ていた。
そこの美人さんの見慣れた茶髪を見かけ人ごみを掻き分ける。
__が、そこで思わず立ち止まってしまった。
娼婦の紹介が張り出されているボードの所に、大きなサソリのような後姿があったからだ。
固そうな薄紫の甲羅に覆われた身体に大きなハサミ。
顔の部分だけは人間の男性のものだが、口が蟻の口と同じような形状だった。
そのグロテスクな様相にこの人だかりが意味するところを知る。
美人さんは、今からすぐ行けば追いつくだろうけれど、
(まぁ、でもなぁ…)
得体の知れない客を相手する人たちの恐怖も、
せっかくこの店へ来てくれたお客様をこんな妙な雰囲気の中に放って置くのも、
どちらも気が引けるし、宜しくない。
人間が幸せに生きていくための方法は3つある。
①人に優しくあること
②人に優しくあること
③人に優しくあること
どこで聞いたか教わったのかもう忘れてしまったが、今ではこれが私のアイデンティティだ。
気を落ち着けるために小さく息を吐いて、サソリさんに近づく。
「誰かお目当ての子でもいるんですか?」
話しかけると、ゆっくりサソリさんはこちらを向いた。
ギチギチと口の辺りから音がする。
周りから小さな悲鳴がいくつか聞こえた。
「いやぁ、こーゆーとこ初めてなんすわぁ。どう選べば良いんかねぇ」
予想していたより、というよりも完全予想外な軽い口調にしばし唖然とする。
次第に変な嬉しさが込み上げ、「ぐふ」と笑い声が漏れた。
確かにグロい見た目であるが笑顔が柔らかくて印象が良い。
少しクセのある金髪も、なかなかに可愛らしく見えてきた。
「どんな感じの女子がお好みですかね、お客さん」
「そーね。ま、俺の話聞いてくれる子だったら誰でもってゆーか」
「じゃ私とかどーです?地味めですが、良い仕事しまっせ」
「そう?マジで?じゃあ俺の相手してくれる?可愛いおじょーさん」
「やだ紳士!私で良ければ何時間でもご一緒しますよぅ」
周りが、さっきとは別の意味で騒がしくなる。
私は自分の部屋へサソリさんを案内すべく、行く方向を指差しながら歩き出した。
美人さんのことは「さてどーしたものか」のままだが、明瞭な解決策があるわけでもない。
それにちょっと時間を置いたせいなのか、
今なら逆にあの別れ方の方が私が悪役っぽくて、良い終わり方かもしれないと思えてくる。
男女交際経験値が少ない私の意見なのでいまいち不安が残るが。
「俺の尻尾には触んなよ?毒があるからさぁ」
「了解でっす」
「他んとこは撫で回しても大丈夫。むしろハサミは俺のチャームポイントなんでお勧め」
「まじっすか。じゃ遠慮なく……ちぇりゃ!」
勢いよくがっさがさ撫でるとくすぐったいのか、サソリさんが楽しそうに笑う。
ごつごつした甲羅の感触を味わいつつ、キャビアちゃんには今日のことを報告すべきかどうか
ぼんやり考えた。