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第8話

 クエスト受諾の音が消えると同時に、視界の左下に小さな目的表示が追加された。


《目的:指定された資材を回収し、北区倉庫へ納品せよ》

《残り時間:23:59:48》


 数字が、秒単位で減っていく。

 ……うん。正規版でも、ちゃんと一日制限だ。


「で、どこ行くんだ?」

「街の外」

「え、もう?」

「もう」


 兄は一瞬、UIを二度見したあと、肩をすくめた。


「まあ、最初からダンジョン行くやつもいるしな」

「それはだいたい死ぬ奴だよ」

「縁起でもねぇな!」


 元気だな、と思う。

 この後一週間、ログインするたびにこのテンションが続くのだろうか。もしそうだとしたら、少し羨ましい。


 路地を抜けると、北門が見えた。

 衛兵NPCが二人、槍を持って立っている。

 プレイヤーが近づくたび、定型文で注意喚起を繰り返す仕様だ。


「街の外は危険です。十分な準備を――」


 声を背中で聞き流し、門をくぐる。


 外の空気は、街中よりもわずかに粗い。

 風があり、草の匂いがする。視界の奥には、なだらかな丘と、点在する木々。


 ――始まりの草原。


 β版で、嫌というほど歩いた場所だ。


 すでに何組かのプレイヤーが、スライム相手に右往左往している。

 剣を振り回して空振りし、魔法の詠唱が途中で途切れ、悲鳴が上がる。


「あ、スライム! 行こうぜ!」

「無視する」

「はぁ!?」


 兄が素っ頓狂な声を上げるが、私は進路を変えない。

 目的地は、さらに奥だ。


 小川を越え、丘を一つ越え、木立が少し密になる辺り。

 ミニマップの縁、ほとんど誰も踏み込まない位置。


「……なあ、本当に合ってるか?」

「合ってる」


 歩くこと、数分。


 倒木の影に、古びた木箱が三つ。その横に、半壊した荷車。

 私は一つ、木箱に手を伸ばす。


《資材箱(粗悪)》

《開封しますか?》


 「はい」


 箱が開き、中から木材と金属片が表示される。

 同時に、UIに小さな警告が出た。


《※重量制限に近づいています》


「うわ、重っ」


「だから、二人用」


 兄にも同じように箱を開けさせる。

 彼は半信半疑のまま、操作して――数秒後。


「……これ、意外と金になりそうじゃね?」

「うん」

「え、いくらくらい?」

「今は、まだ安い」

「今は?」


 私は答えず、最後の箱を確認する。

 その底に、ひっそりと混じっているもの。


《欠けた魔力結晶》


 表示を見た瞬間、内心で小さく息を吐く。


 ――あった。


 β版では、これが見つかる確率は三割。正規版では、少し下がっている。

 でも、ゼロじゃない。


「それ、何?」

「当たりの奴」

「え、ガチャかよ」


 否定はしない。

 …自分も原作を読んだときはそう思ったから。


 荷物を抱え、来た道を戻る。途中、モンスターが寄ってくるが、最低限だけ対処する。


 兄の剣は、まだぎこちない。

 でも、β版よりはマシだ。


 ――明らかにゲームの性能が上がっている。それこそ、()()()()()()()()()()()()()に。


 街に戻る頃には、空の色が少しだけ変わっていた。

 ログインしてから、現実で言えば一時間ほど。


 北区倉庫は、街の端にある。

 NPCの数も少なく、薄暗い。


 受付の老人に話しかけ、資材を渡す。


《クエスト完了》


 軽い音。そして、表示。


《報酬:300G》

《ボーナス報酬:欠けた魔力結晶 ×1》


「……三百?」

「初日なら、十分」

「え、でもさ――」


 兄が言いかけて、UIを見て固まる。


「……これ、売値……」


 彼の視線の先。結晶の簡易説明欄。


《NPC買取価格:5,000G》


「…なッ」


「静かに」


 周囲には、他にもプレイヤーがいる。まだ気づいていないだけだ。

 私は兄にだけ、小さく言う。


「今日は、これをもう二回やる」

「……マジで?」

「うん」

「で、明日は?」

「市場が荒れる前に、換金」


 兄は、しばらく黙っていたが――。


「……なあ」

「なに?」

「お前、もしかしてさ」


 少しだけ、声を潜める。


「このゲーム、めちゃくちゃ詳しい?」


 私は一拍置いて、笑って答えた。


「ふふ、今更気づいたの?」


 兄は少し口の端を引きつらせて笑った。


「はは……心強すぎだろ」


 その時、私はUIの端にまた走った微細な遅延を見逃さなかった。


 0.4秒。


 少しずつ、確実に、増えている。


 金は稼げる。

 準備も、できる。


 でも――この世界が壊れる速度だけは、私にも止められないな。

 そう思いながら、私は次のクエスト共有ボタンを押した。


《共有クエストを受諾しますか?》


「……もう拒否権ない感じ?」

「最初からないけど」

「だよなぁ」


 兄は観念したように承認する。

 軽い電子音が二つ重なり、クエストログが更新された。


《単発資材運搬依頼(2/3)》

《目的:指定された資材を回収し、北区倉庫へ納品せよ》


「同じのがまた出てきた……」

「条件が違う」

「どこが?」

「場所と、敵の湧き」


 兄は一瞬きょとんとした顔をして、それからマップを開いた。


「……あ、ちょっと遠いな」

「でも、競合がいないから」


 人は、目に見える報酬に集まる。

 地味で、遠くて、説明も雑な依頼には寄りつかない。


 だから、初日だけは――穴になる。


「じゃ、行くか」


「うん」


 再び北門を抜ける。

 さっきよりも、外に出るプレイヤーが増えていた。

 掲示板が、初見の悲鳴と自慢で流れていく。


《初スライム撃破!》

《MP足りないんだけど!?》

《誰か回復くれ!》


 ……まだ、平和だ。


 二回目の目的地は、草原のさらに北。

 地形が少し歪み、岩が露出しているエリア。


 兄が。


「……ここ、敵いない?」

「今は、いない」

「今は?」

「今は」


 嫌な言葉だよね、と自分でも思う。


 岩陰に、例の荷車。今度は箱が四つ。私は周囲を確認し、兄に合図する。


「開ける前に、武器構えて」

「了解」


 兄が剣を抜いた、その瞬間。


 地面が、わずかに揺れた。

 砂利が跳ね、低い唸り声。


「え、なに――」

「来る」


 地面が割れ、土の中から這い出してきたのは、犬ほどの大きさの魔獣。

 土色の体毛、赤い目。


《モールハウンド》


 β版より、はるかに動きが滑らかだ。


「うわっ、速っ!?」

「右、来る!」


 私は距離を取り、最低限の【聖魔法】の支援を飛ばす。

 天使には最初から【聖魔法】が基礎スキルとして所持していたから助かった。


 兄が反応しきれず、かすめられる。


《HP -12》


「いってぇ!」

「落ち着いて。突進は三回までだから」

「なんで回数知ってんだよ!」


 答える余裕はない。兄の三撃目を誘導し、隙を作る。


「今!」

「おおっ!」


 剣が首元に入り、魔獣が倒れる。光の粒子になって消えた。

 一瞬の静寂。


「……はぁ……はぁ……」


 兄が息をつく。


「なあ」

「なに?」

「これ、本当に初日か?」

「初日だよ」


 ドロップは、牙と皮。悪くない。


 箱を開ける。

 資材。

 そして――。


《欠けた魔力結晶》


「……また?」

「うん」

「え、確率どうなってんの?」


 私は少し考えてから、答えた。


「偏りがある」

「ガチャの言い訳じゃねぇか!」


 否定はしない。


 三度目は、夕方になってからだった。

 同じルートを、同じ手順で。


 その頃には、掲示板が少しざわつき始めていた。


《なんか北区倉庫の依頼、金良くない?》

《魔力結晶出たんだけどw》

《え、それマジ?》


 ……気づかれ始めた。


「そろそろ、終わりだね」

「だな……」


 三回目の報酬を受け取り、私たちは倉庫を出る。

 兄の所持金表示。


《所持金:15,900G》


「……初日で?」

「初日だから」


 兄はしばらく黙り込み、やがて苦笑した。


「お前さ」

「なに?」

「これ、知識ってレベルじゃないだろ」


 私は空を見上げる。ゲーム内の夕焼けは、やけにリアルだ。


「……β版…してたんだよね」

「は?」


 兄が固まる。


「お前、受かってたのか!?」

「まぁ、学校の奴でちょっと」


 説明する気はない。

 本当のことを全部話すには時間が足りない。


 それに――。


 視界の端、また遅延。

 今度は、0.6秒。


 世界が、ほんの一瞬、コマ落ちした。


 誰も気づかない。兄も、街の人も。

 でも、私は知っている。

 この程度の歪みが、やがて「日常」になることを。


「今日は、ここまで」

「珍しく早いな」

「疲れたから」

「……るーちゃんが言うと、嘘っぽいな」


 否定しない。


「るーちゃんって呼ばないで」


 ログアウトの操作をする直前、私は兄にだけ言った。


「兄さん」

「ん?」

「明日から、忙しくなるよ」

「攻略で?」


「……それだけなら、よかったんだけどね」


 ログアウト。視界が、暗転した。

 現実の天井が、視界に入る。


 心拍数は、少しだけ高かった。


 初日は、無事に終わった。

 ――無事なまま終われたのは、たぶん今日までだ。


 リアルの方も、これから忙しくなる。

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