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第3話

 始まりの街は、思っていたよりも騒がしい。

 ログイン直後のプレイヤーが行き交い、あちこちでシステムメッセージの効果音が鳴っている。

 その雑音を背に、私は街の中央へと向かった。


 白石で舗装された道の先、ひときわ背の高い建物が視界に入る。

 簡素だが威圧感のある、無駄のない石造り。


 ――教会。


 尖塔は空に向かって伸び、鐘楼には小さな鐘が吊られている。

 鳴り響くことはないが、存在そのものがここは特別だと主張している。


 この世界において、信仰は必須ではない。

 だが、それでも教会は削除されなかった。


 理由は一つ。

 ここが、世界設定の接合部だからだ。


 私は扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。

 軋む音はなく、扉は静かに内側へと滑った。


 空気が変わる。


 一歩足を踏み入れた瞬間、街の喧騒が完全に遮断された。

 音が消えたわけではない。だが、外界との距離が一気に引き伸ばされたような感覚があった。


 悪魔だからか、入った瞬間から身体の内側から焼けるような感覚がする。


 天井は高い。

 想像していたよりもずっと。


 梁が露出した構造で、白い石材が組み上げられている。豪奢な装飾はないが、削り出しの精度が異様に高い。

 壁面には細い溝が規則正しく刻まれており、そこに淡い光が流れている。


 照明だ。

 魔術と技術の中間のような、直接的な光源を感じさせない照明。


 床は磨き上げられた石。

 歩くと、足音が静かに反響する。


 左右には長椅子が並び、奥へと視線を誘導する配置。その先、教会の最奥には祭壇がある。

 だが、そこへ至るまでの空間がやけに広い。


 視界の端に、NPCの存在を感じる。


 修道服を纏った男女が数人。

 だが、彼らは近づいてこない。

 こちらを見てはいるが、干渉する気配はない。


 教会内部をもう一度、ゆっくりと見渡す。


 ステンドグラスは、外から見たよりも色が抑えられている。赤や青、緑は淡く、全体として白に溶け込むような配色だ。


 描かれているのは神話的な戦いや奇跡ではない。

 人が祈り、人が迷い、人が選択する場面ばかりだ。


 ――英雄はいない。


 それが、この教会の最大の特徴だった。

 神を称える場所でありながら、神の姿はどこにもない。

 あるのは、人の営みだけだ。


 視線を巡らせていると、祭壇とは別に、壁際に控えめな扉があることに気づいた。

 大きさは人が一人入るかはいらないか程度、装飾はほとんどなく、取っ手も簡素だ。


 ――懺悔室。


 原作では、名前だけが一度出てきた。

 説明もなくイベントとして扱われることもない。まぁ、《《リアルに定着》》してからは別なんだけど。


 だけど、私は知っている。

 ゲーム内でここだけが「表の導線から外れた、裏の入口」だということを。


 原作知識がなければ、まず入らない。

 というか、普通に考えたら序盤に入る場所じゃない。


 βテスト中のこの時間帯、教会にいるプレイヤーは数人だけ。

 しかも皆、ステータス確認だのスクショだのに夢中で、私の行動には一切興味がない。


 よし、視線はない。


 私は自然な動作で扉に近づき、静かに押し開けた。


 中は狭い。

 長椅子が一つ、向かい合う形で小さな格子窓がある。

 天井は低く、外の広がりが嘘のように閉じた空間だ。


 扉が閉まると音はさらに削ぎ落とされた。足音も、衣擦れの音も、吸い込まれる。


 ここには照明らしい照明がない。だが暗くはない。

 壁そのものが、ぼんやりと白く発光している。


 私は腰を下ろさない。立ったまま、正面の格子を見つめる。


 何も表示されない。

 クエストログも、選択肢も、案内文も。


 ――原作通りのだな。


 しばらくすると、胸の奥がわずかに熱を帯びる。

 教会に入った瞬間から感じていた、悪魔としての違和感が、ここではより明確になる。


 …これ以上はスリップダメージが出始める頃合いだ。

 早く準備を進めないと。


 私は覚悟を決めて、小さく息を吸った。


 そして――歌い始める。


 「♪――……」


 旋律は単純。

 子守歌のように単調で、起伏がない。


 歌詞も、ひどく陳腐だ。


 神を讃え、光を仰ぎ、迷える魂が救われる。

 比喩はありふれ、言葉選びも雑。

 正直、作者が締切前日に適当にでっち上げたと言われた方が納得できる出来だ。


 ――これで天使になれる?

 

 内心で、思わず笑いそうになる。

 世界観的に見ても安直すぎる。悪魔が、歌を歌っただけで天使に変わるなんて。


 だけど、私は知っている。


 この歌が、設定上「いにしえの聖歌」と呼ばれていることを。

 そして、この世界が意味よりも条件を重視する設計であることを。


 音程を外さない。

 感情を込めすぎない。

 淡々と、最後まで歌い切る。


 ――これ、もし失敗したらただの痛い悪魔だよな。


 そう思いながら歌い終えた瞬間。

 懺悔室の空気が、わずかに揺れた。


 壁の光が強まり、白が白ではなくなる。暖かく、柔らかく、包み込むような光へと昇華する。


 胸の奥にあった、あの異物感――悪魔特有のもう一つの核が、静かに解けていく。


 痛みはない。

 苦しみもない。


 ただ、重さが消える。

 代わりに、背中に軽さが生まれた。肩甲骨の奥が、じんわりと熱を持つ。


 視界の端に、遅れてシステムログが浮かんだ。


《種族条件を満たしました》


《隠し進化ルートを確認》


《種族が変更されます》


 あまりにも事務的な表示に、思わず笑いそうになる。

 光が収まり、懺悔室は元の静けさを取り戻した。


 私は、ゆっくりと自分の手を見る。


 爪は、もう尖っていない。

 肌の感触も、先ほどとは違う。


 背中には、確かに何かがある。

 今はまだ、意識しなければ感じ取れない程度の存在感だけど。


 私は小さく息を吐いた。


 陳腐な歌。

 適当な歌詞。

 それでも、条件は満たされた。


 悪魔は去り、天使が残る。


 ……あほらし。


 私は扉に手をかけ、静かに懺悔室を出て再び教会の空気に身を晒した。


 誰も、自分のことになっていて気づいていない。

 悪魔が入って、天使が出てきたことを。


 私はその中を、特別な様子もなく歩き出した。


 神に祈ったわけでもない。

 信仰心が芽生えたわけでもない。


 ただ、歌った。

 その結果、天使になった。


 この世界は、やはり理不尽で、それでいて律儀だ。


 教会を出ると、街の喧騒が一気に戻ってきた。


 ログイン直後のプレイヤーたちは相変わらず忙しない。

 スキル説明を音読する声、ジャンプを繰り返す意味不明な動き、βテスト特有の浮ついた熱量。

 私はその中に自然に溶け込む。


 ……誰も気づかない。


 当然だ。

 原作において、天使はプレイヤー種族ではない。

 登場するのはNPCだけ。神の使い、世界観説明用の存在、イベント進行役。


 ――つまり。


 「プレイヤーが天使になる」前提そのものが、原作には存在しない。


 それを知っているのは、たぶん極少数だ。

 理由は単純で、この設定は作中には一切書かれていない。


 作者のSNS。しかも、連載が軌道に乗る前に投稿された設定資料集の一文。

 「悪魔系統には反転ルートが存在する」その補足として、さらっと添えられていた。


 ――懺悔室、いにしえの聖歌、条件一致で天使化。


 深掘りなし、説明なしのノリで書いたとしか思えない文章。


 ファンの間でも「没設定だろ」「さすがに使われない」と流されていた部分だ。


 実際、原作本編では一度も使われなかった。


 ……問題ない。

 背中に意識を向けると確かにある。だが、今はまだ小さい。


 肩甲骨の少し外側。

 存在を主張するには遠慮がちすぎるサイズの羽。


 ――これなら、今はまだ人にバレない。


 原作知識では、天使化直後の羽は「未成熟」扱いだ。見た目は飾りに近く、衣服の下に収まる。

 成長条件を満たした瞬間に、自己主張を始める。

 だからこそ、その前にやることがある。


 私は視線を巡らせ、露店の並ぶ通りへ向かった。

 始まりの街のマーケットは、実用重視だ。豪華な装備はないが、生活用品と初期防具は一通り揃っている。


 βテストだからか、店主NPCのテンションが若干低い。

 台詞が短く、愛想も最低限。


 ちょうどいい。

 私が探しているのは、性能じゃない。


 ローブだ。

 背中まで覆える、フード付き、布は厚すぎず、軽いもの。

 羽が成長するまでの、応急処置だ。


 露店をいくつか見て回る。


 革鎧。却下。肩当て付き。論外。背中が開いてるタイプ…正気か?


 ……あった。


 地味な灰色のローブ。

 装飾もなく、防御力はお察し。


 だが、背中まできっちり覆う設計でフードも深い。


 「これをください」


 NPCは一瞬だけ私を見て、無言でウィンドウを出した。


《【粗布のローブ】価格:500G》


 すぐに購入して、その場で装備する。


 ローブが身体に馴染むと、背中の違和感がさらに薄れた。羽は完全に布の内側だ。

 意識して動かさなければ、存在に気づくことはない。


 私は軽く肩を回す。

 問題なし。


 周囲のプレイヤーは、誰一人こちらを見ていない。天使が市場を歩いていることなんて、知る由もない。

 そもそも――「天使はNPCしか出ない」それが、この世界の常識だ。


 私はフードを被り、人混みに紛れる。


 原作にいない存在として、作者が忘れた設定を拾っただけの異物として。


 とりあえずは、準備段階。


 羽が育つ前に、やることは多い。

 何せ、この世界が()()()()()()()()間に、全て済ませなくてはいけないんだから。

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