第16話
一方その頃。
噴水広場の角を曲がったところで、俺は大きく息を吸った。
「ふー……」
夜のミズガルズは、いい。
昼より少し冷えた空気。石畳に反射する松明の光。人の声が遠くで混ざり合って、街全体がゆっくり呼吸している感じがする。
妹と別れて、ほんの数分。
なのに、もう一人で動くことが当たり前みたいに身体が馴染んでいた。
「街を見る、ねぇ」
思わず苦笑する。
あいつの言う「街を見る」は、絶対に観光じゃないよな。
最近のあいつは、少しおかしい。
妙に変な場所に行く。
誰も触らないものを触る。
誰も気にしない違和感を拾う。
そういうタイプになってきている。
でもまあ、俺は俺でいい。難しいことは考えず、今はこの世界を楽しみたい。
……それが、妹にはできないことだから。
噴水の水音を背に、冒険者ギルドへ向かう。
人の流れに逆らわず、自然に足が前へ出る。
ギルドの建物が見えてきた。
大きな扉、石造りの壁、入り口に掲げられた紋章。
「……毎回思うけど、無駄に本格的だよな」
ただのゲームのはずなのに、建築の情報量が多すぎる。
石の欠け方、補修の跡、長年使われてきたみたいな質感。
扉を押すと、どっと音が押し寄せてきた。
金属音。
笑い声。
クエストの内容を読み上げる声。
酒場スペースから漂う、肉と酒の匂いまでリアルだ。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
昨日より、人が多い。確実に増えている。
みんなもう慣れてきている。立ち振る舞いが昨日より自然だ。
カウンター前に立ち、UIを開く。
《環境同期率:5%》
「……あ、同じか」
妹と同じ数字。
というか、周囲を見ても、誰もが同じ数値を表示している。
なるほど。個人差じゃなくて、世界全体の進行度みたいなものか。
「みんな一緒に沈んでいく感じだな、これ」
冗談半分で思う。不思議と、怖くはなかった。
それは妹が一緒だから、という前提の言葉だったからかもしれない。
俺の妹は、俺なんかよりもずっと正しくて、賢くて、何でも知っている目をしている。
……それが、兄として少し寂しいところもあるんだけどな。
掲示板に目をやる。
クエストの紙が、所狭しと貼られている。
討伐。
護衛。
採取。
内容は王道そのものだ。
知らない世界だからこそ、分かりやすいのがいい。強くなる理由も、目的も、全部シンプルだ。
「よし」
街道沿いの討伐クエストを一枚取る。
難易度は低め。
報酬はそこそこ。
こういうのでいい。
受付の女性NPCが、にこやかに頷く。
視線が合う。ちゃんと「人を見ている」感じがする。
「……いや、これNPCだよな?」
一瞬だけ、そんな疑問がよぎって、すぐに振り払う。
考えすぎだな。
ギルドを出ると、夜の街がさらに賑やかに見えた。
露店で立ち止まるプレイヤー。
路地裏で装備を確認するパーティ。
建物の壁にもたれて、チャットに集中している人。
みんな、それぞれ楽しんでいる。
「いいじゃん」
率直に、そう思った。
街の外へ向かう門の近くで、数人のプレイヤーが集まっている。
自然発生パーティだ。
「そのクエスト、俺も受けてます」
「じゃあ一緒に行きません?」
あっさり話がまとまる。こういう気軽さがいい。
門を出ると、空気が変わる。
土の匂い。
草の擦れる音。
街灯が減って、月明かりが主役になる。
「うわ、星やば……」
空を見上げると、星が多すぎて笑ってしまう。月なんか二つもある。
現実よりずっと多くて、ずっと綺麗だ。
この景色、妹も見ているのかな。
あいつは何か凄いものを手に入れてて、空なんてあんまり見ていないかもしれない。
これは兄としての勘だ。
戦闘が始まって、ゴブリンが草むらから飛び出してくる。
剣を振る。
当たる。
弾かれる。
ちゃんと手応えがある。
数値だけじゃなく、「当てた」感覚。
「ナイス!」
「後ろ回ります!」
声が飛んで、連携が決まる。
敵が倒れ、光の粒子が散る。
経験値ログが流れる。
《EXP +120》
「よっしゃ!」
思わず笑う。素直に楽しい。
妹の顔が浮かぶ。
今頃、どこかで一人、黙々と何かを見つけているんだろう。
俺には分からない何か。でも、それでいい。
俺はこうして、剣を振って、仲間と笑っていればいい。あいつは、あいつのやり方で世界を見ればいい。
「このゲーム、当たりだな」
誰かが言う。
俺も、迷わず頷く。
「うん、めっちゃ楽しい」
妹が言う、環境同期率がどうとか、侵食がどうとか。
正直、まだ実感はない。
でも。
今、この瞬間。
夜風を浴びて、剣を握って、知らない誰かと協力している。
……それだけで、十分だった。
戦闘が一段落し、俺はステータス画面を閉じようとして、ふと思い出した。
妹の同期率も、俺と同じ「5%」だったはずだ。
フレンドリストを開く。
名前が並ぶ中に、妹のタグがあった。
《プレイヤー:ルルーシア》
《環境同期率:5%》
――いつもの表示。
なのに、一瞬だけ文字が歪んだ。
《プレイヤー:ルルーシア》
《環境同期適合体:進行中》
「……は?」
目を瞬きした瞬間、表示は元に戻っていた。
錯覚か、ラグか、バグか。
「なんだ、びっくりさせんなよ……」
誰にも言わず、画面を閉じた。
始まったばかりのゲームだ。表示が乱れるくらいあるだろう。
そう思って、そのまま俺は次の敵に向かって走り出した。
夜のミズガルズは明るくて、賑やかで。
現実とは違うけど、ちゃんと居場所がある。
だから今は、難しいことは考えない。
いざという時、俺が妹を守れたら、それで良い。
それまでは、この世界を思いっきり楽しむ!
それでよかった……はずなんだけどなぁ。
「一体どうしてこうなった……」




