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第11話

 草原を進むにつれて、街の喧騒は背後に薄れていった。


 足元の草は、昨日よりも踏み応えがある。

 風が揺らすたび、葉擦れの音が細かく耳に届く。音量調整をいじっていないのに、環境音だけが妙にくっきりしている。


「……昨日、こんなにうるさかったっけ」


 兄が小声で言った。


「昨日は、人が少なかった」

「そういう問題か?」


 問題だと思う。

 プレイヤーが増えれば、世界は賑やかになる。

 それは普通のオンラインゲームなら、歓迎すべき変化だ。


 でも、このゲームでは――世界が賑やかになるという現象そのものが、進行度を示している。


 草原を抜け、小さな丘を越える。

 その先に、昨日はなかったはずのものが見えた。


「……あれ」


 兄が足を止める。


 簡素な木製の柵。

 その内側に、三軒ほどの建物が集まっている。畑らしき区画と、井戸。


 小さな集落。

 NPCの生活拠点だ。


「昨日、ここ通ったよな?」

「通ってない」

「いや、通ったと思うんだけど……」


 兄は首をひねる。

 記憶違いではない。昨日のマップデータには、この集落は存在しなかった。


 原作でも、この集落が出現するのは三日目。

 条件は「周辺エリアのプレイヤー滞在時間」と「討伐数」。

 ……条件、もう満たしてるのか。


 柵の近くに近づくと、NPCがこちらに気づいた。

 中年の男性。農夫風の服装。表情は穏やかだが、目の動きが妙に人間くさい。


「旅人かね?」


 NPCの声が、耳元で鳴る。

 距離感が、近い。


「はい」

「最近、この辺りは物騒でね。助けを求める者も多い」


 クエスト発生の前振りだ。


 視界の端で、クエスト通知が点滅する。

 でも、私はすぐに開かない。


「……兄さん」

「なに?」

「この集落、昨日はなかった」

「やっぱり?」

「うん。予定より早い」


 兄は一瞬、言葉を失った。


「予定って……」

「βの話」

「……ああ」


 彼は納得したようで、していない顔をする。それでも、ここまで来ると私の言うことを否定しない。

 NPCが、少し困ったように笑う。


「どうかしたのかね?」


 その笑顔を見て、胸の奥が少しざわついた。

 表情の作りが、昨日より滑らかだ。瞬きの間隔も、人間に近い。


 私は冷静を装って言う。


「いえ。クエストを確認します」


 UIを開く。


《クエスト:集落防衛》

 ・周辺の魔物を3体討伐

 ・報酬:銅貨、簡易装備、好感度


 ……初日ならともかく、二日目でこの表記は軽すぎる。


「やる?」

「やる」

「即答だな……」

「放置すると、次が重くなる」


 原作知識があるから言える台詞だ。

 この集落は、初期に介入しないと三日目に壊滅する。その結果、周辺エリアが危険地帯になる。

 ……もっとも。


 原作より進行が早いなら、壊滅も早まる可能性がある。


 集落の外れで、最初の魔物と遭遇した。

 ゴブリン。小柄で、錆びた短剣を持っている。


 兄が剣を構える。


「昨日より、動き速くないか?」

「速いね」


 ゴブリンが地面を蹴る。

 攻撃が、明確に狙ってくる。


 兄が弾き、私が横から短剣を入れる。

 手応えが、重い。


 血が飛ぶ。現実ではあり得ない量なのに、不快感が薄い。


「……慣れてきたな」


 兄が言う。


「慣れない方がいいよ」


 倒したゴブリンは、粒子になって消えた。だが、消えるまでの時間が、昨日より少し長い。

 残像が、視界に残る。


 ……現実側で、こんな残像は残らない。


 二体目、三体目も同様だった。

 討伐が終わる頃には、集落の空気が目に見えて和らいでいる。


 NPCたちが、こちらを見て微笑む。感謝の言葉。頭を下げる動作。

 その一つ一つが、妙に丁寧だ。


《クエスト達成》


 報酬ウィンドウが開く。


 銅貨。装備。好感度上昇。


「なあ、これで今日は終わり?」

「……いや」

「まだやるのか?」


「うん。確認したいことがある」

「何を?」


 私は集落の奥、井戸の方を見る。

 そこに、子供のNPCが立っていた。


 昨日、噴水にいた子供と、よく似ている。


「……NPCの挙動」

「そんなの、気にしてどうするんだ?」

「気にしないと、後で困る」


 子供のNPCが、こちらを見て微笑んだ。

 その笑顔は、昨日よりも少しだけ――こちらを理解しているように見えた。


 胸の奥が、ひやりと冷える。


 侵食は、もう始まっている。

 それも、思っていたよりずっと静かに、丁寧に。


 私は歩き出す。

 井戸に近づいた、その瞬間だった。


 ――キィン。


 耳鳴りとも、金属音とも違う、不快に澄んだ音が空気を裂いた。

 視界が、一斉に暗転する。


「……っ!?」


 反射的に足を止める。

 兄が何か叫んだが、言葉として認識できない。音が、距離を失っている。


 次の瞬間。


《――システムアナウンスを開始します》


 頭の中に、直接声が流れ込んできた。


 UI越しではない。

 スピーカーでもない。


 脳に、直接。


《インフィニット・オンラインをご利用の皆様へ》


 淡々とした、感情のない声。

 それが逆に、異様な圧を伴っている。


《現在、想定外の負荷増大を確認しました》


 ……想定外?

 原作では、この文言は存在しない。

 三日目の深夜、限定エリアでのみ流れる簡易警告が、最初の兆候だったはずだ。


 なのに。


《プレイヤー体験の最適化を目的として、段階的な環境同期を開始します》


 同期。

 その単語を認識した瞬間、背筋が凍った。


「……嘘」


 声が、震える。


《本同期は、現実環境とゲーム環境の感覚情報を一部共有します》


 ――始まっている。

 早すぎる!原作より、最低でも五日は早い。


《安全性は確認されています。安心してプレイをお楽しみください》


 安心。

 その言葉が、ひどく滑稽に聞こえた。


 暗転が解ける。


 草原が、戻ってくる。

 空の色、雲の流れ、風の匂い。


 ……匂い?

 私は、はっきりと息を吸った。


 草。

 土。

 遠くで燃えている木の、焦げた匂い。


 嗅覚の強度が、明らかに現実と同じだ。


「は、はや……」


 喉が引きつる。


「早すぎる、こんなの……二日目じゃない、まだ、ここは――」


 原作では、段階的同期は七日目。

 しかも、限定プレイヤーのみ。


 それが、全体アナウンス?

 しかも「安心して」?


 視界の端が、揺れる。

 UIが、勝手に半透明化する。


 ログアウトボタンを探す――見つからない。


「……消えてる」


 心拍数が、一気に跳ね上がる。


「おい、どうした!?」


 兄が、肩を掴んだ。

 その感触が、やけに生々しい。鎧越しなのに、指の圧が分かる。


「放して」

「無理だろ、今!」

「原作と違う……全部、違う……!」


 言葉が、早口になる。


「同期は七日目、しかも限定、段階調整ありで、こんなアナウンスはなくて、ログアウト制限ももっと後で――」


「落ち着け!」


 兄の声が、はっきりと耳に届く。

 両肩を、強く掴まれる。


「見ろ。ちゃんと立ってる。呼吸できてる」

「でも……!」

「俺も同じの聞いた。全員だ」


 ……全員?

 その一言で、思考が一瞬だけ止まる。


「お前だけじゃない」


 兄は、私の目をまっすぐ見る。


「原作がどうとか、今は関係ない。少なくとも今、この場でおかしくなってるのは――世界の方だ」


 世界。

 その言葉が、妙に現実味を持つ。


 周囲を見る。


 他のプレイヤーたちも、立ち止まっている。

 チャット欄が、高速で流れている。

 悲鳴、混乱、笑い声。


「リアルすぎだろ!」

「匂いするんだけど!?」

「これVRだよな!?」


 ……全員、同じ反応。

 私は、ようやく自分が過呼吸気味になっていることに気づいた。


「……っ」

「ほら、吸って。吐いて」


 兄が、ゆっくり手本を見せる。馬鹿みたいに落ち着いた動作。


 呼吸を合わせる。

 一回、二回。


 心臓の音が、少しずつ下がる。


「……ごめん」

「いいって。お前が一番詳しいんだろ?」


 兄は、苦笑した。


「だったらさ。想定外が来たなら、想定外として対処すればいい」


 簡単に言う。

 でも――それが、今は救いだった。


 私は、震える指でUIを確認する。

 ログアウトは、相変わらず見えない。


 代わりに、新しい表示が増えていた。


《環境同期率:3%》


 ……三日目の数値だ。


「……進みすぎだ」


 呟くと、兄が肩をすくめる。


「追い抜かれたな、お前の知識」

「笑えない」

「笑わないと、やってられないだろ?」


 その通りだ。


 私は、深く息を吸い、吐いた。

 パニックは、完全には消えない。でも、思考は戻ってきた。


 早すぎる。

 危険すぎる。

 想定外だらけだ。


 ――それでも。

 逃げ場がないなら、立ち位置を選ぶしかない。


「……兄さん」

「ん?」

「今日の予定、変更」

「どう変える?」

「街に戻る。情報を集める」


 原作より早いなら、情報の価値は跳ね上がる。

 兄は、少しだけ笑った。


「やっと、いつもの調子だな」


 私は答えない。

 だって、本当は分かっている。


 これはもう、ゲームじゃない。現実と混ざり始めた、別の何かだ。


 二日目。

 想定外のアナウンスとともに、境界線は――確実に、壊れ始めていた。

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