第六稿 校正者の瞳は秘め事を暴く
ヴィラントは普段、学校の寮で生活しているが、王都にある離宮にもよく滞在している。
婚約者として何度か訪れたことのある広い屋敷で。
[未発表の、ハメレイの最新話です]
声を出してはバレるから、筆談で。
もう着けることはないと思っていた仮面を着けて、療養中のヴィラント皇子と対面した。
屋敷の客間で、ヴィラントは、ずっとこちらを潤んだ瞳で見つめている。
「初めてお会いする。私はこの帝国の第三皇子、ヴィラントだ」
存じておりますとも!
心の中で思い切り叫んだ。
差し出したハメレイの最新話の原稿を見て、ヴィラントは言葉を失っていた。
さあ、貴方が求める物を持ってきて差しあげたわ。
これでサクッと機嫌を直して——
原稿を握った、その手首を握られ引っ張られた。
——え?
気付けばヴィラントに、きつく抱きすくめられていた。
「な、な……!」
思わず声が漏れる。
ヴィラントは私の髪に顔を埋めた。
「自重しようとしていたが、貴女の姿を見たら抑えが効かなかった」
耳元で生まれるヴィラントの切なげな声。
近い、近い近い!
婚約者の時だってこんなことしなかったくせに!
これほど至近距離にいたら、仮面を着けていても正体がバレてしまうのではないか。
男子生徒達を虜にする、ハメレイ。
色っぽい描写てんこ盛りの作品の作者が、私だなんて知られたら。
「貴女が私の腕の中にいるなんて、夢のようだ」
私の方こそ悪夢のようです!!
「ヴィラント」
突然割って入った落ち着いた声に、ヴィラントは腕の力を緩めた。
その隙にささっと距離を取る。
力いっぱい抗議したいが、声を出したら致命的だ。悔しい。
「敬愛する先生に会えて感動するのは分かるが、相手はレディだ。行動を弁えなさい」
「兄上」
兄上?
視線をやると、ヴィラントによく似た男性が客間の入り口に立っていた。
「ヴィラントが失礼したね」
記憶を引きずり出して驚く。
クローヴィス皇太子殿下!
ヴィラントの同母兄のクローヴィスは、存在だけはよく知っている。
ヴィラントの婚約者として挨拶をしたこともあるが、彼は多忙でほとんど会話はできなかった。
帝国臣民として、最上の敬意を示す挨拶をしなければならないと思うのに、緊張で身体がこわばる。
「ああ、楽にして。ヴィラントが伏せっていると聞いて様子を見に来たんだけど、君が来てるなんて。でも、ちょうど良かったかな」
ちょうど良かった?
滑るような所作で近づいて来たクローヴィスは、綺麗で柔らかな微笑みと共に告げた。
「私は、君の作品の続きを楽しみにしていてね?」
頭をハンマーで殴られたような衝撃が走る。
貴方も血迷ったのか。
私が書いていたのは、とてもじゃないけど公衆の面前で口に出せないような、いかがわしいハーレム小説だ。
ヴィラントだけでなく、クローヴィスもまた、それが好きだと言うのか。
こういう小説は、好きだとしても、こっそり楽しむ物じゃないのか。
誰も彼もオープンすぎて眩暈がする。
「兄上もお好きなのですか! やはり、マチルダの素晴らしさには兄上も」
「いや」
ヴィラントの声をやんわり遮り、クローヴィスは笑みを深くする。
ヴィラントと同じ、紫色の瞳がきらめいた。
「私が好きなのは、『星の花びら、地に堕ちて』という話だよ」
それは。
「星の、花びら……? ハメレイの前の作品でしょうか?」
ヴィラントの声が遠く聞こえる。
それは、ジェイミーという名前の女の子の物語。
——面白そうだね。
流行を意識せずに、物語を自由に書いていた時期。
誰からも見向きもされない私の本を手に取り、買ってくれる男子生徒が一人だけいた。
そんな。
目の前の彼が、その?
膝から力が抜けてしまう。
日の当たらない私の作品を見ていてくれた人は、クローヴィス皇太子。
クローヴィスの優雅で柔らかな物腰は、記憶の中の男子生徒そのものだった。
「君はいつ、続きを書いてくれる? それとも、ヴィラントから解放された今なら書けるのかな?」
彼は、いや、この人は、ずっと前に書くのをやめてしまった話の続きを待ってくれているの? 今も?
頭はぼんやりしているが、正体不明の不安を背中に感じた。
ヴィラントから、解放。
それが意味すること。
彼は。
へたり込んだ私の前に、クローヴィスが片膝をつき、手を差し出してくれる。
その手を取れずにいると、クローヴィスは駆け寄ろうとするヴィラントを片手で制し、刺すように厳しく告げた。
「お前も何故気付かないんだ」
「あ……兄上、何に、ですか……? 私から解放?」
鼓動の音が、さっきからうるさい。
呼吸が浅くなる。
耳の中でごうごうと音がする。
クローヴィスは私の髪に触る。
いけない!
焦ってその手を払おうとした。
「隠さないで、ナディア」
仮面文芸即売会で聞いた声。
優しげなのに抗えない不思議な力を持つ声。
赤い仮面が取り払われ、床に落ちた。




