第二十五稿 終わらない物語
誰もテーブルに来ない時間に、ふと思い出す。
まだクローヴィスが即売会に現れる前。
誰も私のテーブルに近付かず、本を手に取ることもしてくれなかった時。
自分が透明人間になったような気がした。
私が見えている人はいますか?
いたら返事をしてください。
私の声は聞こえていますか?
私の物語は届いていますか?
何でも良いから反応をください。
私の姿が見えていると、教えてください。
一言。でなければ、本を手に取るだけでも良い。
この世界に私は一人ではないと、教えて。
誰か、気付いて。
私は、ここにいます。
私の作品は、ここにあります。
思い出していたら鼻の奥がつんとして、視界がぼやけた。
目の前を通り過ぎていく沢山の生徒達。
その生徒達の間を縫うようにして、彼は私の前に立った。
『あの日』、彼は一瞬、黒い仮面の奥で迷うような表情を浮かべた後——
「また面白そうなのを書いたね、買っても良い?」
と……
「ええええええ!?」
記憶と違う彼の台詞に大きな声を出してしまった。
周囲の生徒達が何事かと振り返る。
しかし、そんなことに構っていられなかった。
金色の髪、紫色の瞳。
すらりと伸びた手足。
何より、理知的で優しげな、澄んだ声。
クローヴィスだ。
胸が熱くなり、心拍数が跳ね上がる。
「何で、ここにいるんですか……!」
「学校に用事があってね。ああでも、泣いてちゃ本は売れないか」
「ち、違います! これは昔を思い出してしまっただけで!」
あたふたと言い訳をする。
彼と会えないことが寂しいと思っていたのは事実だ。でも彼には知られたくない。
気恥ずかしい、と言うより、何かに負けた気持ちだ。
(会えて嬉しい)
悔しいけど、彼の姿が再び目にできて浮かれている自分がいる。
訪れを待ってはいけない身分の人なのに、待ち焦がれてしまっていた。
ありのままの私の物語を愛してくれる彼。
「さて、お嬢さん。今すぐ荷物をまとめて」
「あ……と、え?」
今、何と言われた?
「今夜はここから君を攫わせてもらう」
有無を言わさず、クローヴィスは杖を取り出し、テーブルに向かって一振りした。本が丁寧に片付いていく。
「ど、どうして」
クローヴィスはかすかに微笑んだ。
「学校に一晩泊まるのを許可してもらえたから、約束を果たしにきた」
どくん、と心臓が痛みを伴って鼓動を刻んだ。
クローヴィスが言う約束は、魔法薬で私の中から彼についての記憶を消す約束だ。
時間に余裕が無いのか、クローヴィスの言葉は端的だ。
「私に用意された部屋もあるけど、そこに君を入れるには校長の許可が必要だから……悪いけど、君の部屋を借りるよ」
「は……」
私の部屋!?
(印刷の締め切りに追われて片付けなんて!)
そんなナディアの焦りなどお構いなしに、ナディアの荷物をまとめて回廊から移動を始めるクローヴィスの後を、慌てて追いかけた。




