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魔女の水牢  作者: 琥珀
7/12

7.魔女の庭(1)

 曲がりくねった小径のほかは、芝生というものがない、ぎっちりと花で埋まった庭を、恐る恐るヴァランタンは進んだ。

 紫、ピンク、白、赤、黄色のルピナスが一群、咲いている。

 ほかにもアマリリスや、ヴァランタンが名前を知らない花が眼に入ったが、これらもまた毒花なのだろうか。


 傍に立つ家は、黄色いスクラッチタイル貼りのコテージ。

 それほど大きくはなく、ひっそりとして、どこか隠居所のような雰囲気だ。

 目立たないところに、侯爵家の紋がついている。


 庭の奥には、円形のガゼボがあった。

 聖都によくある、花の精霊達の立像を柱とし、花々を彫った透かし模様のパネルをつけたものだが、細工は精緻。

 庭が狭く見えるほど、立派なものだ。

 これも、かつてこのあたり一帯が侯爵家のものだった名残なのかもしれない。


 そのガゼボのテーブルに向かって座っていた婦人が、戸惑いながら立ち上がった。

 年の頃は、30歳手前くらいか。

 結婚指輪はしておらず、黒髪を結い上げ、淡いベージュのデイドレスを着ている。

 南国の血を引いているのか、肌が浅黒く、顔の彫りも深い。

 顔立ちは整っているが、左の頬から首筋にかけて、薄青い痣があった。

 ちょうどレース編みをしていたところのようで、ささっと籠にしまう。


 エスキベルは、優雅に一礼した。


「豊穣の女神フローラにお仕えしております、神官エスキベルと申します。

 こちらは、友人であるランデールの騎士、ヴァランタン卿。

 素晴らしいお庭に、しばしお邪魔することをお許しください」


 ヴァランタンものっかって、名を名乗る。


「……その、……私は、ジュリア・ベナンダンティと申します」


 やや青ざめたジュリアは、困惑した様子で、侍女の方を見た。

 来客に慣れていないようだ。

 侍女が身振りで促し、ジュリアはか細い声で「どうぞおかけください」とようやく勧める。

 ヴァランタンとエスキベルは「お言葉に甘えて」と背嚢を降ろし、ジュリアが座るのを待って、腰掛けた。


「すぐに、お飲み物を用意して参ります」


「いやいや、お構いなく」


 慌ててエスキベルが止めたが、侍女はコテージに入っていった。

 侍女が引っ込んでしまうと、ジュリアは露骨に視線を泳がせた。

 緊張しているのか、手が震えている。


 エスキベルは、穏やかな声で庭の花々を褒めはじめた。

 次第にジュリアは釣り込まれて、ぽつりぽつりと庭を維持する苦労を語り始める。

 花それぞれに、土質の好みがあり、世話の仕方にもコツがあるらしい。

 別に彼女の好みで植えているわけではなく、昔から植えられていたものを守り続けているそうだ。


「そういえば、双頭の獅子の紋があちらにありますね。

 もしかして、ドッラーノ侯爵家ゆかりの方なのでしょうか」


 エスキベルが、さりげなく侯爵家の名を出すと、ジュリアはむしろ嬉しそうに微笑んだ。


「お気づきでしたか。

 曽祖父は、最後まで侯爵家にお仕えした執事でした。

 侯爵家が解体された時、この家と家作を少しいただいたのだそうです。

 もともとは、侯爵家の庶流だったとかで」


「なるほど……

 では、ジュリア様も、侯爵家の血を引いていらっしゃるのですね」


「何十分の一か、くらいですけれど」


 ジュリアは、はにかんだ。


 ヴァランタンは、混乱した。


 怪死したのは、魔女狩りで有名だった名家の子孫達。

 誰かが彼らを殺したのなら、それは魔女の側に立つ者だろうと思っていたのに、これでは逆だ。


 そこに、侍女が戻ってきた。

 木苺を浮かべたレモネードのグラスを、それぞれの前にそっと置く。

 ヴァランタンは、反射的にグラスに手を出しかけて、エスキベルの忠告を思い出し、慌てて引っ込めた。


 侍女はジュリアに励ますような笑みを向け、エスキベルの後ろをすり抜けるようにして、コテージへと戻っていった。

 一人は神官とはいえ、通りすがりの男二人を迎え入れているのに、主人についていなくていいのだろうか。


「ヴァランタン卿は、婚約していらっしゃるのですね」


 手を出したはずみに右手の婚約指輪が眼に入ったのか、ジュリアがそっと訊ねてきた。


「あー……あ、はい」


「ランデールのご令嬢ですか?

 それとも、聖都の方?」


「え。その……幼馴染で」


 ヴァランタンはへどもどした。


「ああ。そういえば、私も卿がご婚約されている方のことは、なにも伺っていません。

 どのような方なのですか?」


 エスキベルが、なぜか身を乗り出す。


 ヴァランタンの婚約者レティシアは、別荘が隣同士という縁で知り合った幼馴染。

 幼い頃はかけっこでも木登りでも、ヴァランタンに負けないくらいのお転婆だったが、次第に落ち着いた雰囲気の令嬢となった。

 栗色の髪が美しい、愛らしい女性だ。


 こう見えて、ヴァランタンは騎士団の幹部候補だ。

 視野を広げるため、若いうちに何年か国外に赴任することが早々に決まっていた。

 レティシアに惹かれてはいたが、結婚は帰国してからになるだろう。

 求婚者に不自由しなさそうな彼女を、何年も待たせることはできない。


 ──と、内心煩悶していた、ある日の夜会。


 レティシアは、ヴァランタンの顔を見るなり、「大事な話がある」とバルコニーに引っ張っていった。

 幾度か縁談があったが「まだ結婚に気が向かない」と断ってきたこと、だが周囲の圧がどんどん強くなってきたと、レティシアは早口に告げた。


「……わたくしは、あなた以外の方に嫁ぎたくない。

 でも、あなたがなにか言ってくれるのを、いつまでも待ち続けることなんてできない。

 ヴァル。あなたは、わたくしが他の方に嫁いでも平気なの?」


 涙ぐんだ眼で睨んでくるレティシアは、たとえようもなくいじらしく、同時に美しかった。

 そして、その場で、ヴァランタンは彼女に跪いたのだ──


 二人に攻め立てられて、ヴァランタンは、そんな経緯を吐かされた。


「……それは、実質的に逆プロポーズ……的なものでは?

 なにはともあれ、レティシア様は素晴らしいご令嬢のようですね」


 エスキベルは、言葉を選びつつも、色々突っ込みたそうな様子だ。


「ええとその……私よりおとこらしいな、と思うことは多々あります」


 ヴァランタンは、もう真っ赤だ。


 不意に、ぽろぽろっとジュリアが涙をこぼした。


「え。あ、あ。す、すみません、愚にもつかない話を長々と……」


 ヴァランタンは慌てた。

 流れであれこれ言ってしまったが、独り身のジュリアには聞き苦しかったかもしれない。


「……いえ、すみません。

 弟が生きていたら、今ごろ、素敵な女性に求婚していたかもしれないと思ってしまって……」


 ハンカチで目元を抑えながら、ジュリアは震える声で言った。


「弟君が……いらしたのですか」


「生きていたら、今年で二十歳になります。

 寄宿学校の遠足で、海に行った時に……」


 ヴァランタンは衝撃を受けた。


 生きていれば二十歳。

 亡くなったニコラ、マッテオ、ディマジオとほぼ同い年だ。


 寄宿学校もさまざまなものがあるが、聖都近辺なら貴族の子弟が学ぶのはだいたい三校。

 どれも、紳士階級の子弟も受け入れている。


 もし、ジュリアの弟が、三人と同じ寄宿学校に通っていたのなら。

 三人が、弟の死に関与していて、その報復としてジュリアが殺したのか?


 いや、逆もありえる。


 ジュリアの弟も、ドッラーノの血を引く者。

 魔女狩りの報復として狙われても、おかしくない。


 ジュリアの弟がまず殺され、それから八年の時を経て、残る三人も殺されたのか?


 いやいやいや。違う。

 「魔女の水牢」に捧げられた毒花がある。

 あの花は、この庭から持ち出されたものと考えるのが自然だ。


 ならば、やはりジュリアが弟の仇を討つために、魔女に縋ったのか。

 ジュリアは、侯爵家の執事のひ孫。

 枯井戸の仕組みを伝え聞いていても、おかしくない。


 とはいえ、いかにもか弱そうなジュリアが、あの枯井戸を降り、長い塹壕を抜けて縦穴を登り、「魔女の水牢」まで行けるとは思えないが──


 ジュリアは、三人を殺した加害者なのか。

 三人の死とは関係ない、魔女の最初の被害者の遺族なのか。

 それとも、三人の殺害とはまったく関係ないのか。

 そもそも、三人の死は、偶然連続しただけなのか。


 ヴァランタンは、混乱した。

 もっと情報が必要だ。

 だが、なにをどう聞けばいいのかわからない。


「……おいたわしいことです」


 固まっているヴァランタンをよそに、エスキベルは気の毒げな表情で、軽く頭を下げた。


「……すみません。せんないことを申しました。

 もう父母も亡くなり、他にきょうだいもおりません。

 結婚も、結局できませんでした。

 弟さえ生きていてくれたら、先々の楽しみもあったかもしれないのに、と……つい」


「お気の毒に……

 どなたか、頼れる方はいらっしゃるのでしょうか」


 ジュリアは儚げな笑みを浮かべたまま、答えない。

 そのまま、テーブルの上に眼をやった。


 誰も手をつけていない、レモネードのグラスが並んでいる。


「……どうぞ、お召し上がりください」


「……ありがとうございます」


 エスキベルは手を出さないまま、穏やかな笑みを浮かべている。

 名指しで勧められたらどう躱そうと、内心どきどきしながらヴァランタンは軽く頭を下げた。


 言葉で勧めるだけでは客が手を出しにくいと思ったのか、ジュリアは自分のグラスを取り、そっとストローを吸った。


「は」


 突然、ジュリアはカッと眼を見開き、口元を両手で抑えた。

 椅子を蹴立てて、立ち上がる。


「かはッ」


 腰から身体を折るようにして、血をぼとりと吐く。

 そのまま、ジュリアは床に倒れ込み、激しく痙攣しはじめた。


「ジュ、ジュリア嬢!?」


「ヴァランタン卿! 人を呼んでください!」


 ヴァランタンはジュリアに駆け寄りかけたが、エスキベルの方が早い。

 介抱は任せて、ヴァランタンはコテージに走った。


 しかし、コテージの扉には、中から鍵がかかっていた。

 扉を叩いても、答える者はいない。

 さっきの侍女は、どこに行ったのだ。

 大きな窓から覗き込みながら叫んでも、サロンらしき薄暗い部屋には人の気配がまるでない。

 この規模のコテージなら、使用人は他にもいるはずなのに。

 コテージを回り込んで、玄関側に行こうとしても、鍵のかかった木戸がある。


 自分たちが招き入れられた、東ドーナ川側の門へ走った。

 門にも、いつの間にか鍵がかかっている。

 焦りながら見上げるが、柵は高い。

 なにか、踏み台になるものがなければ、乗り越えるのは無理だ。


 閉じ込められている。


 閉じ込めたのは──さっきの侍女か。

 勝手に自分たちを招き入れた上に、飲み物を出した後は命じられてもいないのに下がるなど、妙に図々しいと思ったが。


「あの女……!」


 ヴァランタンは、ガゼボに駆け戻った。


 エスキベルは床に座り込み、ジュリアの身体を支えて、なんとか水筒の水を飲ませようとしている。

 ジュリアのドレスもエスキベルのローブも、血で染まっている。


「だめです! 閉じ込められています!

 コテージの扉を壊すか、柵を乗り越える道具を見つけないと!」


「……もう、間に合わない」


 ジュリアは、眼をうっすらと開けたまま、血の気のない顔でエスキベルにもたれている。


 その目元が異様に黒ずみ、やがて真っ黒な涙が頬を伝い落ちはじめた。

 まるで、ジュリアの奥底に巣食っていた闇が、滲み出てきたように。


 エスキベルは息を呑んで、女神の印をさっと結んだ。


「ジュリア・ベナンダンティ。このままでは、あなたはご家族とは違う、おぞましい場所に行くことになる。

 女神フローラのお慈悲にすがりなさい。

 今すぐ」


 押し殺した声で、エスキベルは説いた。

 ジュリアは、わずかにもがく。


「父君も、母君も、弟君も、女神フローラの花園にいらっしゃる。

 あなただけ、違うところに行ってもよいのですか?

 告解を。罪を告解すれば、女神フローラは、必ずあなたを許してくださいます。

 どのような大罪でも、必ずです」


 エスキベルは、自分がかけていたロザリオを外した。

 ジュリアの手のひらにロザリオを載せ、手のひらごと包み込むようにして、堅く握らせる。


 ジュリアは、がたがたと震えはじめた。

 もう遅いと、無理だと、うわ言のように言いながら、小さく首を横に振る。


「大丈夫。女神フローラの御心は無窮です。

 さあ。弟君も、父君も母君も皆、ジュリア様をお待ちですよ」


 ほんとに?と息だけの声で問うジュリアに、エスキベルは優しげに微笑んだ。

 ジュリアの視線が泳ぐ。


「……ジョルジュ……」


 はらはらと、新しい涙が溢れた。

 目を閉じると、透明な涙が、黒い涙を流していく。


「……ま、まじょさまが、」


 回らない舌で、ジュリアは罪を語りはじめた。


「……まじょさまが、ぜんぶおしえてくれた。

 だれが、ジョルジュを奪ったのかも、

 どく、のつくり方も……

 かれいども、人の騙し方も」


 ジュリアは、嗤った。

 ぎょっとするほど、邪な嗤い方だった。


 ジュリアは、枯井戸の仕組みを知らなかったのか。


 しかし、人の騙し方とは……

 誰を、どう騙したというのだろう。


「たのしかった。

 かおに、いろをぬって、あざを隠して、指輪をしたら、

 三人とも、バカみたいにひっかかって、死んで、」


 あ、とヴァランタンは声を上げそうになった。


 南国風の顔立ちのジュリアが装えば、他国から来た貴族の夫人に化けられる。

 女性が社交場に行く時は、男性が同伴するものだが、ジュリアは喋らずに、侍女がそれらしい家名を告げ、「中で夫と待ち合わせている」と主張すれば、ドアマンは恐らく通すだろう。

 通さなければ、国際問題に発展することだってありえるからだ。


 そして、中に入ることができれば。


 社交場で、女盛りの夫人と若い紳士が出会い、一時の恋を楽しむことは、よくあることだ。

 視線を絡ませて誘い、人気のないところで毒を飲ませたのか、呪いをかけたのか……手段はどちらだっていい。


「でも、おってが、きた、……

 おってに、どくを、のませろと、いって、

 まじょさまは、……自分だけ、……ッ

 わたしを、おいてッ」


 ジュリアは、すすり泣く。


 やはり、あの侍女が、魔女だったのだ。


 魔女は、自分たちの様子を見て、水牢の捧げ物に気づかれたと悟った。

 わざと二人を誘い込み、ジュリアに毒殺するよう命じて、自分だけ逃げた。

 口封じにジュリアも殺すつもりで、ジュリアのグラスにも毒を盛った。


 そこまで考えて、ヴァランタンは血の気が引いた。


 ヴァランタンとエスキベルの死を見届けずに、魔女が去ったということは──

 ジュリアを使い捨てにしてでも、急を知らせなければならない、仲間がいるのだ。


「……魔女があなたを見捨てても、女神フローラは決してあなたを見捨てない。

 女神フローラのもとに、帰りましょう。

 祈りを唱えるのです。

 ほら、コンパテーマ・フローラ」


 エスキベルは、ジュリアに優しくささやきかける。


 ──慈悲深き(コンパテーマ・)女神フローラ(フローラ)女神ディーノ私たちを愛している(・アーマス・ニン)


 もっとも有名な祈り「女神の慈愛」の、冒頭の句だ。


 ジュリアはおずおずと、血で汚れた唇を開いた。


「こんぱてーま、ふろーら……」


「ディーノ・アーマス・ニン」


「でぃーの、あーます、にん」


 ヴァランタンも跪き、祈りに唱和した。


 やがて、祈りが途切れ途切れになり、ごぼごぼと喉を鳴らしたかと思うと、ジュリアは動かなくなった。

 黒い涙で隈取られていた頬は、新しい涙に濡れ、うっすらと翳だけが残っている。


 エスキベルはそっとジュリアの身体を地に降ろし、改めて臨終の祈りを捧げた。

 ヴァランタンも共に祈る。


「お気の毒に……」


 エスキベルは、女神の印を結んで立ち上がった。


「至急、大神殿に報告しなければ。

 コテージの扉を、」


 ヴァランタンの方に振り返ったエスキベルは、そこまで言ったところで、まるで棒が倒れるように、真横に倒れた。


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うわあ、ここにきて凄い展開ですね! (そこのこっそり挟み込まれるヴァランタンの昔語り笑)
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