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魔女の水牢  作者: 琥珀
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5.地下迷宮

 結局、裂け目は幅1m近く、高さ50センチほどの大きさになった。

 厚みは十数センチほどだ。


 裂け目の下辺は、ヴァランタンの目の高さくらい。

 降りるのならとにかく、登るのは少々難しい。

 ヴァランタンがエスキベルを押し上げ、荷物を上に移してから、エスキベルがヴァランタンを引っ張り上げることになった。

 じたばたしながら、なんとか這い上がる。


 パニックを起こしたたくさんのコウモリがひゅんひゅん飛び回る中、ヴァランタンはゆっくりと立ち上がった。

 案の定、この空間はコウモリの巣のようだ。


「とんでもないものが、出てきてしまいました……」


 先に立ち上がったエスキベルが、棒立ちで呟いている。


 コウモリの翼で何度もバサバサとはたかれ、片腕で顔をかばいながら、ヴァランタンは、カンテラを高く掲げた。


 天井の低い、直径4メートルほどの円形の部屋。

 左右に、腰をかがめないと入れない高さの通路が伸びている。


 正面の壁は小さなタイルで彩られ、その真ん中に、黒のタイルで描かれた、巨大な牛頭の神があぐらをかいて座っていた。

 神の眼が、ぎらっと光ったように見えて、ぎょっとする。

 瞳の部分に、水晶がはめ込まれているのだ。


 神の前には、後ろ手に縛られた男女が、跪かされていた。

 その首に斧を振り下ろそうと振りかぶっている者、既に断たれた首と遺体も描かれている。


「こ、これは……」


 生贄として、人間を捧げている。


 牛頭の神の口元は真紅で縁取られ、鋭い牙も見えた。

 水晶の瞳は、まっすぐにこちらを睨んでいるよう。

 禍々しさに、くらくらしそうだ。


「ええと……ここは墓窟、なのですか?」


 ヴァランタンは、神像から眼をそらし、カンテラの灯を高いところに向けながら訊ねた。


 モザイク画は凄まじいが、肝心の骨壺が見当たらない。

 古代エラン人の墓窟は、家の中に地下室を掘り、そこに一族の骨壺を収めたのが始まり。

 以前、一般公開されている墓窟の見学に行った時は、壁面に骨壺がぎっしり並んでいた。


「いいえ。墓窟ではありません。

 おそらく、古代神殿の一部……」


 エスキベルの声は、上ずっていた。

 手袋を嵌めたままの手が震えている。


 思いがけなく、貴重なものを発見してしまったようだ。

 自分のような素人がうろうろして、なにか壊しでもしたらマズいのではないかと、ヴァランタンは恐れた。

 そうでなくても、あの牛頭の神は怖すぎるし──


「いったん戻って、報告しますか?

 これ、しっかり調査しないといけないものですよね?」


「……もう少し周辺を見てみましょう。

 本命は、侯爵家の塹壕なんですから」


 帰りたい気持ちでいっぱいのヴァランタンとは逆に、エスキベルは離れたくなさそうだ。


 だが、彼のいうことは正しい。

 そもそも、三人の貴公子の怪死事件の手がかりを探しにきたのだ。


 やりとりの間にも、コウモリ達が容赦なく頭や顔にぶつかってくる。

 ここでは、ゆっくり考えることもできない。

 ヴァランタンとエスキベルは、背嚢を背負い直すと、コウモリに追い立てられるように手近な左の通路に入った。




 通路は、岩肌が剥き出しだった。

 天井が低い通路には、ところどころ壁龕があり、タイルで装飾されている。

 高さといい、大きさといい、いかにも聖像を祀るのにちょうど良さそうだが、中は空だ。

 やはり、宗教的な遺跡のように見える。


「お。ここからは、侯爵家時代のものじゃないですか?」


 角を曲がった途端、床と壁がモルタル塗りになり、下り階段が現れた。

 明らかに、造りが違う。


「やはり。隠し部屋はあったのですね……」


 エスキベルが呟く。

 推測が当たっていたのだから、もっと感動してもよさそうだが、古代神殿の発見でそれどころではなくなっているようだ。


 手すりのない階段は急。

 ヴァランタンが先になり、一段一段、降りていった。



 降りた先は、かなり広い空間のようだった。

 床も壁も石造りで、古い館によくある地下室のようだ。


 しかし、部屋が広すぎて、カンテラの光では全体がわからない。

 「モンド」の舞踏室くらいありそうな雰囲気だが──


 ヴァランタンは右手、エスキベルは左手と、二人は手分けして、壁伝いに探索を始めた。

 声をかけあいながら、次第に離れていく。


 どこかで、ちゃぷりと水の音がして、ヴァランタンはびくっとした。

 とりあえず、水音の方へ行ってみようとして、かくんと足元が抜けた。

 つんのめりそうになって、声を上げかける。

 階段の2段分くらい、急に足元が低くなっていた。


 慎重に足元を錫杖で確認しながら、水の音がした方角へと向かう。

 なにか、甘ったるいような、生臭いような匂いがしてきた。


「……なんだこれ!?」


 かざしたカンテラの光の輪の中に、唐突に無数の花が現れて、ヴァランタンは息を呑んだ。

 匂いのもとは、これなのか。


「来てください! こんなところに花があります!」


「花!?」


 よく見ると、花は、井戸のような石囲いの上に置かれていた。

 円形の石囲いは、高さがヴァランタンの膝下くらい。

 直径は1メートル半といったところだ。

 囲いが低すぎるが、まるで井戸のようだ。


 かすかに、潮の匂いもする。


 エスキベルが、ちゃりちゃりと錫杖を鳴らしながら慎重に段差を降り、足早にやってきた。


 「モンド」の東側は、遊歩道になっている土手を挟んで、東ドーナ川。

 東ドーナ川は底が浅く、潮が満ちてくると河口から離れたところまで海水が上がってくる。

 この井戸にも、汽水がまじり込んでいるようだ。

 もしかしたら、川から水を引いているのかもしれない。


 そんなことを言い交わしながら、二人は、ランタンを近づけて、花を観察した。

 ラッパのような形の大きい花や、丸っこい赤い花など、色もかたちも様々な花が、まるで供物のように幾重にも積み重ねられている。


「この花……

 ヴァランタン卿、花に触れないように気をつけてください。

 毒花ばかりのようです」


 言いながら、エスキベルは錫杖の先で、花を石囲いからそっと払い落とした。


「は、はい」


 下から、鉄格子が現れる。

 井戸は、鉄格子で蓋をされているようだ。

 その真中には、土産物屋でよく売られている、高さ20センチほどの女神フローラの像が立ててあった。


「……なんということだ。

 聖都で、このような暴挙に出る愚か者がいるとは」


 エスキベルはうめき声を上げると、さらにカンテラを寄せて女神像を照らした。

 ヴァランタンも覗き込む。


 大量生産されている、安物の陶器だ。

 定番通り、白の寛衣に青いローブを重ね、両手をななめ下に広げたポーズをとっている。

 絵付けは雑で、少し開いた唇が妙に淫らにみえた。

 カビなのか、裾の方から腰にかけて、黒く染まりかかっている。


 エスキベルは女神の印を結び、さらに短い祈りを唱えると、像を丁寧に布でくるんで、背嚢にしまった。


 続いて、マッチに火をつけ、井戸の中に落とす。

 2メートルほど下に、水が溜まっているのが見えた。

 なにかが浮いているように見えたが、はっきりかたちがわかる前に火は消えてしまう。

 底の深さはわからない。


「誰かが、こんなおぞましい場所で魔女に捧げ物をし、女神フローラを穢そうとしている。

 早急に、出入り口を突き止めねば」


 硬い顔でエスキベルは立ち上がり、あたりを見回すと、足早に探索を再開した。


 ヴァランタンは、戸惑った。

 確かに尋常ではない雰囲気だが、なにがそんなに問題なのだろう。


「どういうことですか?」


 エスキベルは、苛立った様子で錫杖の先で井戸を指した。


「これが、『魔女の水牢』です。

 プロモントリオ城の水牢を真似て、『魔女』を殺すためにドッラーノ侯爵家が造ったのでしょう。

 このような非道、大聖女猊下のどなたもお許しになっていないというのに……」


「は?」


 ヴァランタンは面食らった。


「ほら、この壁を見てください。

 下の方で、色が違っています。

 満潮になれば、ここまで水が来る。

 水牢に閉じ込められた者は、あの鉄格子の下で溺れ死ぬしかない」


 エスキベルがかざしたランタンに照らされた壁は、ヴァランタンの膝のあたりから下で暗緑色になっていた。

 変色は、ぐるっと水平に続いている。

 潮位線だ。


 振り返ってみると、「水牢」全体が暗緑色に染まっていた。

 この井戸は、満潮になったら囚人ごと完全に水没してしまうのだ。

 段差の上の床は乾いていたが、井戸の周りの低くなったところは濡れている。


 ヴァランタンは、あっけにとられた。


 魔女や魔女狩りなど過去のこと、過ぎ去った歴史の暗部だと思っていた。


 先日、ヴァランタンは、エスキベルの調査に巻き込まれて、故人の髪を編み込んだ呪物を眼にした。

 しかし、あの呪物が本当に何人も人を殺したのかと訊かれたら、「もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない」ぐらいしか言えない。

 ヴァランタンにとって、魔女や呪いはその程度の存在。

 しかし、この国では──今も、魔女は生きている。


「この水牢では、おそらく魔女が何人も殺されている。

 彼女達の絶望と恨みが、淀んでいるはず。

 そこに毒花を捧げ、女神フローラの御姿を晒すとは……

 なにか、企みがあるとしか思えません」


 ギリっと、エスキベルが歯を食いしばる音が聞こえた。

 エスキベルにとっては、魔女は現実に存在する脅威なのだ。

 いつも淡々としているエスキベルが、憤りを剥き出しにしている。


「……とにかく、通路を探しましょう」


 ヴァランタンは、そっと促すしかなかった。


 二人はまた手分けをして、暗闇の中、捜索を続けた。

 エスキベルは、床や壁を錫杖でガンガンと叩きながら左手へ足早に進む。

 ヴァランタンも真似しながら右手へと進んだ。


「あ! 縦穴があります!」


 井戸から一段上がった壁ぎわ、少し引っ込んだ奥に、縦穴があった。

 エスキベルが、すぐに飛んでくる。


「……これは、足跡、でしょうか」


 大人一人が入れるくらいの穴の縁には、白っぽい泥の跡がいくつかあった。

 二人でカンテラの光を重ねると、靴跡のように見える。

 足跡は入り乱れていてわかりにくいが、かなり小さい。

 女の足跡だ。

 つま先の多くは広間の方に向いている。


 これが、毒花を「魔女の水牢」に捧げた者の足跡なのだろうか。


「どうしましょう。

 いったん、地下水路から大神殿に戻って報告するべきか……」


 通路らしきものが見つかって、エスキベルは逆に迷い始めた。

 ここから先は、なにが起きるかわからない。


「花はまだ萎れてないし、潮で乱されてもなかった。

 捧げられてから、さほど時間は経っていないはず。

 もしかしたら、花を持ってきた者に追いつける可能性もあります。

 行きましょう。

 私が先に入ります」


 他国から赴任している身とはいえ、自分は騎士だ。

 人々の平和を脅かす者がいるのなら、皆を守らねばならない。

 いざという時は矢面に立つ覚悟を決めて、ヴァランタンはエスキベルに告げた。




 縦穴は狭く、深かった。

 ハシゴ代わりの金具は、だいぶ錆びていたが、どうにかヴァランタンの体重を支えてくれた。

 縦穴を4、5メートル以上降りたところで、広くなり、横穴が口を開けている。

 岩盤を掘ったままの横穴は、人がやっとすれ違えるほど。

 ヴァランタンは、頭をかがめないと通れない。


 続いて降りてきたエスキベルが、背嚢から予備の蝋燭を出し、火をつけて、金具の上に蝋涙を垂らして、固定した。

 これで、後ろを振り返れば、入口の位置がわかる。


 ヴァランタンは、ランタンを掲げた。

 ランタンの光の輪の向こうは、闇。

 どこまで続いているのか、まるでわからない。


 ヴァランタンは、闇に向かって足を踏み入れた。

 幸い、この横穴にはコウモリはいないようだ。


「もしなにかあったら、俺に構わず最速で離脱して、助けを呼んでください」


 直近で出入りした者がいるのだから、有毒ガスが溜まっているということはないだろうが、罠が仕掛けられている可能性も、なくもない。

 念の為、エスキベルに告げると、神官は申し訳なさそうにため息をついた。


「……こんなことに巻き込んでしまって、すみません。

 卿が絡むと、気になりつつも手をつけられなかった話が急に動き出すので、つい味を占めてしまい……」


「え。なんですかそれ」


「先日の呪物の件とか……」


「あー……いやまあ、そうですが」


 ヴァランタンは、思わず笑ってしまった。


 ぴちゃんと足元で水が跳ねる。

 ひんやりした岩肌で結露した水が、ところどころ溜まっているようだ。


「なにか、布が敷いてありますね」


 滑り止めのつもりか、目の荒い穀物袋が、水たまりに敷いてあった。

 侯爵家のものなら、とっくに朽ちているだろう。

 やはり、最近、何度も出入りしている者がいるようだ。


 ヴァランタンは、後ろを振り返った。

 エスキベルが灯した蝋燭の光が、まだ見える。

 塹壕は、ほぼ真っすぐに掘られているということだ。

 距離の感覚はつかみにくいが、数十メートルは来ているはず。


 しかしそこから、塹壕は緩やかに上り始め、蝋燭の灯も見えなくなった。

 足を滑らせないよう、片手で壁に触れながら、慎重に進んでいく。


「お。向こうに光が見えて来ました!」


「おお!」


 暗闇の先に、光が見えた。

 近づけば、光はどんどん強くなってゆく。

 まぎれもなく、太陽の光だ。

 ヴァランタンは、陽の光の下へ急いだ。


「あ……あれ?」


 塹壕の終点まで来て、ヴァランタンは戸惑った。


 また縦穴になっているが、これまでと様子が違う。

 直径は1mほど。

 壁は、白っぽい平らな石を積み重ねたもので、ハシゴ代わりの金具はない。

 そして、3メートルほど上に、木の蓋が載っていた。

 蓋はだいぶ傷んでいて、隙間から青空が見える。

 この隙間から落ちた太陽の光で、縦穴の内部が輝いて見えていたのだ。


「ここは……枯井戸の底、でしょうか?」


 横穴から覗き込んできたエスキベルが呟いた。

 確かにそれっぽい。

 ヴァランタンは、上に見える蓋を睨んだ。


「これで蓋が外せなかったら、元の道を戻るしかない……ですよね?」


「ですね……」


 魔女を奉じる者は、恐らくこの枯井戸から「水牢」に出入りしている。

 もし彼女が、枯井戸の蓋に鍵をかけていたら、今日来た道を辿り直して、大神殿へ戻るしかない。


「……ま、やってみましょう」


 重い背嚢を降ろし、外套を脱ぐとヴァランタンは壁に取り付いた。

 エスキベルは下から押し上げようとしたが、横穴に退避するよう頼む。

 もし、ヴァランタンが落ちて、エスキベルに怪我でもさせたら目も当てられない。


 もう少し井戸が狭ければ、背中も使えて登りやすいのにと思いながら、ヴァランタンは青空を目指してよじ登った。

 幸い、手がかり足がかりになるところは多く、すぐにヘルメットが木の蓋に当たる。


 しかし、頭で押し上げるだけでは動かない。

 見かけより、重い。


「くうううううう……!」


 肩で押し上げるようにすると、木の蓋が少しだけ浮いた。

 押し上げてはずらし、押し上げてはずらして、端から手が出せるようにする。


「よし!」


 ヴァランタンは、一息に木の蓋をずらすと、井戸の縁を乗り越えた。

 細引を垂らし、まずは荷物と錫杖を引き上げる。

 次いで、もう一度細引を垂らし、エスキベルに両脇の下に通すように結んでもらい、半分吊り上げるようにして、彼も枯井戸から脱出させた。


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― 新着の感想 ―
 拝見しているだけで、毒花と潮の匂いと錆とその他の色々な臭いが混じりあった重い空気に包まれるような気がしました。  地下の異様な雰囲気が、生々しく迫ってきて、まるでヴァランタンたちとともに調査をしてい…
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