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魔女の水牢  作者: 琥珀
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4.塹壕

 エスキベルは、錫杖をヴァランタンに預けると、慣れた様子で塹壕によじ登っていった。

 ヴァランタンは、エスキベルに錫杖を渡し、2人分の錫杖が無事引き揚げられたところで、続く。

 幸い、ハシゴ代わりの金具はしっかりと留められていて、思いの外、すんなり塹壕まで登ることができた。


 エスキベルは、地下迷宮の地図と方位磁針を取り出した。

 ふらふらと頼りなく針が震え、やがて北を指して止まる。


「東は……あちらですね」


 エスキベルは、縦穴から見て、左へ歩みはじめた。


「天井、気を付けてくださいね」


 地下水道は煉瓦で覆われていたが、塹壕は岩盤を掘ったままだ。

 壁も床も、ごつごつしている。

 幅は大人がすれ違えるほどで、高さはヴァランタンのヘルメットぎりぎり。

 天井が少し下がっているところもあるから、ヴァランタンは天井を片手で撫でるようにしながら歩いた。

 空気は、地下水道よりもやや淀んでいる。

 カビなのかなんなのか、得体のしれない匂いがした。


 足元には、わずかに水が溜まっていて、ぴちゃんぴちゃんと音が立つ。

 二人の錫杖の鈴の音と靴音が、不規則に不協和音を奏でた。


 そのまま進むと、塹壕は急に右側に曲がり、三叉路になった。

 床の高さに段差があるのは、別々の家が掘り進めてここで合流したためだろう。

 エスキベルは地図を確認し、一番左の道を選ぶ。


「このあたりから、『モンド』の敷地です。

 西北の隅から入る形になるんですが……」


 曲がってすぐは、倉庫として使えそうな、少し広い空間になっている。

 天井も少し高く、モルタルが塗られていた。

 しかし、カンテラで照らしても、なにもない、がらんとした空間だ。

 その空間の奥と、左手にまた通路がある。


「敷地の西北の隅だと……真上は、事務室のあたりかな」


「例の噴水のある中庭は、どのあたりですか?」


「南東のあたりです」


 ヴァランタンは、「モンド」の敷地図を思い出しながら答えた。


「そちらを目指してみましょうか」


 エスキベルはもう一度方位を確認してから、南側に相当する奥の通路へ向かった。

 岩肌剥き出しの通路は幅が広く、両側にかなり奥行きのある棚が刻まれている。

 備蓄庫だったのだろう。

 棚は空っぽで、ワイン貯蔵庫にしたら、ちょうど良さそうだと思いながらヴァランタンが後をついていくと、さして進まないうちに行き止まりになった。


 いったん、事務室の下の空間に戻り、今度は東側へ向かう。

 やたら狭い通路を抜けると、モルタル塗りの小部屋がいくつか連なっていた。

 どれも空っぽで、一番奥の部屋には短い階段がある。

 上がったところに、鍵のかかった分厚い扉がついていた。

 ここが、「モンド」の地下室とつながっているようだ。


 それなりに大きな塹壕だが、「モンド」全体の広さから言えば、ごくごく一部。

 この向こうに、まとまった地下空間が別にあっても、おかしくないとヴァランタンも思った。


 しかし、ここにはなにもない。

 入口に戻ろうとして、ふとエスキベルが足を止めた。


「……なにか、音が」


「え」


 なんの音もしない、と思った瞬間、うしろから頭になにかぶつかってきた。

 ばさばさと、軽いものが耳のあたりに次々と当る。


「うわ!」


 思わず、泳ぐように身を伏せたはずみに、カンテラと錫杖を取り落としてしまった。

 ガチャンと音がして、ヴァランタンのカンテラが消える。


「え!? ああああ!?」


 エスキベルは、慌ててカンテラを差し上げた。


「コウモリか!」


 カンテラの灯でパニックを起こしたコウモリが十数羽、ひゅんひゅんと飛び回っている。

 エスキベルは、外套でカンテラを軽く包むようにして身を低くした。

 次第に、コウモリはどこかに散ってゆく。


「……びっくりしましたね」


 真っ暗ではないが、光はわずか。

 手探りで錫杖とカンテラを探しながら、ヴァランタンはもごもごと言った。

 コウモリに驚いて武器を取り落とすなど、祖母にバレたらお仕置きされかねない。

 女性騎士の先駆けとして活躍した祖母は、今でも毎朝、薙刀グレイヴを200回素振りしているのだ。


「驚きました。もう大丈夫でしょうか」


 ヴァランタンが錫杖とカンテラを見つけたところで、エスキベルが立ち上がり、カンテラであたりを照らす。


「ん?」


 無事だったカンテラに、マッチで火をつけ直そうとしたヴァランタンは違和感を感じた。

 マッチの炎が、やけに乱れている。

 肌には感じないが、壁から吹き下ろすような、わずかな空気の流れがあるのだ。


「どうしました?」


「いや、風があるようで……

 どこかから、外の空気が吹き込んでいるんじゃないかと」


 カンテラに火をつけたヴァランタンは、そのままマッチを手にゆっくりと立ち上がった。

 エスキベルもカンテラを寄せ、岩肌に直接モルタルを塗ったでこぼこした壁を照らす。

 小さな炎が傾く反対側に、少しずつマッチを寄せていくと、天井近く、ヴァランタンの目線より少し上のあたりに横長の裂け目があった。


「ここから、コウモリが出てきたんですかね……」


 長さは50センチ近く。

 裂け目の中も暗い色なのでわかりにくかったが、一番高いところで、2、3センチはある。

 コウモリならば、余裕ですり抜けられる大きさだ。

 塹壕の床を見ても、コウモリの糞や痕跡は見当たらない。

 この裂け目の向こうに、コウモリの巣がある可能性はそれなりにありそうだ。


「しかし、こんな大きな裂け目、これまでの調査記録にはないのですが」


 エスキベルは、野帳を繰りながら戸惑っている。


「経年劣化で、割れて来たのかもしれません。

 ちょっと、つついてみてもいいですか?」


「お願いします」


 ヴァランタンは錫杖を頭の上にかかげ、裂け目に垂直に刺さるようにねじ込んでみた。

 錫杖は、ずぶりと刺さる。

 ぐりぐりと押し込むと、錫杖はどんどん入っていった。

 錫杖が亀裂の溝にこすれる感触は、妙に軽い。


「ここ、岩盤じゃないようですよ」


「え。まさか」


 エスキベルは慌てて、ヴァランタンが錫杖を突き刺している下のあたり、その左右を自分の錫杖の先で叩いた。

 鈍く重い音がする。

 あちこち叩きまわっても、同じ音だ。


 だが、亀裂の斜め上を叩いてみると、若干音のトーンが変わった。

 やや高く、軽い。

 やはり、向こう側に空間があるのか。


「亀裂を広げてみますか」


「ええ」


 ヴァランタンは、亀裂を広げるように、錫杖を上下に揺さぶった。

 パラパラと、モルタルの破片が落ちてくる。


「気を付けて」


 やがて、めきっと壁の一部が剥がれた。

 どさどさっと、モルタルの塊がいくつも落ちてくる。

 生臭いような、獣臭いような、なんとも言えない匂いがこちらに流れ込んできた。

 この奥がコウモリの巣のようだ。


 マスクで鼻と口をしっかり覆い、エスキベルも一緒になって、二人で錫杖でどんどん崩していく。


「鏡で、中を見ていただけますか?」


 人の頭と肩が通るくらいの大きさに穴が広がったところで、エスキベルは錫杖を引っ込め、その先端のネジを外して、小さな燭台を取り付けた。

 蝋燭に火をつけ、燭台に差し込む。

 ヴァランタンの錫杖には、探索用の鏡を取り付けた。

 これで、狭い穴の中でも、鏡越しに確認できる。


 ヴァランタンはつま先立ちになると、2本の錫杖を穴に差し入れた。

 なんとか、鏡が見えるように錫杖を調整する。


「どうでしょう?」


 小さな蝋燭の光はなんとも頼りないが、工夫しながら2本の錫杖を操っていると、次第に様子がわかってきた。

 結構、広い空間だ。

 蝋燭と鏡に驚いたのか、キーキーと甲高い鳴き声を上げて、コウモリ達が飛び回っている。


「……広さは、この部屋くらいはあります。

 奥の方に、通路があるっぽいですね。

 塹壕なのかな……

 なにか、壁に絵が描かれているようにも見えるんですが」


 おお、とエスキベルが声を漏らした。


「古代の墓窟、でしょうか。

 だとしたら、新発見……いや、侯爵家は把握していただろうから再発見になるのか?

 とにかく、現在は知られていない遺構です!」


 いつも淡々としているエスキベルが、妙に興奮している。


「きっと、墓窟ですよこれ。

 この際、ここのモルタルを崩せるだけ崩して、入れるようなら入ってみますか?」


 腰が引き気味だったヴァランタンも、急に前のめりになった。


「やりましょう」


 根っから調査が好きなのだろう。

 エスキベルは、眼を輝かせて言う。

 しばらく、二人は集中して、がしがしとモルタルを崩した。


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― 新着の感想 ―
 グレイブ、薙刀のようなリーチの長い武器なのですね。本物の刃がついているとしたらかなりの重量ですね。仮に刃が木製だったとしても相当に重いはずですが、それを、働き盛りの孫を持つ身で200回も振る祖母君、…
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