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魔女の水牢  作者: 琥珀
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2.大神殿

 亡くなったのは、マルセーニ伯爵家の四男ディマジオだった。

 ヴァランタンより年下で、まだ19歳の若さだったという。


 医師の所見は、やはり溺死。

 遺体は濡れていなかったと断言できるのは、ヴァランタン一人。

 自分が救護した時は乾いていたと伝えはしたのだが、噴水の故障のせいで、うやむやにされてしまった。


 だが、溺死にしても、なぜ社交場の中庭でそんなことになったのか、説明が難しい。

 溺死と公表すれば、多くの者が、酔余の事故死だと考えるだろう。

 それでは外聞が悪いので、「病死」として埋葬されることになった。


 ヴァランタンは、マルセーニ伯爵家に丁重に招かれ、過分の謝礼を差し出された。

 口止め料ということなのだろうが、もらういわれのない金だ。

 だが、貴族がこういう金を差し出して来た時は、受け取らないと変に勘ぐられて後々面倒なことになる。

 あとでどこかに寄付することにして、とりあえず受け取るしかなかった。


 ヴァランタンは、その足で、大神殿を訪ねた。

 旧知の神官エスキベルに、不可解なことが起きたことを伝え、ついでに寄付先を相談しようと思ったのだ。

 エスキベルが所属している「第三文書課」は、どうも女神フローラの教えに反する、幽霊やら呪いやらといった怪異を密かに蒐集、整理する部門のようなのだ。


「それはまた、奇縁というかなんというか……」


 人気ひとけのない昼下がりの食堂の隅で、事情を聞いたエスキベルは、困惑した様子で目を伏せた。


「この春から、口から泡を噴いて亡くなった者が、あと二人いるのです。

 二人とも、ディマジオ卿のように若く健康な、貴族の男性でした」


「え。ど、どういうことですか?」


 黒髪のエスキベルは細身で小柄。

 年は、はっきり聞いたことはないが、30歳手前というところか。


 去年の夏、ヴァランタンは、同国人が亡くなった事情を調査するために、ある田舎の村に赴き、そこでエスキベルに出会った。

 その後、エスキベルが大神殿勤務となって再会。

 それから、ヴァランタンはなにかにつけて大神殿に顔を出している。

 共通点などなにもないのだが、なんとなく馬が合うのだ。


「ヴァランタン卿。あなたは『異端審問の六雄』をご存知ですか?」


「あー……魔女裁判を盛んに行っていた名家のことですよね?」


 魔女とは、名も知れぬ闇の女神を奉じて邪術を遣う者。

 以前は、発見され次第、魔女は異端審問にかけられ、ほぼほぼ殺された。

 六雄と呼ばれるのは、魔女狩りで名を上げ、聖皇家にも食い込んで、権勢を振るった貴族達である。


 しかし、この国で魔女裁判が猖獗を極めたのは、百年以上前。

 その後は、ほぼ終息している。

 邪魔な者を蹴落とすために、魔女狩りを悪用した例が相次いだことから、当時の大聖女が「魔女かそうでないかを見分けられるのは、女神フローラの代理人であるみずからだけであり、勝手に裁くことは許さない」という教書を出したのだ。

 もし、誰かを魔女だと告発して、大聖女がひっくり返したら、大聖女を、引いては女神フローラを謀ろうとした大悪人ということになってしまう。

 とはいえ、現在でも魔女だと疑われ、遠ざけられることもあるのだが──


「マルセーニは、六雄の一つに数えられていた家なのですよ」


「そうなんですか」


 だからなんなんだろう、とヴァランタンは首を傾げた。


「最初に亡くなったのはコルヴァリオ男爵の甥、ニコラ。

 その二週間後にヴェルトラーナ伯爵家の次男マッテオも亡くなりました。

 コルヴァリオもヴェルトラーナも、六雄と呼ばれた家です」


「え。じゃあ三人とも魔女狩りを盛んに行っていた家の一族……」


 そうです、とエスキベルは頷いた。


「ニコラは20歳、マッテオも同い年で、二人共健康でした。

 ニコラは、社交場『ラ・ドルチェ・ヴィータ』から辻馬車を拾って家に帰ろうとしたが、家に着いたところで御者が扉を開けると、泡を噴いて亡くなっていた。

 マッテオは、オペラの終演後、劇場の屋上へ上がる階段の途中で、同じように亡くなっているのが見つかりました。

 それで、古い貴族の間では、『魔女の水牢』で殺された者たちの呪いではないかと、噂が立っているようで。

 ここで、マルセーニからも出たとなると……」


 苦り切った顔で、エスキベルは腕組みをした。


「魔女の、水牢?」


 聞き慣れない不穏な言葉に、ヴァランタンはぞくりとした。


「魔女の疑いを受けた者への拷問であり、処刑のための装置です。

 六雄の一つ、デ・ヴァレッティ伯爵家が所有するプロモントリオ城にあるものが有名です」


 エスキベルは少し身を乗り出し、身振りを交えて説明しはじめた。


 断崖絶壁の岬に建つプロモントリオ城の地下には、石灰岩の岩盤を深く掘った井戸のような空間があるという。

 それが「魔女の水牢」。

 水牢は、海面とほぼ同じ高さにあり、潮が満ちてくると岩盤の亀裂から海水が入り込んでくる。


「水牢のてっぺんは鉄格子で塞がれています。

 大潮の満潮になると、水牢は海水で満たされ、魔女の疑いを受けた者は溺死するしかない。

 ちなみに……新たな囚人への戒めとして、遺体は回収されず、そのまま牢内に放置されていました」


 つまり、遺体が何体も朽ちている井戸に放り込まれ、溺死させられるということか。

 色んな意味で、最悪の死に方だ。


 ヴァランタンは、引いた。

 エスキベルの表情にも、明らかに嫌悪感が混じっている。


「ええと……魔女だと疑われて、水牢に入れられたとして。

 どうやったら、自分は魔女ではないと証明できるのですか?」


「大潮の、満潮を乗り切ることができれば」


 エスキベルは眼を伏せた。


「プロモントリオ城の『魔女の水牢』に入れられた者は、68名。

 生き延びた者は、一人もいません。

 デ・ヴァレッティ伯爵領の場合は、魔女本人だけでなく、その家族も穢れた者だとされていました。

 家族は、幼子から老人まで全員拘束され、魔女が溺れ死んでいくところに立ち会わされ、魔女の死亡が確認されたら、ただちに崖の上から岩礁へ投げ落とされたのです。

 魔女狩りが盛んに行われた五十年足らずの間に、合わせて三百名近く犠牲になったと推計されています」


 ヴァランタンは、絶句した。


 母国でも魔女狩りはあるにはあったが、国全体で犠牲者は十数名。

 苛烈な拷問も行われたが、公開裁判で疑いを晴らし、釈放された者もいる。

 この国の魔女狩りの闇の深さは、桁違いだ。


「……なんというか……酷い話ですね」


「まったく。

 あのような時代には、決して戻ってはならないのです」


 エスキベルは、昏い目をして頷いた。


「……それで、水牢で殺された魔女狩りの犠牲者から、六雄は恨まれ呪われている、だから一族の若者が次々と亡くなった、という話になってるんですか?」


「いえ。そこが妙なことになっていまして。

 プロモントリオ城の『魔女の水牢』は有名ですが、他の家はそんなものは使っていないはずなんです」


「え。じゃ、なぜ水牢絡みということに?」


「昔から、聖都のどこかに『魔女の水牢』があり、魔女がそこで密かに滅せられたという噂が根強くあるのです。

 といっても、聖都は大聖女猊下のお膝元。

 大貴族とはいえ、勝手に魔女狩りをしたはずはないのですが……」


 エスキベルは思索に沈みかけて、ふと目を上げた。


「ヴァランタン卿。あなたは亡くなった直後の遺体をご覧になった。

 どのような印象をもたれましたか?」


 うううむ、とヴァランタンは首を捻った。


「兆候としては、どう見ても溺死でしたが……状況からして溺死とは考えられないのは確かです。

 ただし、それが超常的な力によるもの、とは感じませんでした。

 なんらかの理由で、肺の細胞が壊れ、水分が肺胞内を満たして呼吸できなくなる肺水腫が急激に起こったのなら、似たような状態になるわけじゃないですか。

 いきなり噴水が壊れたのはびっくりしましたが、あれも単純な故障だったとかで」


「ほう」


 エスキベルは、少し意外そうにヴァランタンの顔を見た。


「相次いだ不審死になにか共通の理由があるのなら、もっと世俗的な理由ではないかと思います。

 三人とも、ほぼ同い年なのも気になりますし。

 亡くなったのは、自宅や領地などではなく、聖都の社交の場かその帰り道。

 不特定多数が出入りする場で、接触しやすいのも共通しています。

 肺水腫を引き起こす毒物を飲ませたか、あるいは吸い込ませたか……そういうところではないかと」


 社交場には縁のないエスキベルに、どういうところなのかヴァランタンは説明した。

 社交場もピンキリだが、「モンド」や「ラ・ドルチェ・ヴィータ」は、基本的には貴族や、騎士爵などの準貴族、およびその一族向けだ。

 貴族の夫人や令嬢も来るので、高級娼婦クルチザンやそれに類する者は排除される。

 だが、身分証の提示が要求されるわけではない。

 ヴァランタンが初めて遊びに行った時だって、騎士服姿で名を名乗り、サインをしただけだ。

 さらに、同じ騎士服だったとはいえ、一緒に行った同僚は名前も聞かれなかった。

 会員制倶楽部などとは違い、案外ガバガバなのだ。

 劇場も、チケットを買い、それなりの風体と物腰を整えれば、問題なく入場できる。


「なるほど。三人には、なにか共通の接点があって、恨みを買っていた。

 それで、魔女の呪いに見せかけて、毒殺された。

 そういうことでしょうか」


「……そうですね。

 あくまで、個人的な印象ですが」


 ヴァランタンは頷いた。


「先入観がなければ、そういう発想になるのか……

 いや、参考になります」


 エスキベルは、幾度も頷いている。

 ヴァランタンは、ふと不安を感じた。

 「先入観がなければ」ということは、なにか重要な前提知識が自分には欠けているということだ。


「ええと……あなたは、どういう仮説を立てていらっしゃるのですか?

 その、三人の青年の不審死について」


「……私は、なにも。

 ただ……『異端審問の六雄』は、かつては七雄と言われていた。

 同じく、魔女裁判で名を馳せたドッラーノ侯爵家が、魔女狩りが事実上禁じられる前に絶えたので、七が六になったんです」


 ドッラーノ侯爵家。

 なんだろう。

 ヴァランタンの記憶に、なにか引っかかるものがある。


「ドッラーノ侯爵家の別邸だった館が、現在の社交場『モンド』」


 ヴァランタンは、息を飲んだ。


「ニコラが亡くなる直前にいた社交場『ラ・ドルチェ・ヴィータ』は、『モンド』の西側の斜向かい。

 マッテオが亡くなった劇場は、『モンド』の南隣の街区です。

 『モンド』を中心に円を描くなら、半径150m足らずの範囲内で、六雄の血を引く者が立て続けに怪死を遂げたことになる。

 念の為、『モンド』近辺を確認したいところですね」


 ヴァランタンは、ぞくっとした。


「それは……

 確かに、怪しいというかなんというか……」


「でしょう? 特に、地下迷宮がどうなっているのか気になります。

 急ぎの仕事はないので、今日、行ってみようと思うのですが」


 エスキベルは、薄く笑った。


「ヴァランタン卿。あなたもいらっしゃいますか?」


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 活動報告から参りましたが、本編はまた違う雰囲気で始まりましたね。続きが待ち遠しくてなりません。
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