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魔女の水牢  作者: 琥珀
11/12

11.アティーノ墓地(1)

「なんというか……

 凄かったですね……」


 ウルスラが退出した後、どうにかこうにかヴァランタンとエスキベルは、いつもの中庭のベンチにたどり着いた。


「そうですね。

 私も、完全に『猊下酔い』です……」


 エスキベルが、生気のない顔で言う。


 大聖女と面会した後、緊張と感激のあまり、ふらふらになることを「猊下酔い」と言うそうだ。

 そういう神殿用語があるほど、しばしば起きるのだと聞いて、ヴァランタンはほっとした。


 実は、慰霊祭の後、神殿騎士団長が「昼餐でもどうか」と声をかけてくれた。

 しかし、大神殿長が「また後日に席を設けた方が」と間に入ってくれて、無事逃げることができたのだ。

 大神殿長は、ヴァランタン達が到底会食どころではないのを、見抜いてくれたのだろう。


「今日は、全休にしておいて、本当に良かった……」


「私もです。

 ああ、そうだ……ヴァランタン卿、少し散歩に行きませんか?

 昼食は、外で食べたい気分なのです」


 エスキベルなりに、世俗的なものを摂取したいのだろう。

 ヴァランタンは頷いた。


「いいですね。

 散歩は、どこに行きたいですか?」


「その……ジュリア・ベナンダンティの墓に」


 エスキベルは、申し訳なさそうに言った。


 そうか。

 その後、どうなったのかと気になりつつ、いつのまにか取り紛れてしまっていた。

 彼女は回心して亡くなったのだから、普通に葬儀が行われ、どこかに葬られたのだろう。


「確かに、良い機会ですね。

 行きましょう」


 ヴァランタンが力強く頷くと、エスキベルはほっとしたように微笑む。

 二人は、拝領したメダルを丁寧にケースにしまって、立ち上がった。




 ベナンダンティ家の墓は、大神殿から小一時間ほど歩いたアティーノ墓地にあるという。

 先日、とある美しい令嬢の婚約者が次々に亡くなってしまう謎を紐解きに赴いた時は、ぶらぶら歩いていったのだが、今日だと途中でバテてしまいそうだ。

 大神殿からさほど離れていない酒場バールで名物のランチを食べ、辻馬車を拾うことにした。

 勤め人や職人の客でごった返す喧騒の中、肉団子にトマトソースをたっぷり絡めたパスタは、美味しかった。

 エスキベルも、揚げたての白身魚を堪能したようだ。


 だいぶ現世に戻ってきたところで、辻馬車を拾って、アティーノ墓地のある丘を上っていく。

 途中、木の間から、遠くにきらめく海が見えた。


 アティーノ墓地は、聖都で最初に出来た広大な公園墓地で、葬られているのは、貴族や貴族に準ずる名家の者ばかり。

 凝った彫刻で飾った墓や壮麗な廟も多数あり、花もあちこちに植えられて庭園のように見える。


 管理事務所で、ジュリアの墓に手向けるための花束と香を求めた。

 エスキベルは、この墓地で墓碑の拓本をよく取っていて、土地勘がある。

 既に、ジュリアの墓の位置を把握しているのか、迷わず北へ歩き出した。


 長かった夏もさすがに終わる、はずが、今日はやけに暑い。

 道の両脇には、天を突くような糸杉の大樹がどこまでも続いているが、太陽が高すぎて影は短かい。

 空はどこまでも青く濃く、日盛りの陽を浴びて、墓地は静まり返っていた。

 遠くから、鳥の声が聞こえるのが逆に寂しい。


「……そういえば、レディ・ヴィルジーニアの件はどうなったんですか?」


 レディ・ヴィルジーニアとは、四人も婚約者を亡くした、悲劇の令嬢だ。


「あれも、難航しているんですよね。

 家系や、交友関係からは、特に不審な点は見当たらず。

 警邏を動かして、遺品を押収できるほどの材料はないので、手詰まりというかなんというか……」


「なるほど……お疲れ様です」


 ヴァランタンは、かくりと頭を下げた。

 大使館付き武官という職掌柄、ヴァランタンも調査の真似事をすることがあるが、警察ではないので関係者の自発的な協力に頼るしかない。

 ままならない苦しさには、心当たりがある。


「ああでも、厳封されたままのジュリア嬢の曽祖父と祖父の覚書が、ベナンダンティ家の貸金庫から出てきたんですよ。

 おかげで、ドッラーノ侯爵家の終焉については、だいぶわかってきました」


「え。そうなんですか!?」


 ヴァランタンは驚いた。


「ジュリア嬢の資産は、結婚するまでは信託財産、未婚のままジュリア嬢が亡くなったら、元は侯爵家のものですから聖皇家に返納すると指定されていたんです。

 それで、顧問弁護士と聖皇家の役人が貸金庫を開けてみたら……財産の目録と一緒に出てきまして。

 ちなみに、目録には枯井戸の地所も含まれていたので、聖皇家から寄贈を受けることになりました。

 これで、正式に我々が管理することができます」


「それは良かったです。

 ……で、どういうことだったんですか?」


 ヴァランタンは、厭な予感に怯えつつ訊ねた。


「結論から言うと、ドッラーノ侯爵は、悪霊と化した侯爵夫人イヴァナの慰霊をし続ける条件で、執事ベナンダンティに財産の一部を分与していたのです」


 エスキベルは、さらっと、とんでもないことを告げた。


「え、悪霊!?」


「主に、イヴァナが殺された満月の前後に、ドッラーノ侯爵家に出没したそうです。

 別邸だけでなく、本邸にも領地の館にも。

 なかなかその……大変な暴れぶりだったようで」


 エスキベルは、「腐りかけたイヴァナが全裸で侯爵の寝室に現れ、侯爵家を根絶やしにしてやると叫びながら、部屋中めちゃくちゃにした」とか、「館の広間の扉を開けたら、腐った汚水が大量に流れ出し、館中が水浸しになった」とか教えてくれた。


 確かに、大暴れだ。


 ヴァランタンは、聞くだけでげんなりしてしまった。

 石畳の照り返しがキツいのに、内臓が重く冷えてしまったような気がする。


「……満月の度にそんな騒動が起きるとは、どんな剛毅な人物でも、気力をへし折られそうですね。

 それにしても、どうしてイヴァナはそんな大悪霊になってしまったんでしょう。

 いや、侯爵を深く恨んだのはわかりますが」


「そこは……現時点では、なんとも。

 課内には、古代の壁画が影響しているんじゃないかという者もいますが」


「え。牛頭の神に、人身御供を捧げる絵でしたっけ?」


 なんとも禍々しい絵だったのは、覚えている。


「ええ。漁師は大漁を祈願して、穫れた魚を神に捧げるじゃないですか。

 農夫でも牧夫でも職人でも、皆、同じです。

 供物を捧げるから、より良いものを、より多く得られるようにしてほしい。

 これが供犠の基本です。

 だから、『魔女の井戸』で魔女を殺し続けた結果、あの牛頭の神は、強大な悪霊を侯爵家に与えたのではないかと」


 ヴァランタンは軽くのけぞった。


「ええええええ……

 完全に、侯爵家の自業自得じゃないですか」


「ま。今の段階では、妄説としか言いようがない話ですがね」


 驚かせておいて、エスキベルはさらっと否定した。


「とにかく、侯爵も色々と対策したんですが、イヴァナの宣言通り、子どもたちは次々亡くなってしまい、後妻も亡くなってしまった。

 とうとう、侯爵は、悪霊が出てこられないように、別邸の地下室から『魔女の水牢』に入る通路を完全に埋めてしまったんです。

 実際、我々の調査でも、鋼鉄の扉と石積で封鎖された通路の跡が確認されました」


「え? じゃあ、なんで東ドーナ川のトンネルは塞がなかったんですか?

 枯井戸から抜け出し放題じゃないですか」


 ヴァランタンは、眼を丸くした。


「同時に、枯井戸にも石を詰め、鋼鉄の蓋をして塞いだんですよ。

 しかし、跡取り候補も次々亡くなっていく。

 さらに、イヴァナは老いた侯爵を『貴様だけ、女神の花園に行けると思うな』と脅しはじめたと」


「……もしかして、そのせいで、なかなか死なせてもらえなくて長生きしたんですか?」


 ヴァランタンは、戸惑った。

 103歳という並外れた長寿は、実は悪霊の呪いだったのだろうか。


 エスキベルは、困り顔で首を傾げた。


「それは、どうなんでしょう……

 そもそも、怪異を鎮めたければ、まずは『魔女の水牢』から遺骨を引き揚げて、弔うのが順序なのですよ。

 ですが、イヴァナが恐ろしすぎて手をつけられなかったようで。

 大神殿は『魔女の水牢』にはずっと否定的でしたから、助けを求めることもできませんし」


「いや、一族がどんどん死んでいったんでしょう?

 洗いざらい、罪を告白して、大聖女猊下におすがりするしかなかったのでは……」


 まったく、とエスキベルは頷いた。


「それで、家付き神官の助言で、イヴァナの霊を慰める供物を毎月、満月の前に捧げて、少しずつでも許しを乞おうとなり、一度塞いだ枯井戸に出入りできるようにしたのです」


「供物を捧げるって……一体なにを?

 まさか、生贄とかじゃないですよね?」


 ヴァランタンは怯えた。

 そんな強大な悪霊に許しを乞うのに、いったいなにを差し出すというのだろう。


 エスキベルは小さく笑った。


「まさか。普通に花を捧げ、香を焚いていたようですよ。

 生前のイヴァナは、花を大変好んでいたそうで。

 あのコテージの花は、もともとイヴァナが植えたものなのです」


 ヴァランタンは混乱した。


「え。そうなんですか?

 毒花ばかりってことですよね?

 実は、イヴァナは本当に魔女だったとか……?」


 エスキベルは、首を横に振った。


「彼女は、園芸に造詣が深かったんです。

 子どもや動物がうっかり口にしないよう、毒を含む花を隔離して育てていたようで。

 ベナンダンティが代々、あの庭を守っていたのは、イヴァナを慰撫する意味もあったかもしれません」


 あの後、ヴァランタンはなんとなく他人の庭が気になるようになった。

 よく見てみると、ジュリアの庭に植えられていた花は、あちこちで普通に植えられている。

 ラッパを伏せたような花が垂れ下がるブルグマンシアも、色鮮やかな夾竹桃も、聖都では人気の花樹なのだ。

 むしろ、イヴァナは、慎重な園芸家だったのだろう。


「なるほど……

 そんな風に毒花を育てていたことが、魔女疑惑につながったんでしょうか」


「そうかもしれませんね。

 しかし、ジュリア嬢の曽祖父は、侯爵亡き後も忠実に慰霊を続けたものの、祖父は途中で止めてしまった。

 魔女狩りなど、負の遺産だとする風潮が強くなった時期ですし、悩んだ末、『魔女の水牢』とのつながりを断ち切りたいと考えたようです。

 それで、息子であるジュリア嬢の父親にも枯井戸の仕組みも伝えなかった」


「なのに、なぜかそのことを知っている女が、侍女としてジュリア嬢の元に潜り込んできた、と……」


「そういうことになります。

 ジュリア嬢の父親も知らなかったことを、なぜ彼女が知っていたのか……

 そこに、手がかりがありそうなのですが。

 まずはベナンダンティの縁者、それからドッラーノ侯爵家の関係者の子孫……」


 エスキベルは考え込みかけて、ふと眼を上げた。


「お。あれがドッラーノ侯爵家の墓所です。

 ジュリア嬢の墓は、裏手にあります」


 丈の高い鉄柵で囲まれた、大きな墓所をエスキベルは示した。

 鉄柵のてっぺんは、槍のように尖らせてある。


 既に絶えて久しい家だというのに、墓所は豪奢で、十分手入れされているようだった。

 歴代侯爵の肖像を浮き彫りにした立派な墓碑の間に、青紫と白のアガパンサスの花が、咲き乱れている。


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 ヴァランタンの昼食の、肉団子にトマトソースをたっぷり絡めたパスタとは、もしや某怪盗の三世の映画に出て来る、相棒と取り合――もとい分け合う、あのパスタでは?  と思わずニヤニヤしていたのですが……。 …
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