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魔女の水牢  作者: 琥珀
10/12

10.忘れな草の宮

 無事、経過観察期間も過ぎ、ヴァランタンは日常に戻った。

 事件から半月後。

 ヴァランタンは、今回発見された犠牲者達の「慰霊祭」に招かれた。

 大聖女みずから取り仕切るとのことで、早起きしたヴァランタンは丁寧に身支度をした。


 言われた時間より早めに大神殿に着くと、指定された通用門のそばで、エスキベルが待っていた。

 普段は洗いざらしの、エスキベルの黒いローブも、今日はきっちりアイロンがかかっている。


 エスキベルは、大聖堂ではなく、広大な大神殿の敷地の、奥まった方へとヴァランタンを案内した。

 検問を二度受けた先に、深い木立が現れる。


 小径をゆくと、すぐに典雅な小礼拝堂が見えてきた。

 礼拝堂は、八角形の一階建てで、明るい青緑色のドームが載っていた。

 装飾はあっさりしているが、最高級の白大理石がふんだんに用いられている。


 正面には、花の精たちの彫像で飾られた泉水。

 そこから幾筋も水路が引かれ、色鮮やかな花壇の間を清らかな水が流れている。


「ここは……?」


「『忘れな草の宮』です。

 魔女狩りの犠牲者が葬られる、特別な礼拝堂で」


 言ううちに、大神殿長と神殿騎士団長、エスキベルが所属する第三文書課の課長に、神殿騎士の警邏課長と、大神殿の幹部達が神殿騎士を従えてやって来た。

 エスキベルが、ヴァランタンを大神殿の幹部達に紹介してくれる。


 木立の方から、鈴の音が近づいてきた。

 皆、ばっと裾を翻して、深々と礼をする。

 慌ててヴァランタンも真似た。


 先触れの少女が、鈴を鳴らしながらやってくる。

 その後ろから、小柄な女性がやって来た。


 髪や頬、首を白絹のウィンプルで覆い、その上から薄いヴェールを胸元までかけ、花を象った金の冠を重ねている。

 寛衣も、上から羽織ったローブも、白。

 手には、大きな宝玉が頭にはめ込まれた聖笏を持っている。


 当代の大聖女ウルスラだ。


 大聖女は代々、聖皇家から占いによって選ばれる。

 ウルスラは、現聖皇の妹。

 七歳の時に大聖女となり、今は四十代半ばのはずだが、ぴんと背筋は伸び、はるかに若く見えた。


 大聖女の側仕えが礼拝堂の大扉を開き、ウルスラはしずしずと中に入っていった。

 大聖女に従ってきた女性神官達も続く。

 その後ろから、幹部たち、ヴァランタンとエスキベルも入った。


 小礼拝堂の内部を目にして、ヴァランタンは息を飲んだ。


 正面奥に、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、両手をななめ下に広げている、等身大よりやや大きい女神フローラの像。

 モザイクタイルで床に描かれた花々。

 柱を飾る花の精霊達の彫像。

 壁の高い位置に円窓がいくつか並び、窓にはめ込まれた花の意匠のステンドグラスから、色とりどりの光が射している。

 規模こそ小さいが、この聖都大神殿の中でも、ひときわ美しい。


 しかし、女神フローラ像を背後から囲むように、床から天井まで何段も棚が設けられ、見慣れないものがびっしりと並んでいた。

 ぱっと見ると、金線細工で造られた球形の鳥かごに台座をつけ、エナメルの花で飾ったもの、としか言いようがない。

 だが、鳥かごとは違い、中にはなにか大きなものが収められているようだ。


 よく見ると、壁の棚では収まりきらなくなったのか、その手前にも低い棚がある。

 合わせれば、二千を超えているかもしれない。


 一つひとつを見れば、美しい細工物なのだが、ここまでぎっしり並んでいると圧が強すぎる。


 エスキベルに聞いてみたいが、到底、聞ける雰囲気ではない。

 いったいなにが入っているんだろうと目を凝らして、ヴァランタンは声を上げそうになった。


 頭蓋骨だ。

 魔女狩りの犠牲者達の遺骨だ。

 鳥かごのようなものは、厨子の一種ということか。


 ヴァランタンは、思わず後退りしそうになった。


 魔女狩りの犠牲者達が、みっしりと並んだ頭蓋骨としてこの宮に集められている。

 これだけの数の犠牲者を、大聖女は慰撫し続けているというのか。


 しわぶき一つない静寂の中、ウルスラは、女神像の足元に置かれた壇に向かって跪き、小声で祈りを唱えている。

 壇には、白絹がかけられていた。


 自分たちはどうするのだろう、とヴァランタンはあたりを見回して、床の上に足つきのクッションが6つ、間を空けて並んでいるのに気づいた。


 おもむろに、大神殿長が一番右に跪き、以下、席次の順に跪いていく。

 ヴァランタンは、エスキベルの隣、一番左のクッションに跪いた。


 後方の壁にずらりと並んだ女性神官達が、聖歌を歌い始める。


──エン・ジャルデーノ デ ラ ディイーノ、ニ レー クンヴェーノス

  女神の花園で、わたしたちは再び出会う

──クン・カルーロイ カイ アマートイ、レーン ニン・レトローヴォス

  懐かしい人、愛しい人と再びめぐり会う

──チーウィ・キエル・フロールアルバーロ チェ シーアイ・ピエードイ・スタリー

  みな花の群れとなり、女神フローラの足元で

──ポル・チャーマ・カイ・エテルネ、エン・ブリーロ・ニン・グローリー

  いついつまでも、とこしえに、光の中で咲き誇る


 棺を埋葬する時に歌われる「女神の花園」、女神のもとに迎えられる喜びを歌う歌だ。

 ハーモニーは完璧で、ゆったりと輪唱が巡っていく。

 まるで地上にいながら、女神の花園にいるかのよう。

 ヴァランタンは、場所も忘れて、聞き入ってしまった。


 やがて、ウルスラが立ち上がり、三人の女性神官達が壇にかけられた布を外す。

 真ん中には、大きな水盤が置かれ、どす黒く染まった頭蓋骨が左側に17、右側には空の厨子が17、並んでいた。

 ドッラーノ侯爵家の「魔女の水牢」の犠牲者達の遺骨と、遺骨を収めるための厨子だ。


 聖歌が響く中、大聖女ウルスラは、頭蓋骨の一つを取り、水盤の水にちゃぷりと浸した。

 軽く揺らして引き上げた頭蓋骨。

 そこから滴り落ちる水滴ごと、女性神官が大きく広げた白絹で拭う。


 ヴァランタンは、目をみはった。

 隣で跪くエスキベルも、わずかに息を引く。


 さっきまで黒く染まっていた頭蓋骨が、白く輝いていた。


 薬品でも、頭蓋骨を洗浄することはできる。

 だが、ここまで染まっていたら、何日も漬け込まなければならないだろう。

 こんなことは、本当なら不可能だ。


 これが、女神フローラの代理人である大聖女の力なのか。


「……あなたの『忘れな草の宮』での名を、オルテンシアとします。

 おかえりなさい、オルテンシア」


 ウルスラは、落ち着いた、響きの良い声で言うと、親しい女性同士がするように、頬を片方ずつ合わせるしぐさをして、別の女性神官に渡した。

 女性神官達は、もう一度白絹で頭蓋骨を拭うと、新しい厨子に収め、プレートに新たにつけられた名を書いて取り付けていく。

 ドッラーノ侯爵家の魔女狩りの記録は、まだ出てきていない。

 イヴァナ以外の犠牲者は、名前もわからない上、どれがイヴァナなのかもわからない。

 だから、新たな仮の名をつけているのだ。


 ローザ、ヴィオラ、ジェルソミーナ、イーリス、フィオルダリーゾ、ヴェルベーナ──


 いずれも、花の名前に由来する名を、ウルスラは一つ一つ、頭蓋骨につけていった。


 一度は穢れた水に染められた頭蓋骨が、聖なる水によって次々と清められていく。


 ヴァランタンは、「水を制する者がこの都を制する」というエスキベルの言葉を思い出した。


 「魔女の水牢」では、穢れた水が新たな呪いを生み出そうとしていた。

 この宮では、清らかな水が、汚れた水を祓い、死者を浄化していくのだ。


 無辜の犠牲者はもちろん、仮に闇の女神を奉じる魔女が混じっていても、皆、ウルスラの手で女神フローラの花園へ迎えられていく。


 感動的な光景だ。


 だが、ヴァランタンは引っかかるものを覚えた。


 あまたある神々の中でも、女神フローラの教えはもっとも寛容だと言われる。


 正義の女神ユスティアや軍神アレトーの教えでは、罪に堕ちた者が行く地獄の恐ろしさを強調し、信徒を脅している。

 一方、女神フローラの教えでは、地獄という概念はほぼ存在しない。

 人は死したら、罪のない者もある者も、皆、等しく、女神の花園に行くからだ。


 だから、他の神を奉じる者からは、女神フローラは優しすぎると言われることもある。


 しかし。

 闇の女神を奉じる魔女であっても、許す神とは、ただ優しい神なのだろうか。

 誰がなにを奉じていても、女神フローラは呑み込んでしまうのだ。

 もっとも寛容な神とは、もっとも貪欲な神でないのか。


 子どもの頃から慣れ親しんでいる女神フローラを、ヴァランタンは初めて恐ろしいと思った。


 17人分、名づけ終わったウルスラは、短い祈りを女神フローラに捧げ、こちらに向いた。

 他の者が一斉に立ち上がり、ヴァランタンも立ち上がる。

 聖歌が、ゆっくりと終わっていった。


 ヴァランタンは緊張した。

 こんなに間近で、大聖女の姿を正面から見るのは初めてだ。


 薄い紗のヴェール越しでも、この距離なら顔立ちもはっきりわかる。

 黒い、やや太い眉に、濃い緑の瞳が力強い。

 頬は丸く、小さな顎と相まって、あどけない、童女のような印象もある。


「……こたびは、長きに渡って闇を彷徨っていた17名の魂を、女神フローラの花園に迎えることができました。

 皆の働き、感謝します」


 頭蓋骨に名を付け、親しみをこめて迎え入れていた時とは違う、為政者の声で、ウルスラは告げた。

 いかめしい表情だ。


「は」


 男たちは、一斉に頭を下げた。


「同時に、闇の女神に心を寄せる者が、この聖都で蠢動していることが判明したとか。

 ヴィットーリオ。人心が乱れることのないよう、頼みます」


「は!」


 名指しされた神殿騎士団長が、緊張を漲らせて深々と頭を下げる。


「されど、魔女への憎しみに囚われて、自分から闇に堕ちてはなりません。

 わたくし達の敵は、魔女だけではない。

 魔女と、わたくし達自身に潜む憎しみの心、そのどちらにも勝利してこそ、女神フローラの御心にかなうこと、ゆめ忘れずに」


 強い眼で、ウルスラは皆を見渡した。


「お言葉、肝に銘じます」


 大神殿長が、重々しく頷く。

 ウルスラは、軽く頷き返し、わずかに表情を緩めた。

 ちらりと女性神官の一人に視線をやり、なにか支度をさせる。


「神官エスキベル、前へ」


「は」


 エスキベルはウルスラの前に行き、片膝を立てて跪いた。


「こたびの働き、素晴らしいものでした。

 地下迷宮の発見もさりながら、ジュリア・ベナンダンティの回心を促したのは、女神の御心に叶うこと。

 そなたに『慈悲の盾』の称号を授けます」


 凛とした声で、ウルスラは告げた。


「……有難きお言葉、痛み入ります。

 今後とも、全身全霊をもって励みます」


 ウルスラは頷き、女性神官が差し出した盆から、リボンのついたメダルを取り、エスキベルの首にかけた。

 ウルスラは右手をエスキベルに差し出し、エスキベルは薬指の指輪に唇をつける。

 拍手が起こり、ヴァランタンも誇らしさで胸をいっぱいにしながら、全力で拍手した。


 一呼吸置いて、エスキベルは立ち上がり、深々と一礼してウルスラの前から下がる。

 エスキベルの顔は紅潮して、足取りは宙を踏むようだったが、無事戻ってきて、ヴァランタンはほっとした。


「ランデールの騎士、ヴァランタン・アルマン・ジェラール・サン=フォン卿。

 こちらに」


 名を呼ばれた瞬間、ヴァランタンは「え」と声をあげかけて、ギリギリで踏みとどまった。

 まさか、自分が声をかけられるとは、思ってもいなかった。


「は、はいッ」


 ぎくしゃくとした動きで、ウルスラの前に向かい、片膝を立てて跪く。

 ふっと、ウルスラが微笑んだ気配がした。


「地下迷宮の探索に力を尽くした上、我がしもべ、エスキベルの命を救ってくださり、深く感謝します。

 彼が還らねば、魔女は穢れた望みを果たしていたやもしれません。

 魔女の呪いを跳ね返し、見事、騎士の本分を果たしたあなたに『花園の護り手』の称号を授けます」


 優しい声で、ウルスラは言う。


 おずおずと顔を上げると、眼があった。


 ヴァランタンを見下ろす緑の瞳は、慈愛に満ちている。

 一瞬で、ヴァランタンは魂の底の底まで射抜かれたような気がした。

 ヴァランタンの愚かなところも、小さいところも、すべて見抜いた上で、それで良いと受け容れるように、ウルスラはわずかに微笑む。


 一般に、女神フローラは豊艶な女性として描かれる。

 小柄で愛らしいウルスラとは、まったく異なるタイプだ。

 だが、まさしく、この方が地上における女神フローラの代理人なのだとヴァランタンは確信した。


 自分は、女神の代理人に正対している。

 ウルスラを通じて、女神フローラに接している。


 あまりの神々しさに、ヴァランタンは意識が飛びそうになった。


 なにか、お答えしなければならない。

 なんと、お答えすべきか──


「……あ、………その、有難きお言葉、痛み入ります。

 今後とも、全身全霊をもって、励みます」


 さっきの、エスキベルの言葉を真似てしまった。


 大聖女は、にっこり笑って小さく頷くと、手ずから、ヴァランタンの首に小さなメダルをかけてくれた。

 幾重にも花の香りを重ねた、甘い香りに包まれる。


 差し出された右手の指輪に嵌まった、驚くほど大きなルビーにヴァランタンは夢見心地で唇をつけた。

 どうにかよろめかずに立ち上がり、元の場所に戻る。

 拍手が起きたはずなのだが、ヴァランタンの耳にはもう入らなかった。


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儀式の描写、厳かですごいですね!
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