磨かれた先は謁見でした。カイエルうつくし。
四月六日はまだ続く。
全ての支度が終わり応接室に通された。
寝室よりも少し華美になっているのは応接室という特性上であろう。どの調度も寝室に置かれていたものと似た形ではあるが、金や朱の装飾が多く、壁紙もシンプルであった寝室とは違い、調度に合わせるようにこちらも金や朱が基調で若干派手になっていた。
メイベルとポンが腰掛けているソファも深い赤色で、体半分くらい沈み込みそうなほど柔らかい座り心地。でありながらもしっかりと体をホールドしてくれる。あきらかに高級品だ。ポンなどはふーんと鼻息をもらしながら寝かかっている。そんなポンの背中を撫でながら、体をねじるように後ろを振りむき、控えるマイラに話しかける。
「何する?」
今からこの部屋で何をするのか? という問いかけである。あれだけ磨かれた挙句、ただソファに座らせられて終わりではなかろう。
「皇帝陛下との謁見でございます」
「なるほど」
だからあんなにも磨かれたのか。と納得した表情のメイベル。左手で艶やかに光輝を放つ髪をつまんで色つやを確認しながら、逆の右手では普段着る事のない高級なドレスのスカートの裾をパタパタと揺らして中に空気を送ってみたりする。お行儀が悪い。皇帝が見たら喜んでしまう。
「よくお似合いでございます。メイベル様はとてもお美しいのでついつい張り切ってしまいました」
言い切った後、マイラはその渾身の出来を確認して、んふうと満足そうに息を漏らす。
「お世辞」
しかしメイベルにはその渾身の出来がよくわからない。
ドレスルームの鏡で見たが、美しさとやらは自分ではよくわからなかった。確かに返り血で纏う血化粧や、気配遮断用の泥化粧よりは綺麗になっているのだろうとは思う。
過去。
あの姿で王都に帰還した時には衛兵に囲まれたが、今回の化粧は侍女とメイドのため息に囲まれた。
「いえいえ、お世辞などと! マイラはそんな事は……」
言いませぬ! と言いかけたマイラが突然口をつぐみ、姿勢をピシリと正したかと思うと、同時に扉の外から男性の大音声が響いた。
「皇帝陛下! ご入室です!」
「どうぞ」
先ほどまでとはうって変わり、マイラが静かに答えると、重そうな扉が音もなく静かに開いた。
差し込む光の中から入室する皇帝。
さながら降臨だ。
一目。
まばゆい光に細めた目に飛び込んできた皇帝の実像からメイベルはなぜか目が離せなくなった。
自分でも何故かはわからない。どんなに強い魔獣にもこれほど視線をロックされる事はなかった。戦闘漬けの毎日にはない感覚。どうにも心がざわざわする。そんなざわついた心でそういえばマジマジと皇帝の姿を見るのは初めてだなと考える。
潮風に焼かれた茶色い髪。意志の強そうな男らしい額と少しでた眉骨。そこから下がる鼻骨もまた男らしく太い。まつ毛は多く長く、少し垂れ気味だが大きな目を飾っている。
美丈夫と言う言葉がよく似合う。男らしさが強い感じで二十八歳と言う年齢による深みも感じる。
そして何より恵体である。身長は180cm以上ありそうだ。多分メイベルよりも高いだろう。肩幅は広く胸板は厚い。パツンと張った胸筋がいかにも皇帝らしい服装の下から自己を主張している。足もまたメイベルほど長くはないがバランスが取れた長さである。
メイベルは強さが伴った美を感じた。
「お待たせしたね? どうしたんだい、そんな顔して?」
「見惚れてた」
惚けた顔をしていたのだろう。カイエル皇帝の問いに素直に答える。実際見惚れてしまった。こんなに一個体から目が離せなくなったのは初めての経験だった。魅了の異能を使う魔獣にもここまでなった事はない。
「は?」
「カイエル。凄く美しい」
見惚れてた。では意味が通じなかったのかと。見惚れていた理由を告げてみる。それは追い討ちとなり、油断していた皇帝の顔色は見る見るうちに壁紙に同化するほど赤く染まっていった。惚れた女にいきなりストレートに褒められたとあってはさすがのカイエル皇帝も平静を保つ事ができない。
「ヴッン! すすすすまないが、ちょっと時間をくれるか? いったん部屋の外に出る」
大きな咳払いと共に撤退宣言。無敵の暴虐皇帝もここは戦略的撤退を余儀なくされたようである。不意うちストレートを食らっては流石にこの場で立て直す事は不可能であろう。
「? いいけど」
戦略的撤退を選択したカイエルは、メイベルの許可を受けると、小さくすまないと呟き、重そうな扉を自ら開いてそこからまろび出るように逃げ出した。
そんなカイエルの後ろ姿を不思議そうにメイベルは見つめている。入ってきてすぐに踵を返して出ていった事が心底不思議でならないと同時に、もう少しあの姿を見ていたかったな。などと名残惜しい気持ちもある。
「カイエル、どうした?」
体を捻って後ろに控えているマイラに問いかける。なんだかニヨニヨとした顔で笑っている。それもそうだろう。あんな青春を見せられてマイラが平静でいられるわけがない。メイベルが自覚していない所もまた好物である。どんな塩梅で答えるか迷いながらメイベルの問いに対して口を開く。
「……メイベル様にあてられたのだと思われます」
「なんかした?」
「ええ、とびっきりの一撃を」
「したかな?」
そう言って自分の脚を見るが攻撃を放った様子はない。メイベルにとってのとびきりの一撃とはこの脚である。無意識で蹴りでも放ったかと思ったがそうではないらしい。
「無意識の一撃が会心の一撃になるのは往々にしてあることかと」
「ああ。それ!」
それはわかる。実にわかる。連戦連戦で疲れ切った所に出る蹴りが一番威力が高かったりするのは魔境ではよくあった。と戦闘漬けの日々を思い返した。あの頃はぎりぎりの命のやりとりでよくそれに助けられたな、あれと同じか。などと一人納得した。
全く違うが。
「さすがメイベル様。美しさだけでなく、理解力も優れておられます」
多分理解していないであろう事はわかっているが、マイラにそんな事は関係ない。可愛いは正義。美しいは戦力である。メイベルが理解したというのであればそれが正解である。
「ポン(ご主人、馬鹿な会話してるな)」
全てを理解する狸は狸寝入りで呆れ顔。
「何よ。狸のくせに」
間抜けな顔をした狸にバカと言われちょっと癪に障る。丸くなっているぽんのほっぺたをむにーと潰してみる。顔を潰されながらもノーリアクションのぽんがメイベルに呆れ顔を返す。潰れた顔もまた可愛い。
「ポン(狸でもわかる事がご主人にはわかってないだけさ。ほら、皇帝がもっかい入ってくるよ)」
「うん? うん」
ぽんの言う通り、扉が再び開いた。
釈然としないぽんの言葉に口を尖らせながら扉に目をやると、そこから現れたカイエルの顔は赤く、先ほどの大人びた表情とはうって変わり、心なし威厳が減っていて、なぜかほんのりと少年の匂いがした。
「お待たせした」
「平気」
そんなに待っていないし、マイラとポンと会話していたらあっという間である。
メイベルの言葉に静かに首肯くと、対面のソファに腰掛けた。その段には皇帝の表情、態度共に通常の様子に戻っており、メイベルもさっきの事はとりあえず棚上げする事とした。
「さて、再度にはなるが、我がカナリア帝国に来てくれて感謝する。メイベル・シュート公爵令嬢」
ソファに腰掛け、威厳たっぷりに、膝に両肘を置き、胸の前で手を組み合わせて皇帝は言う。
実に公的で貴族的な言葉である。その風貌によく似合っている。見れば見るほど美しいとメイベルは感じた。
ふと、メイベルもこの態度にあわせて貴族的に対応してみようと思いたった。
善は急げ。
スッと立ち上がる。
本来であれば皇帝の御前で急に立ち上がったりすれば護衛が反応しなければならないが、そのあまりにも自然で美しく流れるような動きに反応できない。
「こちらこそ、カナリア帝国皇帝カイエル・カナリア様からのご招待、本当に喜ばしく思っております」
ふわりと優雅なカーテシーで言葉をしめる。
こういう定型文であれば、幼い頃に習っているため、きちんと口上できるのであった。
本人はわかっていないが、これにはとてつもない破壊力があった。
侍女衆渾身のエステ。マイラ渾身の化粧。カナリア帝国トップデザイナー作のドレス。
全てがメイベルを美しく飾っていた。
元々、機能美の極致のような美しさであったメイベルの上に、装飾がのったその姿はその場にいる全員の想像を超えた美であった。皇帝のみでなくマイラたち侍女や皇帝の侍従までもが息を止めた。
まるで室内の時間が止まったかのよう。
誰もが息をする事すら忘れている。
明らかに異常事態であるが、当のメイベルはそんな事気にしない。
「どう?」
対面のソファで固まっているカイエルに問いかける。
しかしカイエルは動かない。
ここで初めて室内の異常に気づき、困ったように腰をかがめ、カイエルの顔をのぞくように再度問いかける。
「どうだった?」
ここでカイエルの時が動き出す。
護衛や侍女はまだ時間がとまっている。マイラなどよだれが口の端からこんにちわしていた。
「て、丁寧な挨拶をありがとう。メイベル嬢」
「貴族っぽい?」
「ああ、深窓の令嬢のようだった」
カイエルから反応が返ってきた事で安心したメイベルはポスっと音を立ててソファに腰掛ける。
「これくらいしかできない」
背もたれに体を預けてすっかりと元の態度に戻ったメイベルは無表情で己の限界を告げる。
「ああ、俺はそのままのメイベル嬢を望んだ。貴族的な態度などは要求する事はない。この国では好きなように過ごしてもらおうと思っている。安心してくれ」
「そう?」
思わず貴族的に振る舞ってみたが、これをやるとエネルギーの消耗が激しいのでメイベルとしては多用したくなかったのである。ずっとこれでいてくれ何て言われても困るなと少し後悔していたため、カイエルの言葉は思いのほかメイベルを喜ばせた。言葉としては簡素だが、声に感情がこもっており、これであればカイエルでも喜んでいるのがわかる。
「あ、ああ。本当だ。ある程度俺の要望に応えてくれるだけでいい。その要望も無理なら無理で構わない。全てメイベル嬢の思うがままでいい。ここでは過ごしたいように過ごしてほしい」
「寛大」
家族にだけわかる微笑み。
これはカイエルにはまだわからない。
実は昨夜の件で無理矢理お妃様にされるのかと不安に思っていたのである。そこへのカイエルの寛大な言葉にメイベルは喜んでいた。
「惚れた弱みってやつだよ」
「誰にでも言う?」
「そう見えるかな?」
「わからない」
「いいさ、これから俺の本気を知っていってもらうから」
「わかった」
「ありがとう。じゃあ早速一ついいかい?」
「いい」
「明日、俺とデートしてくれるかい?」
「ん……いい」
とは言ってみたが。
デート。
メイベルの生存圏の埒外にある言葉と行動である。
言葉としては公爵邸で聞いたレコードにデートの歌があった事を辛うじて思い出せる程度。
行動に至ってはそのレコード内で語られる事だけを知っている。
意味のわからないランデブーとかジェットコースターとかをするらしい。
できるかな?
メイベルは首をかしげた。
ご閲覧ありがとうございます。
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