懐かしい雪と優しい雪と新しい雪。エルは喜んでくれるかな。
本日7話投稿予定(2/7)
前に一話ございます。未読の方はそちらからお願いいたします。
十一月二十日。
夜。
クリード王国、冒険者ギルド。
三階建ての木造建築。
一階はワンフロアーになっており、ギルド機能と酒場を兼用した造りとなっている。日が傾く前から、もっと言えば朝から冒険者でごった返し、下卑た笑い声、怒鳴り声、悲鳴、嬌声が響き続ける不夜城である。
二階はギルド事務局。三階はギルド長室という名目でフロア丸ごと英雄サージの私室となっている。
酒場は今日も盛況である。
冬の寒さを誤魔化すように冒険者はひたすら酒を煽る。夜が更る中、冒険者は酒に耽る。
最近のもっぱらの話題は愚痴である。
秋頃までは景気良く魔獣を狩り、その素材をギルドに売り、武器や防具を購入しても、蓄えが貯まっていく日々だった。しかしある日を境に段々と状況が変わり始めた。
「おう、調子はどうよ」
初期から冒険者をやっている男が先輩風を吹かせて、エールの入ったマグの尻で新人のテーブルをドンと鳴らした。新人は少し嫌そうな顔をしたがすぐにそれを無表情に戻す。迷惑がる分だけこの先輩がしつこくなるのは身にしみて知っている。
相棒は自分には関係ないとばかりにエールを煽ってそっぽを向いている。仕方なく。
「おす。だめっす」
そっけなく。でも失礼にならないように返す。
「あーん。ナニがだめなんだよ? おめえが不能なだけなんじゃねえか!? ギャハハハ」
「いや、そっちはまあ。ぼちぼちっすけど。最近、一撃で死なない魔獣が増えてきてかかる経費と売り上げがトントンな日もあるんっすよ。これじゃあ生活きついっす」
「腕がヘボいだけじゃねえか? 俺の銃弾が通らなかった事なんてねえぞ」
「かもしんねえっす。でもっす。噂では全く攻撃が通らない魔獣ってのもいるらしいっすよ」
「はーん? 誰が言ってんだそんなん。おう、連れてこいよ」
「いや、誰が言ってるかは知らないっす。てか攻撃が全く通らない魔獣と会ったら死んでるんじゃないっすか?」
後輩の言葉にキョトンとした顔になる先輩。
そのすぐ後。
大笑いして後輩の肩をバシバッチンと叩く。後輩は心の声で痛えよクソが悪態を吐きながら上機嫌な先輩に少し安堵する。キレさせると大分めんどくさい反面、こうなると適当に去っていくからだ。
「ぶっは。お前うめえ事言うな。笑い話じゃねえか。俺ら冒険者は殺戮者だ。死ぬわけねえじゃねえか! 魔獣ごときに殺られる事なんてねえよ。よく出来たホラ吹いてんじゃねえぞ! グハハ。笑わせてもらったわ。礼に払いは俺にツケといていいぞ。ぶふふ。死んでたらそら攻撃も通らんて。じゃあその噂は誰が伝えてんだっての。ブフォウ」
予想通り笑いながら別の後輩を揶揄いにテーブルを移っていく。しかしさっきの話がツボに入ったらしく、後輩の席を立ち去りながらまだ笑っている先輩の背中に後輩はつぶやく。
「何が面白かったんだろ? マジな話なんだけどな……」
「もういいだろ? 帰ろうぜ。明日も稼がないと暮らしてけねえ」
めんどくさい先輩の相手を一人に押し付け無言で酒を飲んでいた相棒が言う。
そんな世渡り上手な相棒をジトリ睨んでから、伝票を持って会計に向かう。「ツケといていいぞ」その言葉通りに甘えると、酔いが覚めた次の日に「何してんだこの野郎!」とぶん殴られるからだ。
場所は上に移動して。
ギルド三階にあるギルド長室。
そこでは。
英雄サージがのけぞっていた。
実に大いに英雄的にのけぞっていた。
寝転んでいるのではないかと思わんばかりにのけぞっているのだ。
ソファなのか、ベッドなのか。
判断がつかない。小上がりのようになったソファの上でのけぞるサージ。
傍には女性を数人侍らせている。これはピッチ男爵が日替わりで用意している。それに対してピーチは不満をもらしたが、ピーチは正式な婚約者であり余裕を見せる必要がある。英雄は色を好むと言うし、他所で好き勝手されるよりはきっちりと管理した方が良いという父の意見に逆らう事はできなかった。
今もサージやそれにはべる女たちとは別のソファに座っている。
ピーチには最近悩みが多い。
サージの増長もそうだが。何よりも問題なのは魔境関連の報告だ。どうにも不穏なモノが多い。王太子の婚約者という立場に立ってからはただの男爵令嬢の頃のままではいられなかった。あの頃はただサージを愛していれば良かったし、ただ愛されていればよかった。暖かくて甘い甘い蜜の中に浸かっているだけで良かった。
父に言われるままにメイベルという形だけの婚約者を追い出してこの幸せが完成したと思っていた。
でも違った。
婚約者になった途端。
誰もピーチを大目に見てくれることはなくなった。今までは愛人候補として見られていたから誰も何もピーチには言ってこなかったのだと知った。要は今サージの隣に侍っている女たちと同じだ。
愛だけでは済ませられない。
その事実に愕然とした。
それでも始めの方は良かった。王太子妃の勉強は辛かったが、息抜きにサージと軽い冒険ごっこをしながら、途中でイチャイチャして、サージを甘やかしてサージに甘やかされて。外でも中でも関係なかった。
全てが違ったのはサージが英雄になってからだ。
ピーチはなぜか英雄を補佐する立場としてギルドの事務方の責任者になった。素材の買取、武器防具の加工販売、依頼の事務処理、素材の在庫管理から価格の調整、魔獣のランク付などなど。
気が狂うかと思うほどの忙しさ。
当然である。
今までサラザールがやっていた事務処理が全てギルドに移管され、それをピッチ男爵家がやる事になったのだ。王国随一の頭脳を持つサラザールがやっていた仕事が脳みそ桃色の男爵令嬢に一人でできるものではない。
始めはサージに甘えて頼ってみたが、これがまたピーチ以上に数字音痴であった。
イライラとして周りに当たり散らす事が多く、結局サージに頼る事はやめて、自分で頑張る事にした。金で人を大量に雇い、ピーチも努力した。その末になんとか軌道に乗り、一安心してサージに甘えられると思った所で、最近の不穏な報告である。
「……今日も行方不明のパーティが一組」
手元の書類に頼りなく手を置く。
秋から魔獣が活発になっている。
裏側から見れば教皇が結界を下げた結果であるから、魔獣や魔境が活発化するのは当然なのだが、それを知らないクリード王国側から見れば理由がわからず表面に見える現象としては、ウッソ森林にも魔獣が進出しはじめ、ドリー湿原に出現する魔獣の強さが上がったという状況である。
冒険者から上がってくる報告の中には、ドリー湿原で狩ってきた魔物素材で作成したような安価な武器では攻撃が通らない事があるという報告もある。本当であれば元々ピッチ商会で抱えていた魔獣素材の在庫で強力な武器を作成して対抗すればいいのだがそれでは在庫が終わってしまった時にどうしようもない。かと言って強い魔獣を狩れるはずのサージはこの状態で狩りに行く気配などない。
完全な悪循環だ。
悩み。軽く頭を振るピーチを。
「おい! ピーチ! こっちにこいよ! なんだかんだお前がそばにいねえとおさまりがわりい!」
すっかりと冒険者色に染まったサージがソファの上から呼ぶ。
こんな呼びかけでも胸が喜んでしまう自分を馬鹿だなと思いながらもピーチは椅子から腰を上げて、そのまま歩み寄り、見知らぬ女と入れ替わりに小上がりへと上がる。
「サージ。英雄サージ。……愛してる」
サージの右脇に飛び込んでその胸に頬を当てながらピーチは小さくつぶやいた。
言葉にした途端に。溶けるような真実の愛が脳を溶かしていくのを感じる。さっきまでの悩みが桃色に塗りつぶされて心に安堵が満ちる。一時の幸せを貪るようにサージに縋り付くピーチを満足そうに抱くサージ。
そんな二人を見る事もなく。ピーチが収まった英雄の右胸にいた少年のような顔をした金髪の美少女が部屋から音もなく出ていくのには誰も気づかなかった。
また一歩。進む。
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十二月二十二日。
帝城。
執務室前のいつものバルコニー。
十二月になり、南方のカナリア帝国でも冬の様相を呈してきた。今年は例年よりも気温が低く、この国では珍しい雪が舞う日があるほどであった。今日もハラハラととても粒子の細かい雪が空から舞っていた。そんな灰色の景色の中でバルコニーから見た帝都では雪であろうと年末の支度に大忙しの民の姿を見る事ができる。
皇帝、皇后のお披露目会で民衆に伝播した熱がいまだに冷めやらず帝都では恋愛ブームが起きている。それもこれも生活に余裕があるからであり、今までカイエルがやってきた事が実を結んだ結果である。
そんなカイエルはバルコニーの椅子に腰掛けながら休憩中である。
「寒くない?」
カイエルの着ている服は一見正装のように見えるが素材が柔らかく動きやすい服である。そしてなぜか胸は大きく開いている。それでは流石に寒いらしく。襟を立て少しでも寒さを逃れようと首と開いた胸元を隠す。そもそもそんな胸の開いた服を真冬に着ているのが悪いという意見をカイエルは聞かないだろう。たまにこの隙間に飛び込んでくるメイベルを捕獲する意図がカイエルにはある。
寒くないかと問われたメイベルは。
「平気」
と答え、バルコニーでクルクルと踊るように回りながら答える。表情には表れないがとても楽しそうである。
寒さが平気と答えているがそれもそうだろうな。とカイエルは思う。
胸元の開いたカイエルとは異なり、メイベルは厚手のウール素材のドレスを身に纏い、首元には狸同志こと、狸魔獣のポンを襟巻きのように巻いている。
普段のメイベルに着せられているのはマイラがその美しさを強調するために体のラインに沿った服が多いが、今日はどうしてか全体を優しく包むような少し大きめのサイズ感になっている。
こういったふわりとした服も新鮮で魅力的であるとカイエルはメイベルの踊る姿に見とれていた。
「……雪が、懐かしいかい?」
少し言葉を考えながらカイエルが問いかけた。
雪という言葉には故郷、魔境、クリード王国、などの意味が詰まっているが、そこを懐かしいと答えられるのはどうにも気に入らない惚れた男の狭量さが垣間見える。
「うん。久しぶり」
舞い踊るのをやめて、ピタリ止まったメイベルは片手を眼前に差し出す。
その上にひらりと舞い降りた雪がメイベルの手の平の熱で水へと帰る。
「この国で雪が降るのは珍しいからね。今年は降ってくれて良かったよ。メイベルにさみしい思いをさせなくて済んだ」
「さみしい? 平気、雪には苦労しかない。好きではない」
「そうなのかい? でも懐かしいんだろう?」
「うん。魔境の雪とここの雪は違う。優しい」
「そうか。この国の雪は好きかい?」
「うん。好き」
「そうか、それは俺も嬉しいよ。でもメイベルが寒くないのは少し困るな」
「なんで?」
「後ろから抱きしめる口実がなくなるからさ」
ニヤリと笑ったカイエルを見てメイベルは少し言葉に詰まる。それから少し間をあけて口を開いた。
「……エル」
「なんだい?」
「少し寒い」
「ふふ。ベルは優しいな」
カイエルは待ってましたとばかりに立ち上がる。椅子がカイエルの内心の焦りを表すように床を鳴らした。
メイベルは自分で言った言葉に少し照れたようにバルコニーの手すりへと手をかけ、眼下の帝都へ視線を投げたままカイエルを見る事はしない。しかしその背中はカイエルを待っている。
昼下がり。さらに気温が下がってきた。
雪が少し大粒になり、その降る数を増やす。
すっと肩越しに後ろからメイベルを抱きしめる。
カイエルの開いた胸元がメイベルの髪と触れ合う。
サラリと後ろに流れていた金髪を右に寄せて現れたうなじにあごを置くとメイベルがピクっと小さく反応した。
婚姻の儀で肩に手を置いた時の反応から気づいたメイベルの弱点であり、カイエルはそこがとても愛おしい。メイベルに気づいている事がバレると対策をされるので過度には使えないが、たまに見るこのメイベルの小さな反応がカイエルはとても好きなのである。
触れ合った部分から通じ合うかのようにじんわりとお互いの熱を交換する。
背中と胸。
胸と逞しい腕。
うなじとあご。
触れた部分から熱が伝わる
「暖かい」
「俺もベルを抱きしめているととても暖かいよ。俺のベルを好きな気持ちが熱に変わっているんだろう?」
「わたしのも」
「確かにそうだな。ベルの熱も俺に伝わってくるよ」
「そう」
「ベル。幸せだな」
ゆっくりと景色の上を滑る雪を眺めながら幸せを噛み締める。
「そう。エル。話がある」
「どうしたんだい? ベルから話なんて珍しいじゃないか」
「これ。わたしが伝えないと。だめ」
「どうしたんだい、ベル?」
普段と違ったメイベルの様子に後ろから抱きしめたまま顔を伺う。
カイエルから見える横顔は嫌な感じの表情ではないので少し安心する。
「嫌な話じゃなさそうで少し安心したけど、なんだろう? 初めての海に浸かった時のような表情だね」
「そう。少し。怖い」
「ベルが怖がる事なんてないよ。俺がベルを護っているんだから。ね、いつだって俺はこうやって後ろからベルを護るよ。俺ができない事だってベルと俺ならきっと何とかなるさ」
「そう。うれしい。けど。これ無理。かも」
否定的な言葉とは裏腹に明らかな喜びの感情。カイエルだけにわかる満面の笑みである。だがそれでも言葉は否定的であるのも事実である。
「何か聞いてもいいかい?」
「うん。マイラが言ってきた」
「マイラが」
「そう。マイラが。御子がって」
「みこ?」
「そう。御子」
御子。
その言葉に。
ゆっくりとメイベルから離れた後、バルコニーの中央でカイエルは何度か飛び上がり、最後に地に落ちた勢いでそのまま胸の前でガッツポーズを繰り返して、急にフハハと笑い出したかと思うと、今度は眉間を押さえて上を向き涙をこらえ、そこから正面を向いた時には無表情であった。
並列思考で色々な思考が奔った結果であるが。不審である。
そして無表情そのままでメイベルに問いかける。
「ちょっと話を整理していいかい?」
若干声がダンディである。父親らしさを出したつもりかもしれない。
「うん。シンプル。だけどいい」
それをメイベルは華麗にスルーする。クーナに似た対応である。そんなメイベルの反応に少し気恥ずかしそうにしたカイエルは普段通りに戻る。
「確かにね。整理はできてるんだけど。 これを現実として受け止めた後に夢でしたなんてぬか喜びしないように、まずはここが現実世界かどうかを確認したいんだ」
「そう。どうする? 背中。ギュする?」
「それはまたしばらく傷が残るから避けたい! そうだな、頬をつねってくれるかい? あ、優しく。優しくだよ」
「いい。父上と。母上が。やってるの見た」
そう言ってメイベルは優しくカイエルの頬をつまんだ。
メイベルにとっての優しく。であるからもちろん強い
「そうそう。ってあえ? あああ、いふぁ。いふぁい。ふぇう。ふぉうふぁいふぉふファふぁふぁ」
「エル。ふぁばかり。変なの」
つまんでいた手を離すとつま先が地面から浮いていたカイエルが地面に落ちた。
この痛み。やはり。現実か。危うく現実から浮いて天界に案内されかねなかったが。
「いふぁいという事は?」
まだ伸びた頬が戻らない。
「そう。現実。シンプル」
「という事は思う存分喜んでいいわけだな?」
「そう。子。できた」
「ベル。ありがとう」
一言。
喜びを噛み締めるような一言だった。
その後、喜びにとび上がったカイエルが歌う歓喜の歌は、雪雲をどこかへと追いやるほどの熱であった。
ご閲覧ありがとうございます。
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