56.記憶
「......さぶっ」
行き交う人々をかわし、温かい我が家へと帰宅する途中。
横目にみる枯れ葉すらついていない街路樹に、お前のほうが寒そうだな、なんて感想を心で呟いた。
去年より厳しくなりそうな冬に、ちょっと気が滅入る。
鍵を出し、部屋の扉をあけた。
靴を脱ぎ、暖房をつけに急ぐ。ふと目にうつるテーブルの小説。
今度店頭に並ぶであろう、『ラストファンタジア』の見本だ。
一昨日できたものを白田さんにいただいてきた。
イラスト、挿し絵は約束通り、雪の描いた絵だ。
ついに、二人での小説が完成した。俺と雪、どちらが欠けていてもきっと完成にはならなかった。
待望の、夢にまでみた書籍化。これをみても夢なんじゃないかと未だに思えてしまう。
だから、白田さんには感謝しかない。きっと編集部で頑張ってくれたんだと思うし、初めてあった元気いっぱいの彼女が、見本を渡してくれた時には目が虚ろだった。
一概に俺のせいだとは限らないけれど、可能性は高い。本当にありがとう、白田さん。俺はあなたに担当してもらえて、本当に良かった。
「......さて、と」
手洗い、うがい、一通りの事をてきぱきこなし、お風呂を沸かす。
そして、PCを起動。
書籍化したといえど、執筆に終わりはない。読者の人達に読んでもらう為に、新しい物語を紡ぐ。
この旅の始まりはお金、書籍化し専業作家へ、そして果ては印税で悠々自適な生活を夢見ていた。
しかし、今はあの感想が、ブクマの数々が、人との出会いが俺を変えていた。
天秤にかければきっとそちらへ傾くだろう。これがお金よりも価値のあるもの......いや、違うな。きっと比べるものではないかもしれない。
人の愛は、紡いだ想いは、きっと。
珈琲の匂いだけが泳ぐ部屋に、タイピングの音が心地好く鳴っていた。
◆◇◆◇◆◇
――ざぶん!
「......――ふぅ、生き返る~......いい湯だ」
溢れたお湯には、いつか金見さんがくれた入浴剤が入っている。
柚子の匂いが広がる浴槽に浸かり、俺はぼんやりと考え事をしていた。
幼なじみ......カップル。
雪はこの状況を練習だと言っているけど、ちゃんと意味はあるのか?
なんかただイチャイチャしてるような気もするんだが。
......
......
......でも、雪と付き合えたら、こうやってイチャイチャして幸せな毎日をおくれるんだよな。
俺は雪が好きだ......けれど、やっぱりまだ自信が無い。
もしかすると振られてしまうかもしれない、そんな思いが俺のなかでストップをかける。一般的にこれを意気地無しと呼ぶんだろう。
意気地が無いのは昔からだ。思い返す度に、本当に嫌になる。
――ふと思い起こされる、雪の降る日
......本当ならあの時、雪を抱きしめたあの日に、言うべきだったのかもしれない。
多分、雪も......俺の事を......
多分......おそらく......多分。
え、そうだよね?俺、勘違い野郎になってないよね?
......。
もやもやしたものが胸にじわりと広がる。
――はっ!!
ああああああああ!!!!だ、ダメだダメだ!!!
ネガティブになるな!さっきも言っただろ、昔からずっとこうやって失敗してきたって!......こんどは失敗したくないし、出来ないんだ、絶対!
彼女だけは失いたくない!
あ......自信がないと言えば、忘れてたけど......太一が公園で酔っ払ってた時の話。
俺があの時、正体を伏せていた理由を会ったときに話すとか言っておいて全然忘れてたな。
今度ちゃんと理由言わないとな。単にデブで陰キャ社畜だから嫌われると思ったって。
あの時の俺には雪の友達にすらなれる自信が無かった。
でも今は違う、だからちゃんと伝えないと。
......そういえば。
ふと、もうひとつよみがえる昔の記憶。
ツインテールが揺れる彼女の背中。
小学生の頃、よく遊んでいた家の近くにある公園......ブランコがお気に入りだった妹は、おれに背中を押してと、よくせがんでいた。
「おにい、おしてー!」
「はーい、よっ!」
妹が振り落とされないように、ゆっくりと背をおす。振り子のように動くブランコ。
押しているだけの役割だったが、笑顔で嬉しそうな妹を眺めているのは、楽しかったな。
......なぜ唐突に妹を思い出してしまったんだろう。
俺が家を出るときにまで、悪態をついてきた嫌な妹のはずなのに。
◆◇◆◇◆◇
――スマホに映る、小学生二人の写真。
写真の中では、男の子と女の子が笑顔でブランコ遊びをしている。
それを眺めていた彼女の口からは「はぁ」とため息がこぼれ落ちた。
「......おにいちゃん。 元気かなぁ......」
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