私の婚約者は私の目の前で別の人に一目惚れをしました
初投稿です。よろしくお願いします。
運命の赤い糸。
運命の相手との繋がりであり幸せの印だ。
「……君、名前は?」
たった今、私の婚約者は私の目の前で、運命の相手に一目惚れをした。
#
「アリーチェさまぁ…!婚約者に浮気されて、もうどうすれば良いかっ…!」
私――アリーチェ=ポラリスの元には毎日、何かを拗らせた人達が訪れる。今も学園の庭でお茶をしていたところに、とある令嬢が半泣きで飛びついてきた。
「大丈夫、あなたの婚約者は浮気はしていないわ。一度彼の話を最後まで聞いた方がよろしくてよ」
「……っ!はいっ!アリーチェ様がそう仰るなら…!」
すぐに急いで婚約者の元に向かった令嬢の背中を見送った後、私は少し冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。
アリーチェ=ポラリス嬢は全てを知っている。まるで見えているかのように、彼女は人の奥底に眠るモノも簡単に把握してしまうのだ。ーーそう、人々は口を揃えて言う。そしていつの間にか、悩みを抱えた人々が私の元へ相談しに来るようになった。
「まるで見えているかのよう、か」
「また相談に乗っていたのか?」
後ろから聞き慣れた心地良い低音が聞こえ振り返れば、私の婚約者が苦笑いを浮かべて立っていた。
「そんなに受け入れなくてもいいんじゃないか?お人好しすぎる」
「……まぁ良いの。私の変な特技が役に立つなら。私はこの特技、あまり好きではないから」
「……【糸酔い】はしてないか?」
私の顔を覗き込んできた婚約者の深い青の瞳には、心配の色が深く刻まれていた。
私の特技は「糸が見える」こと。運命の赤い糸もこの糸に相当する。赤以外にも様々な色があり、一人の人間から何本何色もの糸が見える為、人が多いところだと気持ちが悪くなる、つまり【糸酔い】してしまう。自分ではコントロール出来ないので、大魔術師であった祖父に作ってもらった特殊な眼鏡をかけて過ごしている。この「糸が見える」能力は親と婚約者以外には黙っているので、周りからは目が悪い令嬢だと思われているだろう。
「えぇ、今日は人が少ないから大丈夫よ。ありがとう」
「アリィが大丈夫なら良いんだ。あぁ、次は何処かに行く予定でもあるのか?」
「いえ、特に何も無いわ。そろそろ帰ろうと思っていたの」
「じゃあ家に送るよ。…あ、待って。眼鏡が汚れているから」
目を瞑って、と言われたので目を閉じれば、眼鏡がするりと外される。こうして色々気がついて、気にかけてくれるこの人が婚約者で、好きな人で、本当に良かったと何度思ったことか。思わずニヨニヨしてしまった私の頬に、彼はクツクツと笑ってキスをした。
「さっ、これで大丈夫。眼鏡「キャァアッ!!」」
彼が私に眼鏡をかけてくれようとしたその時、前で大量の紙が落ちる音と耳をつんざくような甲高い声が響き、私は驚いて目を開けてしまった。
そして、見えてしまった。
たったの先程まで私を見ていた婚約者の視線は、今は必死に散らばった紙を集める少女に向けられている。目を見開き頬を薔薇色に染めた彼は、誰がどう見ても一目惚れをした様子であった。
待って。
言おうとした言葉は空気となって消えた。彼は手にしていた眼鏡を机に置くと、ゆっくりと少女に近付くと膝をつき、柔らかな笑みを浮かべた。そのとろりとした微笑を向けられた少女が恋に落ちる音も聴いて、私の胸はキシキシと痛む。
「……君、名前は?」
「……セレナ=ベガ、と申します」
2人を繋ぐ糸の色は、赤。
赤は運命の恋人の色を表す。
糸は絶対に覆らない。天に与えられた関係で、それは人間の感情や状況によって変化するものでは断じて無い。私は眼鏡をかけるのも忘れて、ぼうっとその糸を見つめた。
私の婚約者、フェリクス=ラ=レグルス第3王子は、自身の運命の相手、伯爵令嬢セレナ=ベガに、私の目の前で出会ってしまったのであった。
#
およそ5分後。
2人は深く話し始めているし、何より自分が彼らを見ているのが辛くて、綺麗に磨かれた眼鏡をそっと掛けて立ち上がったところ、カタンと椅子を引いた音にフェリクスは気が付き、はっとした表情を浮かべて急いでこちらに近づいて来た。
「……すまない。家まで送るよ」
この能力の欠点は、自分に関わる糸は何一つ見えないことだ。だから、誰と自分がどんな関係なのか、全く知ることが出来ない。私と彼は、そもそも糸で繋がっているのだろうか。せめて良い影響を持つ相手と結ばれる黄色の糸や、安らげる相手と結ばれる青い糸で繋がっていて欲しい。
私はいつも通りに見えるように笑みを浮かべて緩く首を横に振った。
「気にしないで、フェリクス。そちらの方は大丈夫かしら?」
「……あぁ」
「では帰りましょうか」
「そうだな……」
私は「少し用事を思い出したから気にしないで」などと気の利いた言葉一つ言えなかった。自分の運命より婚約者の手を取るフェリクス。2人が運命だと私だけが知っているのに。彼の律儀さが今の私にはとても苦しい。
つくづく私は嫌な女だ。
ショックを受けたような顔でこちらを見つめるセレナに、私は罪悪感を覚えた。
#
フェリクスは馬車で私に糸のことを聞かなかった。いや、聞きたくなかったのかもしれない。自分が恋に落ちた相手と繋がる糸が何もなかったらショックだ。
だが、本人の心配とは裏腹に、2人は着実に距離を詰めていった。運命の歯車は綻びを知らず、赤い糸は確実に役割を果たしているのだ。
私にとって厄介なのが、フェリクスがセレナへの恋心を隠して婚約者である私と共にいることである。セレナと会う時も必ず私を同席させるので、周りはフェリクスとセレナの関係を何とも思っていないようだ。しかしフェリクスの瞳は雄弁に語っており私にはバレバレである。他の人に見つかるのも時間の問題だろう。
「アリーチェ、大丈夫か?……【アレ】か?」
「……えぇ。ごめんなさい、席を外すわ。2人はゆっくりなさって?」
「アリーチェ様、一緒に保健室に行きましょう?顔色が……。眼鏡が無いと視界が歪んで気持ちが悪くなってしまう人もいると聞きました。私も探してみますね」
「僕もセレナ嬢に賛成だ。アリィ、保健室に行こう。僕とセレナ嬢で眼鏡を探しておくから、ゆっくり休まないとダメだ。一旦茶会は中止にする」
確実に掛けていた眼鏡を昼あたりに失くしてしまい、午後はずっと糸を見続けていた為、私は酷い吐き気と眩暈に襲われていた。普段通りの顔をして地獄のお茶会に参加したかったのだが、やはり糸を見るのは苦痛で彼に指摘されてしまった。フェリクスは私をふわりと抱き上げ、私が目を閉じるのを確認してから保健室に向かう。
「……無理をするな、アリィ。お前の悪い癖だ」
「……無理をしないとダメな時もあるのよ、フェル」
久しぶりにちゃんと彼の目を見た気がする。
この時間がずっと続けば良いのに。
#
「……ん……ふぇる…?」
「……起きたか?体調はどうだ?」
「……幾らか良くなったと思うわ」
「嘘つけ」
フェリクスは眉をハの字にしてこちらを見つめていた。この人は変わらない。色々気がついて、気にかけてくれる素敵な婚約者。ただ一点、彼に愛する人が出来ただけ。
「セレナさんは…?」
「セレナ嬢は眼鏡を見つけてくれた後、帰りが遅いとご両親に叱られるからと言ってそのまま帰った。眼鏡は実験室の机の下にあったらしい」
あぁ、そういえば今日実験室に行って、ゴーグルをかける為に一旦眼鏡を外したのだった。眼鏡が見つかってホッとした一方で、私の胸はキリキリと嫌な音を立てた。弱っているせいか、感情がポロポロと手のひらの間から零れ落ちてゆく。
「……どうして…?どうして私の側にいるの…?」
「アリィ…?どうしてって…大切な人だからに決まっているだろう?」
そう言って覗き込んできたフェリクスは破顔していた。
――あぁ。
私の頬に流れる涙を拭おうと伸ばしたフェリクスの手を掴んだ。
「嘘つきは貴方よ、フェリクス。いい加減私を、いえ、自分を欺くのは止めにしなさい」
「アリィ、どうしたんだ?」
「それはこちらの台詞よ。……セレナさんと赤い糸で繋がっていることは、もう貴方は分かっている筈だわ」
「……」
「……ねぇ、フェル」
私は掴んでいたフェリクスの手をゆっくりと離し、逸らしていた目を合わせた。そうやって眉をギュッとする癖は昔からよね、と呑気なことを思ったほど、私の心は凪いでいた。
「私は伯爵令嬢。セレナさんも伯爵令嬢。家格は同じよ」
「アリィ」
「……それに…彼女は次期大魔術師なのでしょう?それだけで私との婚約を解消するのには十分な理由となるわ。陛下からも私との婚約は考え直すよう言われていると思ったのだけど違うかしら?」
「アリーチェ!」
私の名前を咎めるように呼ぶフェリクス。フェリクスは細かく首を横に振りながら私の肩を掴んだ。その顔は酷く強張っていて苦しげで、その瞬間、私は彼が何に怯えているのか理解した。
「……フェル、赤い糸で繋がった相手は必ず死ぬという訳ではないのよ?」
フェリクスには5歳から婚約者がいた。彼女は侯爵令嬢で、フェリクスとは幼馴染だったこともあり、2人はとても仲が良かった。私が社交界デビューをした時に初めて2人を見たのだが、その時赤い糸が見えたので、私は素敵ね、安泰ねと思っていたのだ。
しかし、それは侯爵令嬢の訃報によりひっくり返される。彼女が避暑のため王都を離れ、地方へと向かっていた時、魔物に襲われたからだと後から知った。フェリクスが15歳の時のことだった。
フェリクスが最後に見たのは、魔物に襲われて顔の形が無惨に変形した婚約者だったという。それ以降フェリクスは心を病み、全く公の場に出られなくなってしまったのだが、周りの貴族たちは煩く言い寄り、チャンスとばかりに娘を売り込み始めた。
それを気の毒に思った国王は、当時【糸酔い】が深刻で若干の人間不信になっていた私に白羽の矢を立てて、あっさりと婚約させてしまったのだ。
『帰ってくれ……僕は、婚約者なんていらない…っ!』
何回目かの対面の時、フェリクスは私にこう言った。糸の色が赤だったことを知っていた私は気の利いた事一つ言うことが出来なかった。だけど、フェリクスのこの言葉を聞いてから、何故だか分からないが、私は彼に秘密をするのはやめにしようと思った。だから私の特殊な能力も包み隠さず話した。
3年経った今、やっと。
『君が婚約者になってくれて良かったよ、アリィ』
やっと、フェリクスは粉々に割れていた心を修復しかけていたのだ。
そんな時に、運命の人に出会ってしまった。
「糸は絶対に覆らない。他の人が聞いたら馬鹿だって言われるかも。フェルも今そう思っているかもしれない。……けれどね、糸が見える私は、運命が見える私は、これを見て見ぬフリは出来ない。運命を捻じ曲げたらバチが当たるわ」
「……」
「フェリクス」
私はフェリクスの胸に右手を置いて、静かに尋ねた。
「愛し、共に生きていきたいと願っているのは、セレナ=ベガ伯爵令嬢。――間違いはなくて?」
「――そうだ」
その返事を聞いて私は嬉しそうに微笑んで、とんっとフェリクスの胸を押して離れた。ジクジクと痛む自分の胸の音は聴かれたくなかった。
「さっ、私の家に帰る前に王城に行きましょうか。例の件と言えば謁見は直ぐに出来るのでしょう?」
最後、印象的だったのはとても優しいエスコートと、私よりもずっと大きな手が冷たかったことだった。あんなに好きだった藍色の瞳を一度も見ないまま、私たちの婚約はあっさりと解消されたのだった。
#
その後、フェリクスとセレナは仲睦まじい夫婦となり、王国史に名を刻む家となる。同時代の貴族図鑑にアリーチェという令嬢の名があるのだが、不思議なことに何一つ詳細が記されておらず、後世になって王国7不思議の1つとなったのだった。
(終)
最後まで読んでくださりありがとうございました。