sideノエリア:アルフィーネの行方
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着替えと軽い食事を終えたわたくしはスザーナにボサボサだった髪を梳いてもらいながら、鏡に映る泣き腫らした酷い顔に薄く化粧を施していた。
「ノエリア様……実は王都を出発する前からお伝えするべきかずっと迷っていた情報がありまして……」
鏡に映る髪を梳いているスザーナの顔は暗く曇っていた。
彼女が我が家に古くから仕える密偵一族の一員だと祖母から教えられたのはつい先ごろだ。
色々な市井の情報から貴族の噂話まで、スザーナの一族が王国各地から情報を集め、祖母や父に伝えていたと聞かされた時はびっくりした。
姉と慕うスザーナも、わたくしが冒険者として依頼を受けたり、各地の師匠のもとで魔法の修行をして屋敷を留守にした時は密偵として働いていたらしい。
この旅に父がスザーナを同行させたのも、そういった能力に長けたことを見越しての人選だったと今では理解していた。
そのスザーナが伝えるべきか迷う情報があると漏らしていた。
「スザーナ、わたくしはエネストローサ家の血を受けた者です。家に関わる情報は父と同様、わたくしにも伝えるようにと言われたはずですが?」
「え、ええ。そのようにカサンドラ様からも母からも聞いております。ただ、情報が情報でして……。伝えていいものか迷っているうちにこのような事態に陥ってしまいました。本当に申し訳ありません。私が早く伝えていれば……」
髪を梳いていたスザーナが目からポロポロと涙を流して謝ってきた。
普段から冷静沈着で泣く姿など一度も見たことがないスザーナの突然の涙に驚きを隠せない自分がいた。
「なぜ泣くのですか? それほどまでに重大な情報を言えずにいたということですか?」
鏡越しにスザーナに涙の意味を問う。
「……はい」
そう言えば、アルフィーネ様を探すため、フリック様がこの村に来ると決めた時やたらとスザーナが急いで王都から出発するよう急かした気はするけど……。
そのことと関係があるのかしら……。
「ならば、ここですぐにわたくしにその情報を伝えて。思慮深いスザーナが伝達を止めたのは、それなりの理由があるとわたくしは考えております」
鏡越しのスザーナの顔はなおも何かを逡巡するように表情が二転三転している。
けれど、それもすぐに消えいつもの冷静なスザーナの表情に戻ると、髪を梳く手を再開させながら口を開いていた。
「実は王都から出る直前、ユグハノーツにいる父からの使いがやってきまして……」
「ロランからですか?」
「はい、私もアビスウォーカーの情報収集の進捗を尋ねる書状かと思ったのですが……違いまして」
「それで?」
「はい、書状には剣聖アルフィーネ様がアルという男性冒険者に化けてユグハノーツで冒険者をしていると書かれておりました。そして、アル様はフリック様の正体がフィーン様だと知ったと書かれており、フリック様の足跡を尋ねるためインバハネスに向かったとのことです」
スザーナの口にした情報に、わたくしは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
アル様ってあのアル様のことかしら?
嘘よね? 同名の違う人の話よね?
いや、アルフィーネ様が生きてたということの方が大事かしら?
ちょ、ちょっと情報が多すぎて理解が――
「ス、スザーナ!? ちょっと待って! 言ってる意味が」
「私も最初一読しただけでは理解できなかったので、何百回も父の書状を読みなおしました。そして、この情報をノエリア様、それにフリック様にお伝えするべきかずっと迷っていたのです……」
スザーナはそれだけ言うと顔を俯かせていた。
「整理させて、まず剣聖のアルフィーネ様は生きておられるというのは確定情報でいいのかしら?」
「はい。父が容姿を変えた場に同席していたそうですし、旦那様がアルフィーネ様を呼び出して本人から素性を確認されておりますので間違いないかと」
アルフィーネ様が生きておられる。
そう思った時、自分の中で嬉しさとともにモヤモヤとした気持ちも同時に湧き上がるが抑えられなかった。
「それが、わたくしがデボン村で会ったあのアル青年だということ?」
「はい、あの時会われた若い男性冒険者アル様がアルフィーネ様だったという話です。フリック様になったフィーン様を探していると申されてましたし、たぶん間違いないかと」
「あのアル様が……」
金髪碧眼で中性的な顔立ちをしていたけれど、あの容姿がスザーナの父であるロランの手を借りて作りだされたアルフィーネ様の仮の姿だったとは。
たしかにフリック様もお知り合いからかなり変わったとビックリされてましたし……。
アルフィーネ様も容姿が大いにお変わりになられても不思議ではありませんが――。
記憶の中でフィーン様のことを照れながら喋るアル様の顔が浮かび上がっていた。
男性同士だと思っていたので、友情の延長線上の話だと思って聞いていたけど、今スザーナの情報に触れたことと、王都でフリック様と一緒にアルフィーネ様の知り合いに聞いて回った情報を合わせると一つの答えに落ち着いた。
アルフィーネ様はずっと一緒に生活してきたフィーン様のことが、大好きで大好きでしょうがなかった。
お互いに惹かれ合ってた二人が、何かの拍子に少しだけすれ違ってしまったことで、今のような事態に発展してしまったのだろう。
二人の間に切っても切れない縁が横たわっているのを感じて、自分の胸の奥が痛くなる気がした。
自分は二人の切れない縁の隙間へ、偶然に入り込んだ異分子でしかない。
割り込んだわたくしという異分子が、フリック様の欠けていた隙間に溶け込むように入り込んでしまったのが今の状況だった。
わたくしはフリック様を好きになってはいけなかったのでしょうか……。
スザーナから真実を知らされたことで、途端に自分がとてつもない悪女になった気分に陥る。
フリック様が、心の中にアルフィーネ様の面影を未だ残している仄かな予感はしていた。
それでもいいと思ってきたけれど、いざ眼前に事実を突き付けられたらそれまでの自分に全く自信が持てなくなっていた。
二人が会ってきちんと話し合えばこのすれ違いは解消し、異分子でしかないわたくしはフリック様のもとから去らねばならなくなる。
きっとこれはアルフィーネ様がこのまま見つからず、どこかでひっそりと亡くなっていればいいと、少しでも思った罰だ。
密かにお慕いできればいいと決めていたのに、いやしいわたくしがあり得ない高望みの夢を見た罰に違いない。
「ノエリア様……申し訳ありません。このように大事な話を今日まで伝えずにおりましたこと、いかような罰もお受けするつもりです」
ポロポロと涙を零し謝るスザーナの心情は痛いほど理解できた。
色恋に不慣れなわたくしがこの話を聞けば、ショックを受けると考え、ずっと口に出せずにいたかと思うと、申し訳なさがこみ上げてくる。
「いえ、わたくしのためにスザーナには苦労をかけました……」
化粧で隠した腫れた目から、堪えていた涙の雫が頬を伝う。
流しつくしたと思った涙はとめどなく流れ、化粧が崩れて酷くなった顔を覆うことしかできないでいた。
「……ノエリア様……」
「アルフィーネ様の件はフリック様が目覚めたらわたくしからきちんとお伝えして、彼にきちんと謝罪をするつもりです。それまでは、しばらくここで泣かせてもらいます」
「……承知しました」
それからフリック様が目覚められた夜まで、わたくしはずっと荷馬車の中で自分の愚かさを悔やみながら泣き続けた。
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