第4話・サルティンボッカ
その後ユーノはあらためて名乗り、ひとまず場所を移すことにした。
メガドリザードが落とした親指大の竜石は、貴重品なので忘れずに回収しておく。
岩に叩きつけられて気絶したゴードの処遇に関しては、
「あのクズも腐ってもハンターだし、死んでなけりゃそのうち目を覚まして一人でなんとかするでしょ」
アスティナが吐き捨てるように言ったので、そのまま放置しておいた。
ユーノとアスティナは移動し、河原に簡易的なキャンプを張る。
食料やキャンプ用品は、キャメルモアと呼ばれる陸鳥に積んできていた。
体長は三メートル、体高は二メートルあまり。
体は黄色い羽毛に覆われているが、翼は退化しており飛行能力はない。
代わりに二本の後脚が太く力強く発達しており、陸上移動に特化した生態だ。
アスティナは火を起こし、手持ちの食材で調理を開始した。
さすがにプロの料理人というだけあって、キャンプでの調理にも手は抜かない。
仔牛の薄切り肉、生ハム、セージの葉を重ね、バターとオリーブオイルを入れたフライパンでソテーしていく。
「思い返せばあたしもどうかしてたのよ。相場の半値で護衛を引き受けるなんて、ちょっと冷静になって考えれば裏があるに決まってるじゃない」
「ぉお……肉だ。マジモンの肉だ……!」
「だけどあのときは、どうしてかほいほい鵜呑みにしちゃったのよね。親切なハンターが見つかってラッキー、って軽い感じで。ゴードのやつもあそこまでクズでゲスいやつには見えなかったし」
「やべえ、いい匂いにもほどがあるぞ……!」
「ああもう、思いだしただけでも腹が立つわ! ヘリオルに戻ったらあいつの悪行を言いふらしてやるんだから! おぼえときなさいよねっ」
「めっちゃいい焼き色がついてきた……!」
「って、ちょっとユーノ? あたしの話ちゃんと聞いてる?」
アスティナが唇をとがらせる。
ユーノはフライパンを凝視したまま言った。
「もちろんだ、お肉様」
「自称・肉はそっちでしょうが! まったくもう」
グチをこぼしながらも調理の手は止めない。
「ホント不覚だわ。もしユーノがいなかったら危うくメガドリザードに食べられるか、さもなきゃゴードのクズに食べられるところだったなんて……」
「おかげで俺は肉を食うことができる。結果オーライだぜ」
「全然よくない。あと全然うまいこと言えてないから!」
「先にうまいこと言おうとしたのはお前だろうが……」
ユーノのツッコミはアスティナの耳には届いていないようだった。
そうこうしているうちに料理が完成する。
「な、なんなんだこの料理はっ!?」
さしだされた皿がユーノには光り輝いているように見えた。
「簡易版サルティンボッカよ。ちなみに本物はうちの店の看板料理の一つなの」
胸を張って答えるアスティナ。
「く、食っていいのか?」
「もちろん。生ハムとセージを串で留めてあるから、食べるときに取ってね」
「いただきます!」
言われたとおり串を抜き、フォークを突きたてて豪快にかぶりついた。
「うぉおおおっ! なんだこれ美味すぎるぞっ!」
ミレーニアがこれほど凝った料理を作ってくれたことはついぞなかった。
ユーノは未体験の美食に舌づつみを打ち、しばし夢中で食べつづけた。
「この香草がイカしてるな。肉の美味さを何倍にも引きあげてる気がするぜ」
「そうなのよ! ユーノってばいい舌してるじゃない!」
にわかにアスティナは瞳を輝かせて、
「なにを隠そうそのセージはこのあたりにしか自生してない特別な品種で風味も香りも別格なの! あたしのサルティンボッカに必要不可欠な食材だから今回もいろいろと危険を冒して採取しにきたのよ」
「へえ、そうなのか」
「それなのにあたしのクソ生意気な妹ときたら『どうせ客の九割は馬鹿舌なんだから高価で希少な食材なんて使うだけ無駄』なんてことをしれっと言うのよふざけてると思わない!?」
「お、おう」
「たしかに自分の店を切り盛りしていくにはいくつもの妥協が必要よ。食材の選定にしろ調理の工程にしろ完璧を目指してたらあっという間につぶれちゃうわ。けどなにもかも妥協して利益だけを追い求めるなんて真似あたしは絶対にしたくないの」
「お、おおう」
「自分自身が納得できるレベルの料理を誰もが気軽に食べれる価格で提供する。そういう店、そういう料理人があたしの理想なのよね」
「な、なあアスティナ?」
「うん? なにかしら」
「熱く語ってるところ悪いんだが――食うのを再開していいか?」
アスティナは素早くまばたきをくり返して、
「ッッッ!?」
それまで言葉にこめていた熱が逆流したかのように真っ赤になった。
「ど、どうぞ。召し上がれ……」
よほど恥ずかしかったのか、しばらく口をつぐんで目をあわせようとしなかった。
微妙に気まずい空気だったが、ユーノは食べることに集中した。
◇◇◇
「ふぅ、ごちそうさんっと」
ぺろりとたいらげ、ユーノは両手をあわせた。
「そうだアスティナ、さっきの話だけどな」
ふと口にする。
「俺とお前がこうして出会ったのは『運命』なんだと思うぞ」
「やだ、なにそれ。ユーノってそういう気障なセリフ口にしちゃうキャラだったの?」
「ほかに解釈のしようがねえだろ」
いたって真面目な顔でユーノは言った。
「お前はたまたま普段なら信じないような話に乗っかって、たまたま通りかかった俺に助けられた。しかも一歩遅ければモンスターに襲われていたって絶妙のタイミングだ。これだけ偶然が重なったらそれはもう運命だぜ」
――人と人は『運命』に導かれ出会うべくして出会うのさ。あたしとあんたのようにね。
ミレーニアがことあるごとに語っていた言葉である。
「ふうん? 仮に運命だったとして、あたしとユーノはなんのために出会ったのかしら?」
「さあな。それはいずれ解ることだ。ただまあ、少なくとも悪いことにはならんだろうよ」
「どうして?」
「アスティナはいいやつだからな」
やはり真顔で言うユーノに、
「な、なにそれ。適当なんだからもう」
アスティナは笑って誤魔化すように答えた。
ただしその頬はほんの少し赤くなっていた。
「コーヒー淹れるけど飲む?」
「ああ、頼む」
薬缶でコーヒーを煮立てカップにそそぐ。
カップをユーノにわたすと、自分のぶんも注いで飲みはじめた。
二人はしばし無言でコーヒーをすする。
そんな中、ユーノは焚き火越しにアスティナの顔をじっと見つめていた。
「どうかした?」
「いや、大したことじゃねえんだが」
またもや真顔でユーノは言った。
「お前の顔ってほんと綺麗だよな」
「へっ……?」
アスティナはきょとんとして、
「きゅ、急になに言ってるのよっ!」
「なにって、正直な感想だけど」
ユーノは平然と言ってのけた。
「特に肌が綺麗だよな。ばあちゃん以外の女は初めて見たけど、若い女ってのはだいだいそんな感じなのか?」
「は、はぁっ?」
「俺のばあちゃんも顔そのものは美人の部類だったと思うんだが、いかんせん寄る年波には勝てなくてな。顔にも皺が多くてアスティナとは全然違ってたぜ。っておい、どうしたんだ? なんか顔赤くね?」
「うるさいわね! 誰のせいだと思ってんのよ!?」
ヤケを起こしたようにコーヒーを一気飲みする。
実際、彼女は照れていた。
アスティナの顔は間違いなく美人の部類に入るし、本人も多少ならず自覚している。
ただ、いまみたくストレートに容姿を褒められた経験は不思議となかった。
アスティナに寄ってくる男といえば、二言目には「一発ヤラせろ」だの「俺の女になれ」だの「私の愛人になればいい暮らしをさせてやる」だのとのたまう体目当てのクズばかりだった。
「っていうか」
話と気持ちを切り替えるため、カップをやや乱暴に置いて、
「おばあさん以外の女は初めて見たって、いままで一体どこでどんな生活してたのよ?」
「山にいた。赤子のころばあちゃんに拾われて、一八の誕生日までずっと二人で暮らしてた」
「山ってどこの山よ?」
「あっちの方角だ」
自分が歩いてきた方角を指さした。
「あっちって……ちょっと、まさかヒュペリオン山脈から来たとか言うつもりっ?」
驚きと呆れが半々の表情で言う。
「ああ、そういやそんな名前だったな。とにかくあっちの方角の深い山奥だ」
「嘘でしょ……」
アスティナは乾いた笑いをうかべて、
「ヒュペリオン山脈っていったら、ギルドが指定する危険度極大の特等禁域よ? 複数の真龍が縄張り争いを繰りひろげていて、ひとたび入りこんだら最後、S級ハンターでも生きて帰ってくるのは不可能って噂なのに……」
「どこのどいつだよ、そんな根も葉もない噂を流したのは」
かすかに憤慨してユーノは言った。
「あの山で見かけた真龍は一体だけだし、そいつも俺が一年くらい前にぶっ倒してるぞ。超強かったけどなあいつ」
「ちょ、ちょっと、さすがに冗談でしょ? 真龍を倒すだなんてそんなことできるわけ……」
「なあ、よく解らないんだが」
ユーノは小首をかしげる。
アスティナの態度が純粋に疑問だった。
「なぜ嘘って決めつけるんだ? アスティナは実際、山に行ったこともねえわけだろ」
アスティナはばつが悪そうに視線をそらして、
「ごめんなさい。ユーノのことを疑ってるわけじゃないんだけど……ただ、あたしたちの常識とあんたの常識がものすごくズレてる気がするのよね。一つ確かめたいんだけど、ユーノにとって真龍ってどんな存在なの?」
「やたらとでかくてやたらと強いモンスターの親玉的な」
「あたしたちの常識は全然違うわ」
おごそかな口調で言った。
「真龍はモンスターとは決定的に異なる高次の存在。圧倒的に強大な力を持ち、神の御使いとも意思を持った自然現象とも言われているわ。だからあたしたち人類は真龍を恐れ、敬い、時には崇めてきたのよ」
「言われてみりゃ、俺がぶっ倒した真龍はモンスターと違って死骸が消えなかったな。かといって生物みたいに腐ることもねえし、たしかに変わってるよな」
「変わってるって……。ああもう、話してるだけで頭がくらくらしてくるわ」
目元を覆い、首を左右に振る。
「人類の歴史上、真龍を撃退したことはあっても討伐したことは一度もない。これがあたしたちの常識なのよ」
「ってことは、俺がぶっ倒した真龍は特別に雑魚かったってことか」
「雑魚って……」
アスティナが絶句する。
「つか、山に行って真龍の死骸を自分の目で見てくりゃ一発だぜ」
「民間人のあたしに、S級でも立ち入れない特等禁域に行けって言うの? それこそ冗談がきつすぎるわよ」
「あそこは危険でもなんでもないんだが……」
まだ納得できなかったが、これ以上は水掛け論になることも理解していた。
嫌がるアスティナを強引に連れて行くわけにもいかない。
だいいち、いまさら来た道を引き返すだなんて面倒くさいから却下だ。
「ていうか、山でおばあさんと二人暮らしって言ってたわよね。禁域で孫を育てるおばあさんって一体何者なの?
「本人は元S級ハンターとか言ってたぜ」
「元S級? 名前は?」
「ミレーニアだけど」
「なっ!? ま、まさか『白夜の魔女』ミレーニア?」
「そのあだ名は知らんけど、たしかにばあちゃんは白髪で魔女みたいな女だったぜ。念動力ってスキルを使うしな」
「やっぱり『白夜の魔女』じゃない!」
アスティナは両手で頭をかかえてしまった。
「信じられない……けど、よくよく考えたら逆に筋が通るのかも。ユーノがやたらと強いのも、禁域に住んでいたことも、真龍を倒したって話……は置いておくとしても、『白夜の魔女』の孫ならありえるのかも……」
「ちなみに孫っていっても血はつながってねえぞ」
「でしょうね。『白夜の魔女』に隠し子がいたなんて話、噂でも聞いたことないもの」
ユーノの顔を見つめて、
「ところでユーノって歳はいくつ?」
「一八だけど」
「『白夜の魔女』が突然ハンターを引退して行方知れずとなったのが一八年前。たしかに辻褄は合うわね。――よし、決めたわ」
残ったコーヒーをぐびりと飲み干し、どこか吹っ切れた調子でアスティナは言った。
「助けてもらった恩もあるし、あたしはユーノを信用する。だけど、これは親切心からの忠告よ。ヘリオルに着いたらほかの人にいまの話はしないほうがいいわ」
「なんでだ?」
「なんでって……。ああもう、忠告はしたわよ。したからねっ!」
「お、おう?」
ユーノは頭に疑問符をうかべた。
身の上話を聞かれたら正直に答えるのが当然だ。
それをどう受け止めるかは相手しだいであって、ユーノの関知するところではない。