第2話・肉食
ユーノは自由気ままに旅をつづけていた。
魔法を使えば城塞都市ヘリオルまでひとっ飛びできるが、それではなんだか味気ない。
せっかくの一人旅、はじめての冒険なのだから、あえて歩くことでじっくり楽しむつもりだった。
「おっ、見た目以上にうまいな」
腹が減ったら、そこらへんに自生している果物にかぶりつく。
「そういや、星を見ながら寝るのってはじめてだな」
暗くなれば、やわらかい草むらに寝転んで野宿する。
まさに自由気まま、大自然を満喫する旅だ。
しかし、そんなサイクルが一週間もつづくとユーノは後悔しはじめた。
「肉が食いてえ……」
問題はおもに食事面だ。
いくら甘く瑞々しい果実でも、三食それではさすがに飽きる。
野生動物はいくらでもいるし、下山ルート沿いには川も流れている。
だがユーノは、狩りも釣りもからきし駄目だった。
魔法もその用途にはまったく適さないからお手上げだ。
(考えてみりゃ、山での食い物はぜんぶばあちゃんが調達してくれてたっけ)
肉や魚の調達はもちろん、家庭農園の手入れから収穫まですべてミレーニアがこなしていた。
ユーノが手伝いを申し出ても、
『頼むからやめておくれよ。あんたが来ても役立たずかぜんぶ吹っ飛ばすかの二択なんだからさ』
逆に叱られる有様だった。
そんなわけで狩りや釣りの技能は皆無。
ヘリオルに着くまでのあいだ、動物性タンパク質にありつける可能性はほぼゼロだろう。
(ここは最初の方針を撤回してひとっ飛びするか……。いやでもそれはなんか負けた気がして微妙だぜ……)
うだうだ悩みつつも歩きつづけるユーノ。
「ちょっと待ちなさいよ! そんな話聞いてないわ!」
そのとき、女の声が静けさを破った。
「なんだ?」
ユーノはその方向へと足をむけた。
「落ちつけって、アスティナ。そういきり立つんじゃねえよ」
言い争っているのは若い男と、一〇代後半の少女だ。
怒り心頭の少女に対し、男はヘラヘラ笑ってなだめようとしている。
「クエスト報酬の半分を体で払えだなんてどういうつもりよ! しかも契約時には隠しておいていまさら後出しで言いだすなんて!」
アスティナと呼ばれた少女は、青い瞳で相手をにらみ返す。
化粧っ気はないが顔立ちはかなり整っている。
長い脚に、旅装の上からでもはっきりとわかる豊かな胸。
金髪の長いポニーテールも相まって、かなり快活な印象をうけた。
「あんたには恥ってものがないの、ゴード!」
「べつに隠してたわけじゃねえよ。聞かれなかったから答えなかっただけだ」
相変わらずヘラヘラと応じるゴード。
長身で筋肉質な体。
一見して鍛えていることが解るが、その上に乗っかった顔は造りからして軽薄だ。
(あれ、放っておくのはまずくね?)
全体の状況を把握したユーノは、ひとまず二人に近づくことにした。
その間もアスティナとゴードの言い争いはつづく。
「冷静になれよ、アスティナ。なにも俺の妻になれって言ってんじゃねえ。一晩だけ相手してくれりゃいいんだよ」
「あんたね、いい加減にしなさいよ……!」
「そんなに悪い話かよ? 言っとくが今回のクエスト報酬の半分つったら、ヘリオルの高級娼館に行っても余裕でお釣りがくる大金だぜ?」
「ふざけないで! あたしは娼婦じゃなくて料理人よ!」
(うーん。やっぱどう考えてもまずいよなぁ)
だいぶ距離が近づいてきたが、二人ともまだユーノの存在には気づかない。
「そこまで強情張るってんなら、俺にも考えがあるぜ。クエスト報酬は半額しかもらってねえから、護衛の任務もここまでだ。あとは一人でなんとかしな」
「なっ!? 待ちなさいよ! 不足分のお金ならヘリオルに戻ってから払うわ!」
「いいやダメだ。護衛をつづけてほしいなら、報酬の半分は今日の夜まで支払ってもらう。ま、俺も鬼じゃねえからな。金で払うか体で払うかは選ばせてやるよ」
「このクズ野郎ッ! あんたそれでもハンターなの!?」
「なんだと? おい、口の聞き方に気をつけろよ」
しびれをきらしたゴードがアスティナの腕をつかんだ。
(でもこういう場合って、無関係な俺がいきなりでしゃばっていいのかね?)
なにしろ生まれてこのかた、ミレーニア以外の人間と接するのは正真正銘はじめてだ。
ユーノは必要以上に慎重になっていた。
「離して! 離しなさいっ!」
アスティナが大声をあげる。
ここでユーノは割って入った。
「あー、すまん。取り込み中に悪いんだが」
「「っっ!?」」
自分たち以外の人間がいるとは思っていなかったのか、二人は驚いてふり返る。
「な、なんだてめえはっ?」
悪事の証拠を隠すように、ゴードはあわてて手を離した。
しかしユーノの外見を目にすると、表情から動揺が消えた。
代わりに薄ら笑いと居丈高な態度が表にでてきた。
「てめえには関係ねえことだ。痛い目みたくなきゃとっと失せな」
ユーノの見た目から、脅せばなんとでもなる相手と判断したようだ。
まあ無理もない。
ユーノの体形は中肉中背で、ローブの上から一見しただけでも筋肉質でないことは明らかだ。
身長も一六五センチほどのユーノに対して、ゴードは一八〇近くある。
この世界ではめずらしい黒髪と黒目、それに全身をすっぽり覆った漆黒のローブはちょっと異様だが、強そうとはまったく思えない外見だった。
「いや、このままだと痛い目みるのはそっちだと思うんだが」
ユーノは少しもビビることなく言った。
ゴードがいっそう喧嘩腰になる。
「あぁん? まさかてめえ、そのナリで俺とやりあおうってのかぁ?」
「後ろ」
「あん?」
「後ろを見ろ」
ユーノは顎でゴードの背後を示した。
「おいおい、なんだそりゃ? そんな古典的なひっかけにこのゴード様が釣られると思ってんのか? あぁ!?」
顔を近づけてメンチを切る。
ユーノは嫌そうに顔をそむけ、ため息をついて言った。
「だから後ろを見ろって。あと口が臭えぞ」
「てめえっ!」
ゴードが拳をふりあげる。
いっぽう、ユーノの異様な冷静さに毒気をぬかれていたアスティナは、言われるがまま背後をふり返っていた。
その彼女が血相を変えて叫んだ。
「ゴード! メガドリザードがいるわっ!」
「なっ!?」
反射的にふり返ったゴード。
彼の視線の先には、茂みの奥から様子をうかがうモンスターの姿があった。
全長一五メートルあまりのトカゲに似たモンスター、メガドリザード。
最大の特徴は全身をくまなく覆う、先端が刃物のごとく尖った鱗だ。
特殊な能力こそ持たないものの、見た目以上の素早さと見た目通りの耐久力を誇り、ヘリオルのハンターズギルドでは「中型モンスターを代表する一種」に認定されていた。
「だから言っただろ。後ろを見ろ、って」
一歩下がってユーノがつぶやく。
そもそも最初から、二人の諍いを仲裁するつもりなどなかった。
モンスターの存在に気づいたので、注意をうながすことが目的だった。
「くそっ! こんなときに出くわすなんて間が悪い――いや待てよ、違うな」
舌打ちをしたゴードだったが、ふいに唇の端をつりあげて、
「おいアスティナ! 俺がこいつを倒したらさっきの条件は断れねえよなぁ?」
「ちょっと、一人で戦うつもりなのっ?」
「当たり前だろ! 今夜が楽しみだなぁ、アスティナァッ!」
勝手に話を決め、ゴードはがぜんやる気になった。
ユーノとアスティナから離れ戦闘態勢をとる。
メガドリザードも彼を脅威とみなしたのか、体の向きを変えて狙いをさだめた。
ゴードは両足をひろげて腰を落とし、両手を引き絞るような構えを見せる。
シュルシュルと、左右の掌のあいだに周囲の空気が吸引されていく。
「喰らいやがりな! ゴード様必殺の『空気砲』をよォッ!」
両手を勢いよく前方に突きだす。
ボッ! 同時に圧縮空気の塊が撃ちだされた。
メガドリザードの頭部に着弾。
だが敵は少し怯んだだけで、大したダメージを受けた様子もなかった。
「くそがっ! さすがに硬えじゃねえか! だがなァッ!」
ゴードは同じ構えをとり、ふたたび空気砲を発射する。
攻撃を浴びながらも、メガドリザードは茂みから進みでた。
一歩ずつ、じっくりと獲物を追いつめてような動き。
ゴードの空気砲は進行を止められず、彼我の距離はしだいに狭まっていく。
当初は興味津々で観戦していたユーノだったが、
(おいおいおいおい、どういうことだよこれは?)
いてもたってもいられず隣のアスティナにたずねた。
「なんであいつ、本気でやらずに遊んでるんだ?」
「は? 遊んでるって……?」
「だってあいつハンターなんだろ」
「ええ。人格はともかく、ギルドに所属するれっきとしたC級ハンターよ」
「だったらあんなクソ雑魚モンスター瞬殺できんだろ。なに考えてるのか知らんが、いつまで遊んでるつもりだよ」
アスティナは柳眉を逆立てて、
「あんたこそさっきからなに言ってるのよ! ゴードは本気に決まってるじゃない! ただでさえC級ハンターが一人でメガドリザードに挑むなんて無謀なんだから!」
「は……? あれで本気とか、嘘だろ……?」
愕然とするユーノだった。
(いやいや待て待てこいつがたまたま超絶弱いハンターって可能性もあるだろ。いやでもC級ってことはS・A・Bの次で上から四番目ってことだよな。それでこの弱さっていくらなんでも酷すぎんだろ限度超えてんぞ……)
などと考えていたところ、
「がふッ!?」
メガドリザードが飛びかかり、ゴードを口にくわえる。
そのまま大きく首を振ってゴードの体を投げ飛ばした。
「ぐげぼッ……!」
ほぼ一直線の軌道で近くの岩へと叩きつけられ、ゴードはひとたまりもなく意識を失った。