第19話・将来
翌日の昼前に、ユーノたちはヘリオルに帰還した。
キャメルモアを返却し『アテンツィオ』へと直行する。
「よかった。二人とも無事に帰ってきたのね」
ユーノたちを出迎えると、アスティナはほっと息をついた。
「当たり前だろ。まったく、姉さんは心配性なんだから」
「頼まれてたローズマリー、ちゃんと採ってきたぜ」
ユーノが袋を手渡す。
「ありがとう。ユーノもお疲れ様だったわね。今日はお店も休みだから、このままお昼食べていって。お風呂も沸かしてあるから、良かったらそっちもどうぞ」
「気がきくね。それじゃ、さっそく入ろうかな」
アスティナが口をとがらせる。
「ちょっとアクセラ。こういうときはお客さんが優先でしょう?」
「今日のユーノさんってお客さんなの? 長旅で疲れてるのはボクも一緒なんだけどなぁ」
ユーノが口をはさんだ。
「俺はべつに後でも構わないぜ。いまは風呂より飯って気分だしな」
「ユーノさんならそう言ってくれると思ったよ。それじゃね」
アクセラは二階へと上がっていった。
「めずらしいわね。あの娘があたし以外の人と親しげにしてるなんて、初めて見たかも」
「そうなのか? 話してみると意外といいやつだったぜ」
「本当に? そう言ってもらえると、姉として一安心だわ。なんだか年々生意気になって、あたしのことも軽んじてるんじゃないかって気がしてるのよね」
「いいや、それだけは絶対にねえよ」
ユーノは断定口調で言った。
「それよか腹が減ったぜ。さっそく飯頼んでもいいか?」
「もちろん。今日はなににする?」
「肉」
「はいはい。そう言うんじゃないかと思ってたわ」
ため息をこぼすアスティナ。
しかし厨房へむかう足取りは、ステップを踏むがごとく軽やかだった。
アスティナはてきぱきと調理していく。
まずはフライパンにオリーブオイルを入れ、黒豚のロース肉を焼く。
両面に焼き色がつくと白ワインを投入。
アルコールを飛ばしたら、豚肉はフライパンから取り出す。
つづけてソース作りだ。同じフライパンにバターと生クリーム、みじん切りにした香草各種を投入する。
白いソースをとろみが出るまで煮詰めたら、塩胡椒で味をととのえて完成だ。
「黒豚の香草クリームソースよ。ユーノたちが採ってきてくれたローズマリーもさっそく使わせてもらったわ」
「おおっ! 相変わらず美味そうだな!」
手を合わせてユーノは食べ始めた。
(いつもながら、本当に美味しそうに食べるわよね)
思わず口元がゆるみそうになる。
自分でも理由はよく解らないが、ユーノが手料理を食べている姿を見ているとなぜか心が安らぐのだった。
ちょうどそのとき、風呂から上がったアクセラが一階に下りてきた。
「アクセラもお昼食べる?」
「そうだね、もらおうかな」
厨房に戻るアスティナ。
飲み物でも欲しいのか、アクセラも一緒についてくる。
彼女は出し抜けに口を開いた。
「姉さん。本当にユーノさんと結婚する気はないの?」
「……またその話? ないって言ってるじゃない、まったくもう」
同じ話題も二度目となれば、いかにアスティナとて耐性はつく。
だが、次の不意打ちは予想もできなかった。
やおらアクセラは顔を近づけ、耳元でこうささやいたのだ。
「それじゃ、将来ボクがもらっちゃっても構わないよね」
「なッ――!?」
アクセラが生まれてから一四年間、同じ屋根の下で一緒に暮らしてきた。
それなのに、知らなかった。
理知的で大人びている妹が、こんないたずらっぽい笑みをつくれる娘だったなんて。
「なっ、なな、なに言ってるのよ。だいたいあなたまだ一四歳でしょ?」
「だから将来って言ったんだけど」
「じょ、冗談よね?」
「いやだな、姉さん。ボクはそういう冗談を口にするタイプだった?」
確実に違うと断言できる。
こと自分の恋愛に関して、アクセラがなにかひと言でも口にした記憶はない。
「本気……なの?」
「それが、まだよく解らないんだよね。自分の気持ちが本当はどういうものなのかさ」
胸に手を当ててつぶやく。
「でも、それは姉さんだって同じなんじゃない?」
「あ、あたしはっ……」
心臓の動悸が激しくなる。
モンスターと対面した時ですら、ここまで動揺しなかった気がする。
「ふぅ、なんかすっきりした。姉さんに黙ってるのも悪い気がしたからさ」
そこでユーノが声をあげた。
「なあ。さっきから二人して、なにこそこそ話してんだ?」
きょとんとした表情。
会話の内容はまったく耳に届いていないようだ。
「あぅ……」
気が動転して口をパクパクさせるしかないアスティナ。
対してアクセラは平然と答えた。
「なんでもないよ。女どうしの話」
「ふぅん。じゃ、俺には関係ねえな」
アスティナは心の中で叫んだ。
(思いっきりあるわよッ!)
アクセラはほんのりと微笑をうかべて、
「それはそうと、ユーノさん。これからもよろしくね」
「ん? おう、こちらこそ」
最後にアスティナを横目で一瞥して、アクセラは冷蔵庫にむかった。
なんの勝負かは知らないが、この場は完全に「負けた」という気がした。
「それにしても、この肉マジでうめえな……!」
他人事のように食べつづけるユーノが、いまは無性に腹立たしかった。
(なによもうっ! 人の気も知らないでっ!)
◇◇◇
A級ハンター・スラッジは、どん底の気分だった。
原因は言うまでもない、一週間前のイアペトス荒野でのクエストだ。
ヘリオルに帰還したあとは、ギルドへの報告義務がある。
その報告の内容をめぐって、パーティー内で一悶着が起きた。
端的に言えば、スラッジ以外の全員が「ありのままを説明する」と主張した。
Z級がマレウステイルを討伐したなどという馬鹿げた与太話を、ギルドへの正式な報告書に記そうとしたのだ。
当然スラッジは猛反対した。
――Z級に命を救われたなどと認めたら、パーティー全員の恥になる。
――自分たちの評価はがた落ちし、今後の活動にも支障がでる。
――第一そんな荒唐無稽な報告をしても、ギルドに無用の混乱をもたらすだけだ。
――だから、報告書には次のように書くべきだ。
――俺たちは誰の助けも借りずに死力を振り絞って戦い、最終的には逆転勝利を収めたと。
しかし、パーティーのメンバーは頑なだった。
誰一人として賛同せず、しまいにはスラッジを痛烈に批判しだした。
「リーダーは自己保身のために、嘘の報告をするつもりとしか思えません」
「俺たちはあのZ級に命を救われた。それは紛れもない事実じゃないっすか」
「それを隠蔽しようとするなんて……。正直、見損ないましたよ」
「悪いけど、あなたにはもう付いていけません」
結局スラッジの提案は毛ほども受け入れられず、彼らが言うところの「事実」を記した報告書はギルドに提出されてしまった。
あとで知ったが、その中にはスラッジが隠蔽工作を画策したことも含まれていた。
そこからどん底の日々が始まった。
スラッジの評判は失墜し地に落ちた。
ヘリオルに帰還後、ギルドの治療施設に入院することになったが、見舞客は連日ゼロ。
あのクエスト以前なら、はるかに軽傷でもファンや仲間が駆けつけてくれたはずである。
訪問者といえば、見舞いを装ってスラッジをあざ笑いに来たA級ハンター一名のみ。
もちろんそいつは即座に追い返してやったが、屈辱的なことこの上なかった。
重傷を負った肉体に関しては、ヘリオルに帰還した時点でなんの心配もしていなかった。
ギルドの治療技術はきわめて優秀だ。
竜石を原材料に精製する、ギルド謹製の万能治療薬。
この薬の驚異的な回復力と、A級ハンターならではの強靭な自己治癒力が組み合わされば、一週間で全快して現場復帰できるという診断だった。
実際、体の傷は日を追うごとにみるみる回復していった。
しかし、心の傷は事情がまったく違う。
日に日に傷口はひろがり、全体がジュクジュクと化膿していくようだった。
診断どおり一週間で退院した時には、スラッジの悪行はヘリオル中にすっかり知れ渡ってしまっていた。
あの場に現れたのが噂のZ級だったというのが、これまた最悪の取り合わせだった。
実のところスラッジは、会ったこともない彼を散々叩いてだしにしていた。
――金でライセンスを買うなんて、彼には恥の概念がないんだろうか。
――Z級がクエストを受けようだなんて厚顔無恥もはなはだしい。
――ハンターと名がつけばみんな一緒だと、根本的な勘違いをしてるんだろうな。
――もし彼がパーティーに入れてくれと頼んできたら? そんなの、どれだけ大金を積まれてもお断りだ。
それらの発言が、何倍にもなって自らに返ってきた形だ。
見下していた相手に助けられた恥ずかしいやつ。
それなのに、助けられたことを隠蔽しようとした恥知らず。
どこへ行っても、なにをしても、スラッジは針のむしろだった。
最悪な気分をまぎらわすには、自宅にこもって昼間から酒をあおるしかない。
大量のアルコールは心の膿と溶け合い、どす黒い憎悪を醸成した。
――誰が悪い? 誰のせいでこうなった?
――恩を忘れて自分を裏切ったハンターたちか?
――与太話を真に受けた馬鹿なギルドの幹部か?
……いや、違う。
『無茶な真似はやめたほうがいいぜ。あんまし強くねえんだからよ』
脳裏に、あの男が投げつけた台詞が再生された。
思いだしただけではらわたが煮えくり返り、目の前が真っ赤になる。
ただでさえ許しがたい暴言なのに、よりにもよってZ級の能無しが、A級の中でもトップクラスの自分にむかって口にしたのだ。
これはもう、万死に値する……!
そうだ、あの黒ローブのZ級こそが諸悪の根源だ。
名前はたしかユーノとか言ったか。
そもそもやつがあの場に現れなければ、こんなことにはならなかった。
絶対に許さない。必ず復讐してやる……!
スラッジの憎悪は発火点を超え、身を焦がさんばかりに燃えあがった。