第16話・姉妹
ヘリオルを発ったユーノたちは、キャメルモアに乗ってひたすら西をめざした。
草原をひたすら進んでいく。
キャメルモアの時速は一五キロていどだが、意外に横にゆすられる。
慣れていないユーノは油断すると酔いそうになった。
それなのに――
「この状況でよく本なんか読めるな」
出発してからずっと、アクセラは持参した本を読んでいた。
ユーノと同じくキャメルモアにゆられているが、いつも通りのすまし顔だ。
「逆に読書以外になにをするのさ。景色なんか見てたってなんの得にもならないしね」
「時間を無駄にするのは馬鹿のすること、か?」
アクセラがわずかに驚いた顔を見せた。
「意外だね。ボクと同じ意見の持ち主だとは思わなかったよ」
「お前の背中に書いてあったぞ……」
「なんのこと?」
アクセラは首をかしげた。
これに関しては本当に心当たりがない様子だった。
黙々と進む。
ユーノはぼんやりと景色を眺めていたが、行けども行けども代わり映えのしない草原だ。
たしかにこれはなんの得にもならない。
退屈まぎれにアクセラに声をかけた。
「なあ、話してもいいか?」
「どうぞご自由に」
ページをめくりながら言う。
「ただし、ボクが答えるかどうかは保証できないけどね」
最悪そうなっても黙って景色を眺めているよりはマシだ。
ユーノは口を開いた。
「都市の子供は学校って施設に通うって話だよな? お前は行ってないのか?」
ちなみに今日も明日も明後日も平日だ。
「行ってないし、行く必要がない」
即答するアクセラ。
ただし目線は手元に本に固定されたままだ。
「高い授業料を払って自分より頭の悪い教師の話を聞いて、一体なにを勉強できるのか教えてほしいよ」
「てことは、勉強は独学なのか?」
「もちろん。図書館に行けば本はタダでいくらでも読めるんだからさ」
さすがは「かなり」「とても」頭が良いと自認するアクセラだ。
ユーノは話の方向性を変えることにした。
「アスティナと姉妹二人で暮らしてるんだよな。両親やほかの家族はいないのか?」
「いないね。父さんと母さんは一〇年前の第六次大規模侵攻の際、眷属に襲われて亡くなったんだ」
「ええっと、もしかして悪いこと聞いちまったか?」
「ぜんぜん。気にしなくていいよ。なにせ当時のボクは幼すぎて、両親が死んだってことがよく解らなかったからね」
「それにしても大変だったんじゃねえのか?」
アクセラは本から顔をあげて、
「ボクはべつに。大変だったのは姉さん一人だよ。一〇歳からほかの料理屋で下働きを始めて、必死に調理技術を学んで、一六歳で両親の店を継いで営業を始めたんだ。ああ見えてかなりすごい人なんだよ、ボクの姉さんはさ」
「へえ、そうだったのか」
ユーノは感心して言った。
「でも、そこは『かなり』じゃなくて『ものすごく』って言ってもいいと思うけどな、俺は」
「……『ものすごく』すごいって、文法的に変だよそれ」
アクセラはぷいと目線をそらし、ふたたび読書に戻ってしまった。
一日目は移動のみに費やした。
休憩や昼食を挟み、ヘリオルから四〇キロほど進んだ地点でキャンプを設営する。
まもなく日が暮れ、二人は夕食をとることにした。
「適当な缶詰を温めて食べて。あとそっちの袋にパンと干し肉が入ってるから」
姉とは違い、アクセラは料理はからきしのようだった。
まあ昼食の時点でほぼ判明していたことなのだが。
「アスティナから料理習ったりしねえのか?」
「しないね。ボクは姉さんと違って料理が好きじゃないし、味の違いもよく解らない。バランス良く栄養を摂取することは重視しているけど、時間をかけて調理する気はさらさらないね」
アクセラは一定のペースで缶詰スープを口に運ぶ。
その動作は食事というより補給という感じだった。
「ってことは、将来店を一緒にやる気はない?」
「もちろんさ。せっかく頭が良いんだから、この能力を活かさない手はない。ボクは将来ギルドの幹部になるつもりだよ。まずは採用試験を突破して、そこから出世を重ねて、最終的な目標はギルドマスター代行かな」
「ギルドマスターじゃなくてか」
「マスターは元ハンターしかなれない象徴的な役職だからね。事務方のトップは代行のほうなのさ」
「そうなのか。でも、いまの代行って貧相で悪趣味なおっさんだぜ。お前あんなのになりたいのか?」
「悪趣味なのはさておき、あの人は決して無能じゃないよ。ま、ボクのほうが上手くやれる自信はあるけどね」
自惚れているわけではなく、事実を淡々とならべるような口調だった。
「つか、なんでギルドの幹部になりたいって思うようになったんだ?」
「そんなの決まってるじゃない」
きょとんとしてアクセラは言った。
「安定した身分かつ高給取りだからだよ」
どこまでも現実的でドライな少女だ。
ユーノはそう結論づけようとしたが、ちょっと待てよと思う。
昼間に聞いた姉妹の身の上話が、ここへきて頭の中で結びついたのだ。
「なるほどな。そういうことか」
「なにが?」
確信を持ってユーノは言った。
「ギルドで出世してたんまり稼げば、姉ちゃんにも楽をさせてやれる、ってわけだろ」
「なっ――」
アクセラは目に見えて動揺した。
「な? 俺の推理、当たりだろ?」
「ち、違うよ。この話をしてそんな反応されたのは初めてだから、少し驚いただけ」
「なんで誤魔化す? 立派な動機だと俺は思うぜ」
「だから違うってば。だいたい、楽をさせるだなんて烏滸がましい。ボクはただ、これ以上姉さんに苦労をかけたくないだけだよ」
「それって同じことじゃねえの?」
「…………」
アクセラはむっつりと黙りこんで、誤魔化すように缶詰スープを混ぜだした。
これでは、そのとおりだと認めているに等しい。
(なるほどなぁ、アクセラってそういうやつだったのか)
彼女の本音が解って、ユーノとしては満足だった。
◇◇◇
簡素な夕食をすませると、あとはもう特にすることはない。
ユーノは寝袋にくるまって夜空を見上げる。
アクセラはランプの灯りを頼りに相変わらずの読書三昧だった。
聞こえてくるのは、焚き火のはぜる音と虫の鳴き声。
あとは規則的なページをめくる音のみだ。
静かな夜がふけていく。焚き火もじきに消えそうだ。
ユーノは大きなあくびをし、そろそろ寝るかと考える。
パタン。同じく寝るつもりなのか、アクセラが本を閉じた。
ところが彼女は寝袋にむかわなかった。
「あのさ」
ユーノを見つめてぽつりと言う。
「この前は姉さんを助けてくれてありがとう。ユーノさん」
思いがけないことに頭まで下げた。
「どうしたんだよ、急にあらたまって。俺は単に通りがかっただけだぜ。感謝するなら、俺とアスティナを引き会わせた『運命』にでもしとくんだな」
「なにそれ。その返しはさすがに予想外だよ」
くすりと呆れまじりに笑う。
そのときアクセラは、胸のつっかえが取れたような表情をのぞかせていた。
ユーノはふと思う。
(もしかして、これが本当の目的だったとか?)
香草は自分が採ってくると言いだし、ユーノを旅の護衛に指名したのは、万が一にも姉に聞かれない場所でお礼を言うためだったとしたら――
「アクセラ。お前って何気に可愛いところあるんだな」
ニヤリと笑って言う。
「…………」
アクセラは視線をあわせず、無言のまま寝袋に入ると、
「やめてよね。身の危険を感じるって言ったじゃないか」
背をむけてつぶやいた。
(そういや、名前で呼ぶのも呼ばれたのもこれがはじめてだな)
今日一日で、アクセラのことがいろいろと知れた。
頭が良くて、物事に動じず、感情表現にとぼしい。
料理には興味がなく、将来はギルドの幹部をめざしている。
基本的にアスティナとは似ていない。
だが、照れ隠しがあまり上手くない点は、間違いなく姉ゆずりだった。