第15話・手玉
明朝八時。
ユーノが『アテンツィオ』の前に立つと、はかったようにドアが開いた。
旅装姿のアクセラが出てくる。
「なんていうか、俺が来るのが解ってたようなタイミングだな」
「もちろん解ってたよ」
事もなげに言って、店の二階の窓を指さす。
「窓から見てたからね。その変な格好は遠くからでも解りやすくて助かったよ」
「どこが変な格好なんだ?」
自分の黒ローブをながめてつぶやく。
「……まあいいけど。それじゃ行こうか」
そのとき、二階の窓が開いてアスティナが顔を出した。
寝起きなのか、長い金髪のあちこちが跳ねていた。
「ちょっとアクセラ! 声くらいかけてから行きなさいよねっ!」
「起こすのも悪いと思ってさ。今朝まで仕込みをしてたんだろ? 姉さんに心配されなくても、ボクは無事に帰ってこれるよ」
その言葉を挨拶代わりに、アクセラはさっさと歩きだした。
「ユーノ。あんな妹だけどよろしくね!」
「おう、まかしとけ」
アスティナに手を振るとユーノも出発した。
アクセラの背中を追いかける。ユーノより小柄だがかなりの早足だ。
まるで「時間を無駄にするのは馬鹿のすること」と背中で語っているようだった。
目的地のイアペトス荒野はヘリオルの西、五〇キロの先にある。
クレイオ森林の時と同じく、ユーノは魔力推進器でひとっ飛びしようと思っていたが、
「キャメルモアを予約しておいたから、それに乗っていくよ」
移動手段はアクセラが手配していた。
空の旅は楽で早いが味気ない。ユーノは特に反対しなかった。
馬車に乗ってヘリオルの西門へ。
キャメルモアの乗り場へ行き、アクセラが予約券を係員に渡す。
二人は三日間の期限で二羽を借り受けた。
「おいコラ、どういうことだ! 払い戻しができねえだと!?」
二人がキャメルモアに乗ろうとしたとき、窓口から怒声が聞こえてきた。
いかにもガラの悪いヒゲ面の男がなにやらモメている様子だ。
窓口の受付嬢は怯えを表に出すまいと対応する。
「ですから、再三説明していますように、ギルドの紋章印がない予約券につきましては払い戻しの対象外となります」
「ハァッ!? ふざけてんのか、そんなのそっちのミスだろうがよ!」
「ですが規則で……」
「なにが規則だ! 俺は俺の金を返せって言ってるだけだぞ! おかしいだろ! 天下のギルドがこんな詐欺みてえな真似して許されると思ってんのかよ!」
男の態度はもはや恐喝に近かった。
ふと気がつくと、ユーノの横にいたアクセラの姿がない。
子供特有のすばしっこさで、いつのまにかヒゲ男の下から手を伸ばしていた。
「ちょっと見せて」
「あっ――!?」
手にした予約券にすばやく目を走らせる。
ちなみに窓口には同じものが計五枚重ねられていた。
ヒゲ男は呆気にとられたのもつかの間、
「なんだこのガキ! 返しやがれっ!」
乱暴に予約券を取り返す。
だがアクセラはいっさい動じない。
つまらなそうに男を見返して言った。
「それ、偽物だよね」
「なっ――!? なにを根拠に言ってやがる!」
「根拠? 紋章印がないってだけで充分すぎるくらいだけど」
ヒゲ男の予約券を指さして、
「紙質は上手く似せてあるけど、本物の予約券とは文字のフォントがぜんぜん違うんだよね」
「しょ、証拠はあるのかよ!?」
「ギルド側で調べてもらえばすぐに解るよ。でもいいのかな、受付のお姉さんを脅して騙して、お金だけ奪ってあとはトンズラっていう当初の計画が台無しになっちゃうけど」
「ななっ…………!」
ヒゲ男は蒼白になり絶句してしまう。
犯罪の手口を白日のもとにさらされ、先ほどまでの威勢はどこにもない。
窓口の受付嬢が席を立つ。間違いなく警備の人間を呼びにいったはずだ。
「あのさぁ、おじさん」
追い打ちをかけるように、心底憐れんでアクセラが言った。
「馬鹿の浅知恵なんか通用するわけないんだから、諦めて真面目に働きなよ」
「こんのっ、クソガキがぁッ!」
ヒゲ男が拳を振りあげる。
その行動は予測ずみだったのか、アクセラはひと足先に駆けだしていた。
ユーノの背中に隠れながら言う。
「って、この人が言ってたよ」
「え、俺?」
「野郎ッ!」
ヒゲ男の拳がユーノの顔面に叩きこまれる。
だが、こういう時のための魔力反射鏡だ。
この魔法はスキルのみならず物理攻撃にも対応していた。
バキッ。たとえ普通の物を殴ったとしても拳には反作用が伝わる。
魔力反射鏡を殴った場合、本来相手に伝わる衝撃まで返ってくる。
生身の人間の指は存外にもろい。
ヒゲ男の右手は複雑骨折の憂き目にあった。
「痛ってぇ!? 痛え、痛えよチクショウがぁっ……!」
右腕を押さえてのたうちまわる。
ほどなくして警備員が現れ、ヒゲ男は現行犯逮捕となった。
「姉さんの言ってたとおりだ。本当に強いんだね」
「お前、いつもこんなことしてんのか?」
「まさか。普段なら警備員なり自警団なりに通報して終わりだよ。だけど今日に限っては、挑発したほうがボクにとって好都合だったからね」
「それってつまり――」
アクセラの言わんとしていることを察して、ユーノは内心舌を巻いた。
ヒゲ男の不正をひと目で見抜いただけではない。
彼を巧みに挑発することでユーノの実力も試したのだ。
若干一四歳にして大の男を軽々と手玉にとるとは、実に末恐ろしい。
「お前ってもしかして頭いいのか?」
「『もしかして』は余計だよ」
淡々とした口調で答える。
「仮に修飾語を付けるとしたら『かなり』か『とても』が妥当かな。『ものすごく』や『とてつもなく』だとさすがに自惚れがすぎるからね」
ユーノは空いた口が塞がらなかった。
いや、たしかに「かなり」「とても」頭が良いのだろう。
それは解る。それは認める。
しかしだからと言って、自分で堂々と言うか、普通?
「お前、可愛くねえガキだな」
「それはどうも。ボクのほうも一安心だよ」
キャメルモアの羽をなでながら言う。
「可愛いなんて言われたら、旅のあいだじゅう身の危険を感じるところだった。あなたが少女好きの変態じゃなくて本当に良かったよ」
ああ言えばこう言う。ユーノは返答に窮してしまった。
そういえばアスティナは妹と口論になった時、早々に自ら矛を収めていた。
彼女の心境が、いまは手にとるように解った。
「ところでさ、乗せてくれない?」
「は?」
「キャメルモアにだよ。ボク一人じゃ届かないもの」
この少女、本当に大したタマである。