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第12話・魔法使いの受肉

 ――時をさかのぼること一八年前。

 S級ハンター『白夜の魔女』ことミレーニアは、ヒュペリオン山脈を単独で冒険していた。

 この時ミレーニアは四七歳。

 肉体の全盛期はとうに過ぎて久しいが、固有スキル『念動力』は歳を重ねるごとに強さを増していた。

 ハンターとしてはいまが全盛期。

 怖いものなしのミレーニアは、ギルドが指定した特等禁域に足を踏み入れたのだった。


 後になって考えてみれば、自分でも無謀すぎる行動だったとは思う。

 いかにミレーニアが史上最強のハンターであっても、真龍が本気で襲いかかってきたらひとたまりもない。

 長年の相棒にして現ギルドマスターであるカペラも、今回の冒険には猛反対していた。

 結局、しまいには彼女は物理的に立ちはだかったので、ミレーニアも物理的にねじ伏せてヘリオルを発ったわけだが。


 なぜ、そうまでしてヒュペリオン山脈をめざしたのか?

 前から計画していたことでもない。

 特別な目的があったわけではない。

 それなのに、ミレーニアをこの無謀な冒険に駆りたてたものは――


(やっぱり「運命」だったんだろうねぇ)


 のちにミレーニアはそう述懐している。

 だがこの時は、自身の内にある奇妙な衝動を言語化するには至らなかった。

 ミレーニアはヒュペリオン山脈の奥へ奥へと突き進んでいく。

 そして、彼女は出会った。


 自身の運命――巨大な黒き一体の龍に。


「ッッ…………!?」


 自他ともに認める史上最強のハンター、百戦錬磨で強者との戦いが三度の飯よりも好きなミレーニアが、この時ばかりは凍りついて息も継げなくなった。


 真龍。真なる龍。

 人間ともモンスターとも異なる上位存在。

 長年にわたる研究の結果、人類は真龍を三つの階級に分けていた。


 第三位階、座天級真龍。

 二枚一対の翼を持つ、世界の守護者。

 

 第二位階、智天級真龍。

 四枚二対の翼を持つ、因果の調停者。


 第一位階、熾天級真龍。

 六枚三対の翼を持つ、万象の超越者。


 そして現在、ミレーニアに巨大な影を落としている真龍は、六枚の翼を有していた。

 すなわち最上位の熾天級真龍――


(まさか、黒龍『ファトゥムフェタル』のお出ましとはねっ……!)


 伝説の中の伝説。

 歴史上、熾天級真龍が人類の前に姿を現したのは一度きり。

 一〇〇〇年前の星震大戦が最初で最後だった。

 これまでは。いまこの時までは。


 原則として、真龍は人類の敵でもなければ味方でもない。

 接触機会の多い座天級真龍とは稀に戦闘が発生するが、それは人類側に原因があることが大半だ。

 真龍は自らの使命――存在理由の遂行にしか興味がない。

 強大すぎる力を持つ彼らは、根本的に人類を「相手にしていない」のだ。

 しかし、この黒龍は――


(殺られるッ――!)


 全身の肌が粟立ち、生存本能が最大級の警鐘を鳴らした。

 次の瞬間、ミレーニアは全力でスキルを発動していた。


 ――念動奥義『一六紋八重綾織結界』。


 ミレーニア最大最強の防御技。

 合計一二八枚の結界を多重に張りめぐらせる絶対守護の奥義だが――


 バギギギィンッ!

 一二八枚の結界が一瞬で叩き割られ、ミレーニアは地面に叩きつけられた。


「がッ……!?」


 同時に周囲の地面が広範囲にわたって一〇〇メートル以上も陥没する。

 重力の操作。

 黒龍は一瞬にして、通常の一〇〇〇倍という途方もない重力空間をつくりだしたのだ。

 しかし、黒龍は特に動きらしい動きは見せていない。

 単にミレーニアを「ひと睨み」しただけ。

 眼光のみでこれほどの事象を引き起こせるのが、万象の超越者たる熾天級真龍だった。


 重力が通常の状態に戻る。

 ミレーニアはすでに虫の息だった。

 全身の骨が砕け、肉が裂け、臓器もことごとく潰れていた。

 目、耳、鼻、口とあらゆる箇所から血がほとばしる。

 右の眼球が破裂し、脳にも深刻なダメージを負っていた。


「がはッ……! ぐぅぅッ……!」


 それでもミレーニアは、念動力で自分の体を無理やり動かして立ちあがった。

 首をもたげ、残った左目で黒龍を睨み返す。


 たしかめるまでもなく致命傷だ。

 念動力で救命措置をつづけても、もってあと十数秒の命だろう。

 死ぬことは怖くない。

 だが、理由もなく殺されるのはまっぴら御免だった。


「なめるんじゃ……ないよッ!」


 ミレーニアは精神力をふりしぼり、黒龍めがけて念動波を放った。

 もちろん、満身創痍で放つ攻撃が熾天級真龍に通用するわけもない。

 パシュッ……。念動波は黒龍のはるか手前で霧散してしまった。


 もはや攻撃にまわす余力はない。

 しかしミレーニアは立ったまま、最期の時まで黒龍から目を離そうとしなかった。


 そのときだった。


【――的確ト断ズル】


 声が聞こえた。

 天上から降ってきたようにも、奈落の底から響いてきたようにも思える、不可思議な声だった。


(黒龍が……喋った……!?)


 ふと黒龍の瞳がキラリと光る。

 龍の涙。その雫が宙を流れてミレーニアへと届けられた。

 たった一滴とはいえ、全長一〇〇メートルを超す巨体からこぼれた涙だ。

 その量はミレーニアの全身を覆って余りあった。


 パシャッ。龍の涙をあびた刹那、ミレーニアの肉体は全快した。

 砕けた骨も、裂けた肉も、潰れた内蔵も、破裂した眼球もたちどころに治癒した。

 それだけでなく、流出した血液も元に戻り、衣服のダメージや汚れも綺麗さっぱり復元された。

 伝説にうたわれる龍の涙。

 あらゆる傷や病気をたちどころに治すとされる神秘の雫。

 しかしこれは「治癒」や「回復」などという次元ではない。

 ミレーニアの肉体および衣服の「固有時間を巻き戻した」としか思えなかった。


「あんた……あたしを試したのかい。一体なにが目的だい?」


 問いただすが、黒龍は答えない。

 代わりに六枚の翼を体の前面で交差させ、すぐに元へと戻した。

 翼が起こす風を受けながら、ミレーニアは目をみはった。

 黒龍の前方に、人間の赤子が浮かんでいた。

 ゆっくりと、空間をすべるように、赤子はミレーニアへとむかってくる。


「ととっ!」


 あわてて両腕を差しだし、赤子を受け止めるミレーニア。

 全裸なので性別はひと目で判る。男の子だ。

 特に変わった身体的所見はない。ごくごく普通の人間の赤子だ。

 唯一特異な点といえば――黒龍を前にしておだやかな吐息をたてていることぐらいか。


【――汝二託ス】


 黒龍の言葉にミレーニアは片眉をつり上げて、


「なんだって? まさかこのあたしに子育てをしろって言うのかい!?」


 黒龍はかすかにうなずいた。

 万象の超越者にはあまりにそぐわない可愛らしい仕草に、ミレーニアは思わず噴きだしてしまった。

 意味が解らなすぎて笑うしかなかった。


「だいたいこの子は何者だい? なんだって真龍が人間の赤子を?」

【――其ノ者ハ「運命」デアル】

「運命って、あたしにとってのかい?」

【――汝ノ運命デアリ、我ノ運命デアリ、万象ノ運命デアル】

「意味が解らないね。人にものを頼みたかったら最低限、事情くらいは説明しなよ」

【――今ヨリ一七年ノ歳月ノ後】

 

 黒龍は言った。


【――運命ハ我ヲ悉ク滅ボス】


 ミレーニアはぽかんとする。

 言っていることは解るが、脳が情報を処理できずにいた。

 黒龍が首をもたげ天を見上げる。

 それは明らかに「会話の終わり」を示唆していた。


「待ちなよ! 話はぜんぜん終わって――ッ!?」


 ドォゥッ! 黒龍が六枚の翼をひろげ、衝撃波を残して飛び立った。

 ミレーニアは一瞬遅れて空を見上げるが、当然のように黒龍の姿は影も形もなかった。


「なにがなにやら……。あたしは夢でも見てたのかね?」


 だが両腕の中の温かな重みが、そうではないことを物語っていた。

 そのとき赤子が泣きだし、ミレーニアは一気に現実に引き戻された。


「ど、どうしたってんだい? さっきまでスヤスヤ眠ってたのに……」


 まるで世界の終わりがきたかのように赤子は大音声で泣きつづける。


「よ、よしよしっ。とにかく泣きやんでくれよ、頼むからさぁ……!」


 母親になったこともなければ、他人の赤子を抱いたことさえない。

 半端な知識を総動員してあやしてみるが、赤子は泣きやむ気配すら見せなかった。


「ああもうっ、なんだってこんなことに……」


 黒龍に致命傷を負わされた時以上に、ミレーニアは切羽詰まっていた。


 ――これが始まりの日。

 魔法使いがこの世界に誕生した日だった。

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