2『絵巻開帳』
宵の花街に立っていたのは、線の細そうな青年だった。
優男と呼ぶには立ち姿に隙が無く、しかし益荒男と呼ぶには些か儚い空気を漂わせていて。
哀しいとでも言うべきか。
憂いを感じずにはいられないなんて、不思議なものだ。
瞳にいかなる熱も光も宿さない――――空洞の表情をしているというのに。
「はい...」
顔のきれいな青年など、花街を最も必要としない人種なのは火を見るよりも明らかだ。
桔梗は内心不審がりながらも、声をかけて来たこの青年に応接する。
「申し訳ございません。開店までは、少々お待ち頂くことに...」
「――――」
桔梗が戸惑いに言を切ったのは、青年の表情のためである。
彼はまるで不意をつかれたかのように、桔梗を見て固まったのだ。
「...?」
桔梗が訝しむのも束の間、青年はすぐに自分の表情から、灯っていたナニカを落として、元の空洞に戻る。
そして機械じみた調子で、なんの挨拶も前置きも無しに、無遠慮に本題に入った。
「あなたですね?久遠石を持っているのは」
「...!」
唐突な確認は、少女にとって――――不思議と腑に落ちるものだった。
桔梗は、気が付けば冷静に、彼の話に応えていた。
「...そのお話でしたら、こちらへ」
遊女が誘うのは、店の横。もう闇が空を覆って黒に染まった裏道だ。
ひと気のないその一帯は、花街の女が一人、或いは信用おけぬ者と立ち入るなど危険に余る。
ではなぜ桔梗が、彼をこちらへ導いたのかといえば......単純なことだ。
少女が、襲う側の人間だからである。
暗闇に入った途端、青年の背に短刀が飛びつく。
「!」
「あ...」
失態に声を漏らしたのは、しかし仕掛けた者の方だった。
殺気を捉えた青年は後ろ手に凶器を叩き落とし、振り向きざまに少女の細首を掴む。
青年に突きつけられる筈だった短刀は、地面に落ちる前に青年の手が受け取って、少女の鼻先に突きつけられる。
「っ、!!」
「一体、どういうことでしょうか」
怒りも焦りもしない。青年の表情は、初めて目が合ったあの瞬間以外、依然として空のまま。
「どういうことでしょうか」
壊れた機械のように、青年は質問を繰り返す。
凶器を眼前にして――――しかし少女は、屈することを知らぬ、挑戦的な眼差しで相手を睨みつけた。
「それはこっちの台詞よ。久遠石のこと、どうしてあなたが知ってるの」
「それは...」
「もしかして、あなた?私を捕まえに来たのは」
「?」
心当たりなさげに首を傾げた青年は――――魔を見た。
「止マリナサイ」
不思議な響きを放つ命令が、頭に直接割り込んで来る。
それが傀儡の呪言だと知るのは、青年が罠にかかった後のこと。
彼の手足は、石像のように動を死に絶やす。
「話シナサイ」
ここ、東の果ての島国において、神秘を心得る術師は希少。
その一人は彼であり、また彼女であった。
...女の細い腕が、青年の手を掴む。
「貴方ノ記憶ヲ見セルノヨ」
「――――」
掌握は肉体に留まらず。
呪いは青年の精神を侵し、傀儡師たる少女の脳髄に、記憶の絵巻を開帳する。