少女と”彼女”
琥珀の中の液体にまみれた少女の前に立つ”彼女”の服装は、元のローブと同じ、黒ベースに所々金の細工が施された胸当て。
下も黒のショートパンツで、ローブの時よりも断然動きやすい格好になったことは、一目瞭然だ。
靴は黒いエンジニアブーツ(つま先が固く、足首と最上部にベルトがついているブーツ)で、長さの短い黒の靴下が覗いていた。
これではまるで『白い衣装』ではないが、裾の長いフード付きミリタリーコート。純白で胸当て同様、金の細工が光るそれは、身に着けている服の中で最も目を引いた。
少女が『白い衣装』と評したのはこのためであろう。
少女が意図せず彼女のことを『魔物』扱いしたので少し落ち込んだ彼女だったが、少女がこちらに気付くとすぐに表情を切り替え、とにかく安心させようと笑顔で歩み寄った。
「大丈夫か?」
「あ、あなたは、誰? き、貴族さま?」
「ん~‥‥‥ そういうわけじゃないんだが‥‥‥」
ぽりぽりと頬をかきながら、彼女は苦笑いを浮かべる。
見ればその手にもいつの間にか穴あきグローブがはめられているのだから、彼女の徹底ぶりがうかがえる。
もう服に手を加える必要が無いようにこだわった結果である。
「ある傭兵に頼まれてな。 お前たちを助け出すよう、頼まれたんだ。 ゴスペルというやつなんだが‥‥‥」
「ゴスペルさん‥‥‥ですか? わたしは名前を聞いたりはしてなかったから、わからないけど‥‥‥でも、傭兵の男の人たちは、いっぱい村に来てました。 殺されちゃった、けど‥‥‥‥」
「そうか‥‥‥」
少女の沈痛な面持ちに胸にもやもやとしたものを感じるも、彼女にはそれがなんなのかはわからなかった。
彼女に人としてかけている、というより、足りないもの。
それは”感情”に他ならない。
そもそもそれは、彼女には無縁どころかなんの接点もないものだった。
けれど”変化”によってそれが芽生え、そして永い時をかけて今、ようやく”心”と呼べるものが育ってきたのだ。
そしてそれは、今もなお育っている最中である。
人という種族は、何代もの進化を重ね、ようやく今日の豊かな感情を身につけたのだ。
それが0の、何もないところから、しかも個体としての進化をしないで身につけるというのなら、膨大な時間を要することなど想像に難くない。
むしろ、その成長を現在進行形でおこなっている彼女が、いかに規格外の存在かというのが分かろうというものだ。
ともあれ、わからないなりに少女が傷ついていることを察した彼女は、手にはめたグローブを外すと、その手をゆっくりと伸ばし、そして少女の頭を優しく撫でた。
「あ‥‥」
突然の彼女の行動に少女は驚き、少しうつむけていた顔をあげる。
そこにあったのは、とても穏やかで、慈しむような優しい笑顔だった。
美しい容姿の彼女のその表情は、少女の脳内に、会ったこともない神話の女神を思わせた。
そして少女の胸の中を、母親に抱かれたときと同じような安心感が満たす。
「よく、頑張ったな。 辛かっただろう‥‥‥?」
「‥‥‥‥」
少女は何も言わない。いや、言えない。
その体は何かをこらえるように、小刻みに揺れている。
「お前は、まだ子供だ。 どんな状況だったかはわからないが、想像はつく。 きっとお前はどこかに隠されて、一人、怯えてたはずだ。 あの魔物に襲われる瞬間には、死を覚悟しただろう」
彼女は死とは無縁の存在だ。
とはいえ、『死ぬ』ということがどんなに恐ろしいことかを、察することはできるようになった。
だから、彼女は告げる。
「もう大丈夫だから」
「っ‥‥‥‥!」
彼女は両手で少女を優しく、そして力強く抱きしめた。
残念ながら彼女の胸は豊かでもなければ、金属製の胸当てでひんやりとしていたが、それでも少女には確かに、彼女の体温が体の芯まで伝わっていた。
「うぁ、う、うわあぁぁぁぁぁぁぁん‥‥‥‥!!!」
少女は彼女に抱きつき、そしてとうとう大声をあげて泣き出した。
その顔を、ドロドロのミツと、涙でぐしゃぐしゃにして。
少女の心は、もう限界だったのだ。
ただ、緊張という糸が、ぎりぎりで叫びだしたい気持ちを引き留めていただけで。
「よく頑張ったな」
彼女は少女が泣きやむまで、ずっとその背を撫でていた。
◇◇
彼女の視線の先には、泣き疲れて眠った少女が横たわっていた。
あの後、心身ともに疲れ切っていた少女は彼女の胸の中で眠ってしまい、とにかく汚れた体を”魔法”で綺麗にしてやると地面に横たえたというわけである。
ついでに自分の体も綺麗にしてしまうと、彼女は手早く他の村人たちも琥珀の中から解放し、やはり液体にまみれたその体を清潔にした。
少女の時と違うのは、助け出した人々がしばらく眠るよう”魔法”をかけたことだろう。
少女の反応を見た彼女には、他の者たちも目覚めれば似たような反応をすることは容易に想像できた。
本当なら少女と同じようにその一人一人の心を、癒さずとも落ち着かせることができればよかったのかもしれないが、彼女はこの洞窟にはまだ別の魔物がいることに気付いていた。
そしてそれがおそらく、今回の一件、つまり、辺境への襲撃の音頭を取ったものであろうことも。
彼女はもう一度、少女の顔を見る。
今はもう落ち着いて、年相応の、可愛らしい寝顔を浮かべていた。
彼女の心の中にはまだ、少女の沈痛な表情を見たときに感じた、胸のしこりが残っていた。
それはなぜか彼女を苛立たせ、敵を駆除せよと彼女を駆り立てる。
彼女は立ち上がり、洞窟のさらに奥を見据える。
そして次の瞬間にはその姿はもう、そのさらに奥へと消えていた。




