女神フォルトゥーナ
「う、ん‥‥‥‥」
イアは目を覚ます。
が、目の前に広がったのは青空でも、見知らぬ天井でも、のぞき込む誰かの顔でもなかった。
広がるのはいくつもの球体が浮かぶ果てしなく広く、黒い空間。
「ここは‥‥‥‥」
イアは呆然とあたりを見回す。
しかし前も後ろも、右も左も。黒い海が広がるばかりでそこに人の気配はない。
唯一人、ぽつんと取り残されてしまったような感覚に心細くなってきたとき。
突然、背後から声が聞こえた。
『ここは宇宙。 貴方が知る空よりも更に高く、広大な場所』
声‥‥‥音の高低も抑揚もない、無機質な声が語り始める。
「宇宙?」
『ここには貴方の住まう星だけではない、多くの星が存在する。 星‥‥‥‥と言ってもわからない?』
「正直‥‥‥‥」
その答えに落胆するでもなく、声は淡々と言葉をつづけた。
『そう‥‥‥ 突然だけど、貴方にとって、”世界”って何?』
「世界?」
そう聞かれ、イアは眼前の空間、あまりに広い宇宙を見る。
突然の質問は、イアには少し、いやかなり難しい問いかけだ。
イアは考えるも、はっきりとした答えはすぐに出てこない。
「私にとっての、世界は‥‥‥」
『聞かせて? ここに時間という概念は存在しない‥‥‥‥どれだけの時間をかけてもいいから』
「‥‥‥‥」
この場所についての疑問。
それさえも忘れて、イアは熟考する。
そして何十分、いや、何時間?
長い時間をかけてイアはようやく口を開く。
「私にとっての世界は‥‥‥‥」
『世界は?』
「私の手が届く範囲にあるもの」
それがイアの答えだった。
結局のところ、難しいことをどうこう考えてもきりがない。
イアが見たもの。聞いた事。それらがイアにとっての”世界”なのだ。
沈黙が流れる。
イアは何か間違えたことを行ってしまったのだろうか?と内心焦ったが、それを表情には出さず、反応を待った。
そして‥‥‥‥
『合格』
どうやらお気に召したらしい。
今までで最も感情が感じ取れる声に、イアは安堵する。その声に滲む感情は”喜び”だろうか。
『貴方は知る権利がある。 セフィリアのこと。 この世界の真実を』
「え!?」
ここでセフィリアの名前が出てきたことに、イアはいよいよ驚きが隠せない。
『けれど権利があるというだけ。 今はまだその時ではない』
「そんな‥‥‥」
イアはその言葉に落胆する。
自分の力不足をはっきりと宣言されたことに。
『悲観することはない。 それに‥‥‥‥ そう遠くない未来に、貴方は一つの転換点を迎える』
「てんかんてん?」
『分からない? でも今はそれでいい。 貴方が今宇宙を知ったように、いつかその意味を知るときがくる』
不思議とイアは、語られる言葉の全てを反発することなく受け止めることができた。
何故か語られている言葉の全ては真実であると、そう思えるのだ。
それはまるで、見てきたものを話すかのような語りだったからかもしれない。
『けれどこれだけは覚えていて。 セフィリアはとても不安定。 その代償を払う時がくる。 その時貴方次第で‥‥‥‥ 運命は大きく変わることを』
「え?」
そこで、イアは自身の意識が遠くなっていくことを感じる。眠気が襲い掛かってきたかのように、瞼が落ちていくのだ。
薄れていく意識の中、少し悔しそうな声が耳に届く。
『‥‥‥‥今教えられるのはここまで。 今は強くなることを考えていて。 そして、貴方の手が届く”世界”を広げて――――――――』
「待って! 貴方は誰? せめてそれだけでも‥‥‥‥」
その時、後ろから誰かが抱き着いてきた。
イアが閉じ行く意識を懸命に保って目線だけを横へむける。そこには金髪で碧眼の、|自分そっくりの《・・・・・・・》女性の顔があった。
女性はいたずらな笑みを浮かべて囁く。
『薄々気づいているくせに‥‥‥‥‥ それじゃあ、また―――――――――――――――』
イアが聞きとれたのは、そこまでであった。
□□□
「ちゃんと、過干渉はさけるという決まりは守ってくれたようで安心したわ」
「ガイア」
イアと入れ替わりでフォルトゥーナの前に姿を現したのは、神々の頂点。幼女姿のガイアであった。
「全く。 貴方が変なことをするような奴じゃないっていうのは知っているけど‥‥‥‥ 貴方は何かと特別だから、気にかけないわけにはいかないのよね。 気を悪くしたなら先に謝っておくわ」
「いい。 それは自分でも自覚してるから」
フォルトゥーナは相変わらず感情の見えない声音でガイアへと告げる。
「セフィリアがイアと出会った‥‥‥‥ これをきっかけに、運命が動き出す」
「ええ、貴方が再三言い続けてきたことだもの。 母さんについてはその規格外さは理解してたから言われるまでもなかったけれど、イアって言う人の子にこだわる理由は、最近ようやくわかってきた気がするわ」
ガイアは今まで見てきた母、セフィリアの道程を思い返す。
イアと出会ってからのセフィリアの変わりようはすさまじいものがある。
そもそも、セフィリアがあそこまでイアという娘に入れ込んだこと自体、ガイアの予想の範疇外であった。
セフィリアは自分たちと同じように生物とは別な次元の存在‥‥‥‥仮に人の子と同じように生きているように見えても、それは戯れのようなもので、どこか壁のようなものがあるのだと思っていたのだ。
実際、今まではそうであったと思う。
けれどイアという娘と出会ってからは明らかにその態度が一変した。まるで、その出会いが起爆剤であったかのように。
「‥‥‥‥じゃあもう行くわね。 釘は刺したし、それに貴方もこれから忙しくなりそうだし、ね」
「ええ」
そしてガイアはフォルトゥーナの前を後にした。
□□□
フォルトゥーナは目を閉じ、思案する。
自身が最も理想とする未来へとつながるには、どうすればいいのか。運命に如何に抗うべきか。
運命の神などと呼ばれているフォルトゥーナ。
だが実際は、たった一つ理想の為に行動する、ただの人間となんら変わらない存在なのだ。
「今度は間違えないよ‥‥‥‥」
そう、たった一人の、大好きな女性を救うためだけに。
「だから待ってて。 セフィリアさん」




