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神の温床  作者: 寿 利真
7/13

逃げる罪人、追う海賊

 わたくしが最初にたどり着いた場所は、当時もっとも治安が悪いと言われたスラム地区だった。


 そこには、豊かさ以外の全てがあった。

 嘘、裏切り、諦め、堕落、盗み、暴力、殺し――あらゆる犯罪が溢れていた。

 何より、自由があった。


 まず布で髪を隠し、初めのうちは息を潜めて、ただ観察していた。

 この街のやり方を覚えてからは、賢い悪党を真似た。狡猾に、慎重に。


 住まう人間を選ぶ場所。

 実力次第で全てが許される街。

 わたくしは、この世界で生きていける種類の人種だと、すぐに気付いた。


 何故なら、わたくしには心がない。罪を畏れない。

 誰も信じないし、どんな汚いこともできる。

 何をやっても、どんな目にあっても、苦しいと思わない。恐ろしくも、悲しくも、寂しくもない。――楽しくもないけれど。

 

 魔法が使えないことは弱点だと思っていたけれど、その代わり誰もわたくしに魔法が使えない。

 わたくしとやり合うなら、ただ、腕力で挑むしかない。

 そしてわたくしの頭脳と身体能力は、子供ながら誰よりも優れていた。

 

 壁の外に出て初めて知ったのは、わたくしの容姿がかなり人目を引くということ。

 意識的に特別汚い浮浪児を装い、言動もそれに相応しいものに変えた。誰とも付き合わず、常に一人で行動した。


 わたくしは、この街で生きていける。

 一人で、誰よりも強く。


 ここには犯罪に対する明確な罪科はあっても、正体不明の精神的な原罪などないから。














 冷気が肌を突き刺した。体は急速に凍え初め、耳の奥が激しく痛む。呼吸がひどく苦しい。

 瞼を開いたシンは、そこにある光景に息を呑んだ。


 空がなかった。


 いつも頭上からから高圧的に押さえつけてくる雲が、見上げた空に一片もない。あるのは無限に広がる蒼茫とした闇ばかり。そして無数に散らばる小さな煌きが、果てしない闇を煌々と照らしている。特にシンの目を捉えて離さなかったのが、常闇を真円に切り取って浮かぶ、ひときわ大きな球体。


 ここはどこだとか、何があったのかとか考える前に、ただただ圧倒された。


「――神の、篝火……?」


 一瞬神話の存在を連想するが、即座に打ち消す。これが、そんな浅薄なもののはずがない。寒々とした圧倒的なまでの人知を超えた美しさ。

 大地があるように、雲が閉ざすように、昼夜が巡るように、ただ、悠久にそこにあるものと理解した。

 それが月という天体であることまでは分からなくとも。


 やがてシンは、足元に地面がないことに気が付いた。代わりに、闇と雲との境界線が、遥か目下に地平線のようにどこまでも続いていた。


「――飛んでいる……? あたしが……ここは、空の……雲の、上……?」


 歴史上のどんな偉大な魔法使いも見たことのない世界――魔法を持たないはずの自分が何故?


 少し気を落ち着けて、状況を振り返る。


 寥庵への恐怖が振り切れた瞬間、まるで磁石の斥力が働いたように真上に弾かれた錯覚を覚えた。気が付いたら、もうここにいた。指一本動かせなかった数秒間は、初めての空間転移をした衝撃だったのかと、思い返す。


 あれほど望んでいた魔法を、シンは今使っていた。けれど、喜びはなかった。

 魔力さえ持っていれば何かが変わる。そんな思いが、確かにあった。今は正直なところ、白けたというのが本音だ。

 神々の庭という特殊な場所で、桁外れの力で、誰にもできないことをしている。

 極端から極端へ走る異質さ――結局マイナスの異常からプラスの異常へと移行したに過ぎない。


 どこまでいっても、『特別』なまま。


「――ま、いいか……」


 現状の許すままに漂いながら、呟いた。張り詰めていた何かが、いつの間にか緩んでいた。まるで憑き物が落ちたようだ。落胆を帳消しにして余りある救いがある。

 雲の上には何もなかった。どこまでも続く、自然の何かがあるだけ。特別だろうが罪人だろうが、それを裁く存在などない。


 天井から見下ろす魔物の目に、二度と怯えることはないのだ。


「自由だ。今度こそ、本当の……」


 言葉が、そこで途切れる。


 何かがあった。斜め下の方だ。よく見ると、雲の上に楕円の巨大な影が落とされていた。そしてそのすぐ真上には、雲の保護色に隠された、影の本体。


 薄明りに照らされたそれに、目を凝らす。遠目にもかなり大きい。金属的な輝きを放つ白い円盤状のものだった。明らかに人工の建造物だ。


 背筋が凍り付いた。早まった鼓動が、激しく脈打つ。額から、汗が流れ落ちた。

 物心つく前から叩き込まれてきた神話の一節が、記憶に蘇る。


 ――悠久に雲の上を浮遊する穢れなき神の城。下界の愚かなる良人を見守り、罪深き悪人を見据える純白の監視塔。


「まさかっ……そんな、バカな……」


 空色の瞳を驚愕に見開き、掠れる声で必死に否定する。


 白い建造物の中に、人影があった。――いや、人間ではない。

 深紅に光る三つの眼、燃え上がるように鮮やかな同じ色の髪、目まぐるしく動き回る四本の腕――かつて本で見た、天帝の後ろに居並ぶ神々の中の一柱に、ひどく似ているような気がした。


 爬虫類のように感情のない三つの目と、シンの視線が確かに合った。


 突如、シンの足場が崩れ落ちる。

 体中に鳥肌が立っている。

 浮力を失った体が、頭から真っ逆さまに落下し始め、瞬く間に厚い雲を突き抜けた。


 全身を貫く恐怖は、決して墜落のためではなかった。













「なっ、ななな何よ、あれ!? 何で人間がこんなとこウロウロしてるわけっ!?」


 天鏡号のオペレーションルームで、瞳に興奮色の赤を浮かべて、あすらは仰天した。上空約五千メートルの飛行艇から何気なく窓の外を見たら、女の子と目が合ったとか、何の怪談だ。

 しかも少女はそこから、突然の自由落下を開始した。あすらの性能の良い三つの目が、闇の中でその姿をはっきりと捉える。


「げっ、気絶してる!」


 確認するなり通信機に手を伸ばし、真下で待機中の水天号に繋ぐ。

 通信画面のサイズに対してあまりに不釣り合いな、小さなシルエットがぽつんと映し出される。今回、地上から寥庵たちのバックアップを担当する、身長百センチほどの小型人種、ジェナイエンである。


「水天号、ジェナイエンに指令!」

「はい、こちら……」

「返事はいいっ、あんたはしゃべらないで。水天号緊急発進! 天鏡号付近から現地人が墜落中。至急救助!」


 応答しかけたジェナイエンを強引に押さえつけ、早口で捲し立てた。間髪置かずに、水天号の離陸した音が聞こえた。あすらは頭の中で計算しながら、さらに指図する。


「落下地点天鏡号座標から西南約三十メートル、地面接地まであと――およそ二十八秒。落下速度は時速二百五十キロ以上。あんたの肉眼じゃ捕らえられないからレーダー見て。座標パターンはE-3で。捕捉ビーム用意、質量四十五キロ前後の女性。出力レベルは三百以下に抑えて」


 最低限の指示をしたら、あとは結果待ちだ。イーライも言った通り、あすらの技術なら死んでさえいなければ大抵は治療できる。重要なのは迅速さだ。ここまでやって駄目だったなら、それだけのこと。別に心を痛める必要もない。


 だからというわけではないが、あすらは全く心配はしていなかった。話し相手としては全力で遠慮したい男だが、人格的、能力的には、天鏡号で最も信頼できるクルーだ。同じ後方援助担当でも、人間の行動を合理性と統計パターンからしか推測できない寥庵や、小技が利く割に致命的に局面に弱い器用貧乏のイーライよりは、遥かにバランスが取れている。

 水天号の機動力とジェナイエンの能力なら、これくらいの仕事は朝飯前のはずだ。


 頃合いを見計らって、あすらは再び連絡を入れた。


「ジェナイエン、イエスかノーで答えて。救助できた?」

「――ノー」

「あら、珍しいわね。ま、いいわ。それじゃ、ちょっと下に降りて死体捜しといてよ。黒髪の女の子よ。調べてみたいの。見つかったら場所を教えて。あたしが回収に行くから。あ、くれぐれも触らないで、現場保存には気を付けて」

「イエス」

「じゃ、頼んだわよ」


 一方的に個人的な注文を突き付けて、速やかに通信を切った。失敗の原因が気になるが、それをあえてジェナイエンに訊こうとは思わない。イーライ同様、やはりあすらも彼が苦手なのだ。

 決して嫌いではない。むしろ好きな部類に入る。優れた能力を持ちながら、素直で真面目、謙虚で礼儀正しく慎み深く、その上優しく温厚で、文句の付けようのない好人物と言える。


「唯一の欠点で損する典型的なタイプよね」


 同情混じりに呟くが、彼への対応を改めるつもりはなかった。


 一方のジェナイエンはと言えば、ぞんざいな扱われ方にも一向に腹を立てることはない。


「ちょっと、下に、降りて、死体、捜しといてよ。――見つかったら、場所を、教えて……」


 コクピットで、忠実に復唱中である。言語様式に、大きなズレを持つ彼は、会う人ごとに『会話の練習をしろ』と言われてしまう。根が素直なため、言われた通り、馬鹿正直に折を見ては会話の練習をしていた。最も効果のほどが努力に比例しないのが残念なところだが。


 支持を繰り返し口ずさみながら、指定の場所の上空を数度旋回した。見下ろしてみても、それらしいものは見当たらない。


 見つかるわけがないと、ジェナイエンは内心で思っていた。あすらの質問に『ノー』と答えた通り、実際落ちてくる少女を助けてはいない。助けようがなかった。


 レーダーには何の反応もなかったのだから。人間一人見逃すことなどまずありえない。あの時点で落下物など何もなかったと、断言できた。


 かといってあすらが嘘をつく意味もない。どちらかが間違っているか、どちらをも正しくさせる何らかの事象があったのか――。いずれにしろ、とりあえずあすらの頼み事はやっておいてあげようと、人の好い彼は気を取り直して地図を見た。


 近くに大き目な湖がある。水中だと、捜索と引き上げが厄介だなと、思案しつつ降下した。

 操舵するジェナイエンの視界に、湖の畔に立つ寥庵とイーライが入った。

 素晴らしいタイミング。定期報告のついでに、少女の手掛かりでも聞けるかもしれないと、淡い期待を胸に、水天号を湖面に着水させた。


「ジェナイエン。何か持ち場を離れなければならんことでもあったようだな」


 岸辺に階段を下ろして、ハッチからちょこちょこと出てきたジェナイエンに、寥庵は気さくに問いかけた。寥庵は他のクルーと変わらずにジェナイエンに声をかける、希少な人物である。特にこんな抽象的な問い方をする命知らずは、彼だけだ。

 ジェナイエンと入れ替わりに、イーライが水天号の中へ逃げた。問われたジェナイエンは寥庵に口を開く。


「あすらが彼女の身に起きたという何らかの事態をあまり詳しくは僕に話してくれなかったし、僕自身彼女が見た上で言ったのであろうその事態を僕の目ではっきりと見たわけではなく、正直なところ、ちょっと僕にも正確に理解の域に達することができていると言えるような状態では到底ないのだけれど、大変僭越ながらあえてそのうえで僕個人の判断を下さねばならない状況であるとするなら、僕が持ち場を離れるばかりでなく、その上水天号を今この場所へ着陸させるという、本来なら仕事と関係あるとは言えないような行動を取るにやむなき結果に至ったのは、結論だけを言うとしたら、その引き金となったのは、おそらくはあすらの個人的な嗜好に由来する、僕にはちょっと理解しがたい趣味が大きく関わっているのではないだろうかという気が僕はしなくもない」

「あすらがいつもの我儘を言って、おまえをここによこしたということだな」


 ジェナイエンの長い長い一文を、寥庵はあっさりとまとめた。一方でイーライは、無言でハッチを閉めた。


 やっぱりこいつの話は苦痛だ――一人になって、イーライは辟易する。『結局どれが結論だ!』と突っ込むのは、心の中でだけ。会話はしたくない。謙虚で丁寧なのはいいが、言語形態がとにかく婉曲すぎる。しかも直訳だ。


 基本的に天鏡号の公用語は寥庵の母国語である。便利な学習機材で、短期間で記憶することは容易にできる。ただし、自国語に対応する単語、慣用句、文法などを覚えたからと言って、正しく使いこなせるとは限らない。

 『大変素晴らしい人柄』と表現すべきところを『大層おめでたい性情』と翻訳する場合もあれば、『パーティー』を『集団バカ騒ぎ』と解釈する者もいる。各人、育ってきた文化と環境が、決定的に違い過ぎるのだ。


 この傾向が特に強いのが、大袈裟・省略の面でイーライ、婉曲、冗長の面でジェナイエンだった。あまりにひどいため、二人は一緒に表現訓練を受けさせられたことがあった。両者の知識にないものとして「象」を見せたところ、イーライは一言「生物」と答え、ジェナイエンは説明に一時間を要したが、理解した者は誰もいなかった。


 要領の良いイーライは、よほど慌てない限りは普通に会話できるレベルになったが、自分と対極のジェナイエンの相手は精神的な拷問に等しかった。


 イーライは待っている間に、水天号のコンピューターから天鏡号にアクセスした。これまでに収集された双方のデータから、スウェネト王宮の図面と宝物蔵の解析をしてみるが、進展はあまりなかった。調査に七日を費やし、全体の七割ほどまでは進んでいるが、これでは動く許可は絶対に降りない。まず最低限、見取り図の完成が目標だ。


「まだ当分はお姫様暮らしが続きそうだな」


 ぼやきながらまとまったデータを入れた端末を鞄にしまった。通信ができないため、コピーして持ち出す必要がある。

 続いて、ジェナイエンへの指示を入力しておく。必要事項の伝達は可能な限り、間接的にすませたい。


 天鏡号のマザーコンピューターから、水天号のモニターにヴァイシャの映像を呼び出した。空色の瞳の美しい少女。そのプラチナの髪を、肩の辺りで切り揃えたストレートの黒髪に差し替えてみた。

 それだけで出来上がった肖像に、イーライは感嘆の声を漏らす。


「まったく、信じらんないね。ホントにシンになっちゃったよ。これでヴァイシャ王女の恰好されたら、マジで分からないね」

「いや、多分もう間違わない」


 いつの間にか後ろからのぞき込んでいた寥庵が、イーライの独り言に割り込んだ。


「なんでそんなことが分かるの?」

「私の好みだ」


 いけしゃあしゃあと答える寥庵に、イーライはがっくりと肩を落とした。態度が変わらないから分かりにくいが、薄々そんな気はしていた。強くて物怖じしなくて感情豊かな女性がドストライクらしい。

 仕事を済ませてから、イーライはやる気のない顔で振り向いた。


「一応言っとくけど、もし彼女が見つかっても、口説くのは作戦終了後にしてほしーね」

「心がけよう」

「あんたの『心がけよう』は信じられないんだけど」


 ブチブチと愚痴をこぼす。寥庵は自分の言動や約束事にあまり責任を持つような人情家ではない。


「ま、あんたが女で仕事をしくじるわけないか……」

「そのつもりだが。さて、仕事は終わったな。王宮に帰ろう」


 確認してから、寥庵が促した。イーライは周りを見回す。


「ジェナイエンは?」

「ああ、どうやらあすらの例の趣味が出たようでな。この辺りに現地人の墜落死体があるらしくて、ジェナイエンに捜させているようだ。せっつかれる前に付近の見回りに行ったよ」

「――変質者の病気がまた出たか。オレも大概のことには慣れたけど……あの死体収集癖だけはどうにかならないもんかね」

「そうは言うが、天鏡号全収入の一割を稼ぎ出すなら、実に有益な病気だろう」


 寥庵のフォローは事実だが、イーライは苦い顔のままだ。


「だけどさあ……あれ? 現地人の、墜落死体? この辺りで? ついさっき?」


 自分から話の腰を折って怪訝そうに聞き返すイーライに、寥庵が頷く。


「それを聞きたかったんだが、天鏡号の鼻先に現れるような力を持った当然変異種の類は、そうそう出るものかな?」

「出ないもんだろうね」


 即座に断定した。そんな異常な個体が、たまたま同じ時間、場所にいたなど、確率的にあり得ない。


「ということは、捜索中のジェナイエンにはご苦労なことだが、死体は出ないな。レーダーにも反応はなかったというし」

「ホントに手を焼かせてくれるお嬢ちゃんだね。天鏡号まで見つけちまったのか。こりゃあ、本格的に捜索する必要があるかな」

「まあ、それはジェナイエンに任せよう。私達は自分の仕事に戻るぞ」

「了解」


 イーライが水天号の転送機を操作した。携帯用の指輪型転送機を使う帰投は不便だが、潜入は大型の高性能マシンで王宮の自室にすんなり転送される。

 姿が瞬時に消えた数秒後、ジェナイエンがコクピットに戻ってきた。


 二人が帰ったのを確認して、通信機のスイッチを入れる。すぐにあすらが現れた。


「あら、ジェナイエン。遅かったわね。死体は見つかった?」


 相手に言葉を発する隙を与えずに尋ねる。ジェナイエンは一言答えた。


「イエス」


 死体は、発見されたのである。


「オッケー。それじゃ場所教えて。すぐ行くわ」

「イエス」


 送られてきたデータを見て、首を捻る。


「あら? 座標が少しズレてるわね。風が強かったのかしら。ま、いいわ。ジェナイエン、使っちゃって悪かったわね。ありがと♡」


 言うだけ言って、一方的に通信が切れた。嵐のようなあすらの一段落がすんで、ジェナイエンはほっと息をつく。これで役目から解放された。


 しかし実はその死体について、伝えるべき事実を言いそびれていた。多少気がかりだが、大して重要なことではないし、見ればすぐに分かることだ。第一あすらは話を聞いてくれない。

 結局そのままにして、イーライが残していったデータと指示を確認し始めた。


 おや、と奇妙なことに気付く。そこに映し出された、黒髪の少女の顔。


「死体が、見つかった、場合、もし、捜索、指令を、出しておいた少女、だったら、私に、連絡を、してくれ……」


 水天号の外で、死体捜索前に寥庵から出されていた指示を復唱して、困惑した。


 発見した若い女の死体を思い返す。

 髪の色や長さの違いから別人だとは分かるが、顔立ちが妙に似ている気がした。しかしあすらの『触るな』の注文に馬鹿正直に従ったため、ほぼうつ伏せだった顔はあまり見ていない。


 別人なのだから連絡はいらないか――結局ジェナイエンはそう判断を下して、別の作業に移った。


 同時刻――ジェナイエンが死体について言及し損ねた事実に、ちょうどあすらが気が付いたところだった。


「――ナニこれ……」


 指示通りの地点に小型艇を飛ばしてきたあすらは、目的のものを見つけてぽかんとした。予想外のものに、白目に近い瞳をする。


 人違いならぬ、死体違いだ。

 そこに美しい肢体を投げ出して横たわっていたのは、長いプラチナの髪と上等なドレスをまとった、少し大人びた少女だった。顔はよく似ているが、あすらが見た少女とは完全に別人だ。大体墜落死体が、こんなにきれいな原型を留めているわけがない。


「あいつー、死体なら何でも見境なしだと思ってるわけね。あたしのことを。……ま、事実だけどね」


 死体の傍らに座り、チェックを始める。仰向けにしてみると、全面部分のほとんどにどす黒い血がこびりついていた。蒼ざめて強張った死に顔は、それでも眠っているように美しかった。


「射殺か。死後二日ってとこか。致命傷だけど、即死ではないわね。可哀そうに、結構苦しんだようだわ」


 簡単な検視を始めるあすらの瞳が、徐々にピンクの色を増していった。


 医学が極限まで進歩していたあすらの故郷では、たとえ医者でも『若くて健康な天然の死体』を目にできる機会が滅多になかった。それを丸々一体自分のものにできるのだから、実は嬉しくて仕方がない。

 死体だろうが何だろうが、落し物は拾った人間の所有が常識。文句を言われる筋合いはない。――そういう不遜な部分が、『海賊』などと呼ばれる所以でもあるのだろうが。


 いずれにしろあすらはその考えの元、行く先々の世界で、様々な種の遺体を回収してきた。イーライ曰く、『変質者の病気』である。もっともあすらが聞いたら、全く無趣味のイーライの方がずっとおかしいと、また喧嘩が始まることだろう。


 この病気が、クルー一同を鼻白ませながらも口出しされないのは、確実な高収入を叩き出すからだ。

 趣味と実益を兼ねて収集された遺体は、あすらによって徹底的に調べつくされた後、解剖される。


 例えば、同一人種間ですら、山奥や島などの閉鎖環境で、血族婚を繰り返してきた辺境の一部族などからは、他民族に見られない特殊な抗体を生まれついて持っていたりするものだ。その抗体から精製した薬を、他世界にまでばらまけば、莫大な利益を生むことができる。

 あすらはそうやって、各世界の医学レベルでは不治とされる病の特効薬をを開発しては、良心価格で売りさばいていた。商業取引担当者の手腕もあり、天鏡号の全収入の一割強を稼ぎ出している、実に有意義な趣味といえる。


「持ってきた機材の出番がなくなったけど、これなら色々と簡単ね。かえってよかったわ」


 四本の腕で丁寧に若い女――ヴァイシャの遺体を運び出す準備を始めた。

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