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神の温床  作者: 寿 利真
2/13

信仰の国の人々

 わたくしには、名前がない。


 この身が『特別』であることを自覚した頃、不意に気が付いた。

 周りの修道女達はもちろん、籠の中の鳥にまで、呼び名があるというのに。

 便宜上呼ばれる『御子』は、名前ではないらしい。

 修道院長に尋ねてみたことがあった。


「なぜ、わたくしは『特別』なの?」と。


「それは、あなたが罪でいらっしゃるからです」


 答えはいつも同じ。


「その漆黒の髪は闇の色。罪の色。雲の上におわす天帝は、罪の烙印を下されました。

 魔法の力を持たぬのが、明白な証拠。

 あなたの母君は、神々のお定めになった秩序に背き、あなたを産むという大罪を犯しました。

 生まれながらの背逆者――それゆえに、『特別』なのです」


「ただひたすらにお祈りなさい。

 この修道院の中で、神に召されるその日まで。

 御身の存在する罪を、生涯かけて懺悔し続けなさい。


 ――あなたは、罪人なのですから」


 自分の黒髪に、ひどく罪悪感を覚え始めたのは、この頃からだろうか。


「――わたくしの名前は、『罪』」


 修道院という牢獄に囚われ、雲の向こうにある断罪の目の幻に、身がすくむほどの恐怖を覚えた。













「あれ?」


 中央通りをしばらく歩いていたシンの足が、不意に止まった。

 商工街に差し掛かった辺りの古い町並みは、活気付き始め、どこの店も売り場の用意に大わらわである。

 その風景のどこからか、子供の泣き声が聞こえた。


 周囲を見回すが、それらしい姿は見当たらない。耳を澄まして、声の発信源をたどってみた。


「おや、シンじゃないか。今日はずいぶんと早いね」


 飯屋の女将マジアが、店から出てきた。いつもより、威勢のよさが鳴りを潜めている気がする。


「それより、これは何事だい?」 


 シンの質問に、マジアは浮かない顔を返す。


「うちの娘だよ」

「サジーナ? 何かあったのかい?」


 隣家との壁の間を指差され、のぞき込んでみた。小さなサジーナが、地面に伏すように、大きな犬を抱え込んでいる。


「今朝起きたら、イギーが死んでたもんでね。まあ、年だったから。で、もう泣いて、手が付けられないよ。今は仕込みで忙しくて、とても弔ってやるどころじゃないし」

「昼過ぎまでは手が空かないんじゃないかい? いいよ、あたしが墓作ってやるよ」


 シンがその場で請け合った。


「ありがたい、助かるよ。悪いけど頼めるかい? 嫌なこと押し付けちまうけど」

「困った時はお互い様さ。まだ時間は余ってるしね。おばさんたちは構わず仕事続けとくれ」


 マジアは感謝しながら、慌ただしく店に戻っていった。


 シンは、壁と壁の狭い隙間に体を滑り込ませ、サジーナの背後に立って覗き込んだ。六、七歳ほどの女の子が、動かなくなった愛犬に縋り付いて、号泣している。


「よ、サジーナ。イギーが死んじまったんだって?」


 デリカシーの欠片もない声をかける。その態度に同情の色は全くない。サジーナは泣きはらした目で、きっと睨み返した。


「死んでないもんっ。ちょっと眠ってるだけだもん!」

「で、いつまでそうしてるつもりだい?」

「イギーが起きるまで!」


 どこまでも涼しげな顔のシンに、サジーナはかえってムキになる。


「シン姉ちゃんに何が分かるってのさ! 放っといとくれ!」

「あたしはイギーのために言ってるのさ」


 サジーナの気持ちは十分過ぎるほど分かっているが、それでもシンの気持ちは正直なところイギー寄りだった。


「イギーのため?」


 意味が分からず聞き返す少女に、にっこりと力強く頷く。


「イギーは幸せ者だよ。あんたみたいないい子に拾われたんだからさ。大好きなサジーナに、泣いてほしいなんて思っちゃいないんだ。あたしにはよく分かる。安心させて墓に入れておやり」


 穏やかに言い聞かせた。サジーナは、戸惑った顔でシンを見つめる。


「イギーはサジーナのこと、好きだった?」

「でなきゃ、ずっとあんたの元に留まってないよ」

「だったら、きっとイギーは起きてくれるよ。サジーナが好きなら、ずっと側にいてくれるよ!」


 サジーナはまた泣き声を上げて、ふさふさの大きな体に顔を埋めた。

 その様子を、シンは静かな眼差しで傍観した。説得することが目的なわけではない。『死』の定義など、自分なりの解釈で、勝手に作り上げていけばいい。

 手厳しいノイエに育てられたので、そもそも甘やかし方も知らない。ただ気が済むまで、気持ちを吐き出させてやるくらいは……そして、それに付き合ってやることくらいは、できると思った。


 サボり過ぎでヒロイン役外されるかな……などと他人事のように考えながら、一日付き合ってやる覚悟で、サジーナの正面に回り込んだ。


「あたしも手伝うから、あんたの手で埋めておやり。死んだ者はみんなそうしてもらうもんだよ」


 どんな反論だろうと受け止めてやるつもりでいたシンは、しかし次の問いにいささか意表を突かれた。


「シン姉ちゃんも、自分で埋めてあげたことがあるの?」


 戸惑って、言葉に詰まる。少し迷ってから、珍しく苦笑して、サジーナの頭を撫でた。


「――あるよ。あんたくらいの頃に。たった一人の友達だった。鳥だけどね」


 正直に、答えた。


 意地悪のつもりで訊いたサジーナの方がたじろいだ。答えがあるとは思っていなかった。この街に来る以前の過去が、シンの弱味であることは、仲間達の暗黙の了解である。

 微かに困ったように笑うシンを見て、反省した。


「――ごめん、シン姉ちゃん」

「何か謝らなきゃならないことでもしたのかい?」


 いつもの調子でとぼけて見せたシンに、サジーナは意地を張って、そっぽを向いた。


「シン姉ちゃんっ、何をボサっとしてんのさ。お墓作るの手伝ってくれるんだろっ。サジーナじゃ運べないんだから、さっさと抱き上げとくれ。丁寧にだよ? 落としたりしたら、許さないんだからねっ」


 くるっと背を向けて一気にまくし立てた。宗教上の戒律で、死体に魔法は使えない。全て人の手で弔わなくてはならないため、結構な手間がかかる。


「よし、サジーナはシャベル持っといで。河原の辺りでいいかい?」

「うんっ!」


 シンの指示に従って、サジーナがいったん家に引き返した。

 残ったシンは、足元に横たわる動かない大型犬に視線を落とす。


 幼い頃、一人で死んだ小鳥を、ひっそりと埋めてやったことを思い出す。一瞬、その頃の自分が、心の奥底で蠢き始める感覚を覚えた。

 何も感じず、何も思わない、ただ息をするだけの人形。

 よく懐いてくれていたイギーの遺体を前にしても、本当は心が動かない自分を、他人の目線で観察しているようだ。


「シン姉ちゃん、持ってきたよ!」


 後ろからの声に、はっと我にかえる。


「あ、ああ……じゃあ、運ぼうか」


 嫌な感覚は、すでに消えていた。内心ほっとしながら、しゃがみこんでイギーに触れる。指先は、ひやりとした感覚……。


 異変は、その直後起こった。


 ぺろり。


 シンの思考は、手の甲への奇妙な感触とともに、ピタリと停止した。バサッ、バサッと、腰の辺りに柔らかい衝撃が、触れては離れる。


「うわあっ!?」


 シンは叫んで、尻もちをついた。後ろでサジーナが目を見張っている。

 イギーはぶるるっと、体を大きく揺すってから、何事もなかったように尻尾を振りながらサジーナにすり寄っていった。

 狂喜乱舞で愛犬を抱きしめる少女を前に、呆気にとられる。


「まったく、人騒がせなっ……」


 どう見ても遺体だと思い込んでいただけに、さすがに度肝を抜かれたが、何とか気を取り直して立ち上がった。とりあえず肩の荷が下りて、気が抜ける。


「今度からべそかく時は、ちゃんと確かめてからにおし」

「サジーナは初めから生きてるって言ってたもん! シン姉ちゃんが勝手に勘違いしたんだろ?」


 顔を見合わせて盛大に笑い、二人は壁の隙間から外に出た。


「とーさん、かーさん、見てよっ、イギーが生きてたんだよ! ほらっ、おじさんもおばさんも見てよ!」


 大はしゃきで触れ回るサジーナに、周辺からは野次混じりの歓声が沸き起こった。


「やれやれ、とんだ人生相談だったな」


 仕事の手を止めた鍛冶屋のルシュドが、後ろからからかいの声をかけた。


「何だい、立ち聞きとはいい趣味だね」

「店の真横でしゃべられてりゃ、嫌でも聞こえてくらあな。それよりそんなのんびりしてていいのか? 仕事行く途中だったんだろ?」

「ああ、そういや、サボる気でいたから、すっかり忘れてたよ」

「おいおい、しっかりしろよ? しっかり稼いで、ノイエを楽させてやれよ」


 自分の何気ない軽口で、ルシュドはふと関連する別の話を思い出した。


「こりゃあまだ噂だが、また税金が上がるらしいな」


 何とも嫌な話題に、シンは眉間にしわを寄せる。


「またかい? 一体何だってのさ」

「例によって、てやつさ。城のお姫さんが、大臣と結婚するってえだろ? それを祝って、記念の教会建てるらしい。建築屋界隈じゃ、具体的な話がもう進んでるってよ」

「一体、いくつ建てりゃ、気が済むんだろうねえ」

「まったくだ。次から次へと、よくまだ建てる場所が残ってるもんだよ」


 ルシュドは、呆れ半分感心半分といった口調だ。実際、国中の区域を割り振って、次々建造される教会は、地域住民にとってはむしろ有難迷惑に近い。なければ困るが、不必要に多すぎる。

 それも教会建造の口実として、貧しい人々の救済といいながら、貧しい人々から税を取り立てるのだから、本末転倒というものだ。

 王侯貴族の思い付きで教会が増えるのに比例するように、スラム街の範囲が広がっていくのを、シンは近頃、肌で感じる。


 一方で、時々不思議に思うことがある。

 貴族達のバカげた政治方針は、大義名分に神の名さえ出せば全てがまかり通る。そのため打ち出された時点では話にもならないお些末さなのに、実行に及ぶ段には、いたって滞りなく運営されてしまう。

 綿密な計画性、合理的な施工過程、抜かりない管理能力をのぞかせる何者かの存在がある。


 政治家はすべからく高位の貴族。つまりは、強欲で傲慢で気位ばかり高い無能集団に、ずば抜けて有能な異端者が混ざっている。


 だからこそ、腑に落ちない。そんな切れ者が、なぜもっとうまく立ち回らないのか。

 無茶な計画なら、潰してしまえばいい。その方が断然楽に決まっている。あるいは、廃案に仕切れないほどに、無理難題が多いのだろうか。

 貴族相手ならまだしも、国王に異議を唱えるには相応の覚悟がいる。不忠者と怒りを買って、どれほどの貴族が破滅したか。特に当代は、予定外に王位を得た、帝王教育すら受けていない男だ。度を越した信仰者だとも聞くし、何か問題でもあるのかもしれない。


 取り留めもなく思いを巡らせていたシンは、そこではっと我に返る。一体何を考えているのだ。普通の下町娘には、関係のない世界の話じゃないかと。 

 自分と仲間のことだけ考えていればいいと、不穏当な思考を振り払った。


「前の王様のときゃ、もっと普通だったんだがなあ」


 逆にルシュドの方から、その話題に触れてきて、内心ドキリとする。


「ま、とにかくその噂が事実なら、今のままの税金で間に合うはずがねえって話さ」

「あ、ああ、まったく、人の金だと思って、盛大に使ってくれるねえ」

 

 何気ない風に空を仰いで、話を合わせた。その空色の目が、ぎょっと見開かれる。


 はるか上空、大分にぎわってきた一般空路の往来で、交通事故が起きていた。シンの良過ぎる視力は、激突して真っ逆さまに墜落してくる二人の人影を捉えた。


「お、おじさんっ、時間がないからそろそろ行くよっ。やっぱり遅刻はまずいしね!」


 慌ただしく世間話を切り上げ、ろくな挨拶もせずに駆け出した。


「シン姉ちゃん、送ってあげようか?」

「遠慮しとく!」


 サジーナの親切な申し出を振り返りもせずに断り、全速力で逃げ出した。一秒もゆっくりはできないし、そもそもシンを同乗させて飛べるわけがない。仮にできても、こんな女の子の後ろに乗せてもらうのはちょっと情けない。


「もう、いいかな?」


 二百メートル程突っ走ってから、立ち止まって空を振り仰いだ。意識を失った二人が、地上十メートル程の所で浮いているのが見えた。ありえない程のギリギリで、間に合ったようだ。


 ほっと息をついてから、ペースを落として歩き出した。


 こういう時、自分の存在に恐怖を覚える。魔法を使えないだけならまだしも、他人の魔力まで――それも、力が大きければ大きい程、完全に無効にしてしまう。

 

 通常なら、多少の事故が起こったところで、大した問題にはならない。さっきの場合だったら、周りの魔法使い達が、一斉に落下を防ぐべく直ちに魔法で止めるからだ。


 ただ今回は、ラッシュにかち合ったせいで、救助側の人間が多すぎた。目撃者数百名からなる魔力が一点に集中したせいで、そこそこの距離にもかかわらず、シンの無効化範囲に触れるほどのエネルギー量に達してしまったのだ。


 もしシンがあの場に留まっていたら、二人の墜落死は免れなかった。それどころか下手をすれば、自分を浮かせながら他人にまで魔力を注ぐという、魔力の二重使用に及ぶ救助者全てを巻き込んだ、集団墜落事故を引き起こしていたかもしれない。

 なんと、有害なことか。


 足取りはどことなく重く、その表情も薄っすらと強張る。湧き上がる歓声は、シンの耳を寒々しく素通りしていく。


「今の見たかい?」

「ああ、交通事故だよ」

「いやあ、それにしても、あんなに落ちたのは初めて見たよ」

「不信心で、神にお灸でも据えられたのかね」

「まあ、とにかく助かってよかった。神に感謝しなきゃ」


 聞こえてくる会話を聞き流し、シンは逃げるように足を速めた。

 これは憤りか。行き場のない感情で、心が凍り付きそうだ。


 二人が墜落したのは、シンがそこにいたから。

 助かったのは、すぐに距離を置いたから。

 不信心の罰でも、神が助けたわけでもない。そこにいる人々が、自らの善意と行動で助けたのだ。


「……なんで、神のせいになるっ……」


 微かな声が漏れる。


 学校で学ばされた神学には、『神の意志』の元、いくらでもその答えが用意されている。そこにいる誰もが、危機にある他人に瞬時に手を差し出し、その無事を喜び合う。それは人として望ましい姿であり、正しい社会なのだろう。『彼の存在』が、人々の心に呼びかける影響力の凄まじさを、否定するわけではない。


 神のご加護だと疑問も持たず、無邪気に受け入れる善良な人々。

 それが当たり前のこの世界で――けれどもシンの目には異質なものとして映ってしまうのだ。


「……ここが、あたしの居場所なのに……」


 混じり込んだ異分子のように、身動きが取れない気分になる。

 この街に、この世界に、馴染める日はくるのだろうか。



 

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