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神の温床  作者: 寿 利真
11/13

王宮の上と下

 王女ヴァイシャと内務卿セメト・ヌアクの婚約披露園遊会は、その夜盛大に催された。

 国内の選りすぐりの貴族や、滞在中の諸外国の王族や大使が入り乱れている。


 巨大な会場へ続く扉の前で、ヌアクに手を取られたシンは一度立ち止まった。

 扉は劇場の幕。開いた瞬間から舞台が始まる。


「行くぞ」


 ヌアクに手を引かれ、目の前で緩やかに上がった幕の向こうへと足を踏み出した。


 にわかにざわめきがやみ、奥へ向かって人混みが割れた。その間を、シンはゆったりとした足取りで進む。


 プラチナの髪を華やかに結い上げ、端正な顔立ちを一層際立たせる化粧を施し、艶やかな姿態に鮮やかな青いドレスを纏って、優雅な身のこなしで歩いていく。その姿に、人の壁は一斉に目を奪われた。多少鋭角を帯びた外観は、病気明けで少し痩せたためと衆目には映った。


 いつもの作り物の舞台とは違う。ここでの演技は全て現実となる。

 シンは隣を歩く共演者を密かに盗み見る。

 自分と似た顔立ちから、血の繋がりが分かる。端正で繊細な容貌は、実際の無感動な性格を消し飛ばす程の華やかな印象を放つ。

 痩躯の長身には派手な正装もよく映え、貴婦人達の熱い眼差しがシンにまで伝わってきた。機械のように無駄のない物腰も、落ち着いた堂々たる態度に変換されている。

 外見、頭脳、能力、地位――血筋に難があること以外、どこをとってもヴァイシャに相応しい男に思える。

 結婚相手にこの男を選ぶヴァイシャの強かさが明確に読み取れた。


 やがて会場の最奥に進み出て、玉座の前に立ち止まる。一礼して面を上げれば、三段高い場所から、ぱっとしない初老の男が見下ろしていた。

 もう一人の叔父、メネイオスだ。


 数日ぶりにあった病み上がりの娘に、どことなく不機嫌な視線を向けた。


 キーアが嫌うわけだと、シンはその場で納得する。キーアが王の批判などするわけがないが、メネイオスの説明の時だけ自制し切れない感情の揺らぎを、シンは読み取っていた。観察してきた限り、キーアがそういう反応を示すのは、ヌアクとメネイオスだけだ。


 陰鬱に塞ぐ王の眼を見て、シンは多少意外な思いに捕らわれた。印象は著しく違うが、二人の叔父は髪や眼の色、顔立ちなどがよく似ていた。メネイオスがもっと痩せて長身だったら、二十年後のヌアクの姿に見えるかもしれない。

 キーアが二人まとめて嫌うわけだとますます納得しつつ、そんな素振りなど微塵も見せずにヴァイシャそのものの微笑を浮かべて見せる。


「私の婚礼も差し迫ったこの時期に、ご心配をおかけいたしました。この通りすっかり回復いたしましたので、どうぞご安心ください」


 舞台で言うならまさにスポットライトの中心。よく通る声で父王に優雅に挨拶する。

 メネイオスは忌まわし気に目だけぎょろりと動かした。


「――体はもういいのか」

「はい。数日前からよくなってはおりましたが、今日に備えて大事を取っておりました」

「この大切な時期に体調を崩すとは、神の警告とは思わぬか? この婚姻が神の御意志に添わぬという御掲示ではないのか」


 めでたい席に相応しくない問題発言を、その最大の原因である本人が淡々と口にする。


「私はむしろ、お披露目のこの席に間に合うように回復したことに、神の祝福を感じますわ」


 シンは動じずに微笑んだ。


「父上も、どうぞ私達に祝福を」


 背中に居並ぶ数百の視線を武器に、間髪置かずに迫った。ここで請われて、拒むわけにはいかないだろう。


 新国王の誕生は国を挙げての慶事。例え王位への執着があったとしても、歴代の王は次代への継承を強いられてきた。

 メネイオスは穏やかならざる内心を押し隠して、玉座からシンを招いた。


 段取りはしっかり頭に入っている。予定通り、王の隣に並び立ち、群衆の視線を一身に受ける。

 静まり返った晴れの席の舞台に、メネイオスの聞き取りにくい声が響き渡った。


「本日この場において宣言する。この日より十日後、余メネイオスが一子ヴァイシャと弟ヌアクは婚儀を取り結び、王位はヴァイシャへ継承される。二人の婚儀及び戴冠を、神が祝されることを切に願う。方々も今宵は盛大に祝ってほしい」


 一番祝っていない本人は、状況に逆らえず宣言するしかなかった。場内から惜しみない拍手が巻き起こる。

 嫣然として応えるシンは、奇妙な感触を覚えた。元から良くはないメネイオスの顔色が、一層蒼ざめて見えた。小刻みに震えている気もする。

 訝しくは思ったが、シンは詮索をやめた。マークするべきはヌアク。他の余計なことにまで手を回す余裕などないと。


 ノイエが今、メネイオスの手にあるなどとは思いもせずに――。













 披露宴は活発な交流を図るため、立食の形式をとっていた。

 比較的堅苦しさもなく、祝辞客達はのびやかに談笑し、各々交友の輪を広げている。各国の王族や大使達にとっては外交のチャンスの場でもあり、政治経済や、商談の話もちらほらと聞こえていた。


 そんな中、園遊会の主役として、シンは客の相手に追われて休む暇もない。

 ヌアクは傍から片時も離れない。付きっ切りでも怪しまれないこの機会に、主要人物の顔や性向、関係性を把握させるためだ。情報はほとんど記憶済みなので、顔を一致させることに専念する。

 次世代の国王と権力者の機嫌を取るのに必死な様子が、露骨に見て取れる。


 流れ作業で愛想を振り撒くシンの背後に、新手が近付いた。


「ヴァイシャ様、よろしいかしら?」

「エルシャスのフェトヒ・イエ王女と、夫のケユクス外相だ」


 ヌアクの囁きを耳元で聞きながら、涼やかな女性の声に振り向いた。その瞬間、舞台ではどんなハプニングにも動じないシンが、唖然とした。


 フェトヒ・イエ、王女……?


 決して崩れない微笑みの裏側で、内心あんぐりと口を開ける。

 そこに笑って立っている人物は、どう見ても『イーライ』だった。服も声も違う。髪や瞳の色も、何より性別が違う。しかし『神々の庭』で遭遇したイーライに間違いない。

 その証拠に、隣に『リョーアン』がいる。


 ヌアクが目と鼻の先にいたこの二人を見つけ出せない理由が分かった。提示した情報は、男の二人組だったのだから。


「まあ、しばらくお会いできなかったけれど、快適にお過ごしでいらっしゃったかしら?」


 シンは直ちに演技を続行する。


「ええ、もちろん。でも、お元気なお姿に安心しましたわ。とてもお体を案じておりましたのよ。ねえ、ケユクス」


 フェトヒ・イエ王女は――いや、イーライは、シンに気付きもせず、変声機で変えた声で笑った。優雅な王女そのものの物腰で、夫のケユクス――寥庵に話を振る。


「まったくその通りです。健やかなご様子で何よりです。ヌアク殿もご心配だったでしょう」


 さも好人物風の物言いで、寥庵が同意した。そのやり取りは、シンの目にも夫婦のように自然に映った。


 こいつら、相当なタヌキだ。シンは内心で感心しながら、自分の方は見抜かれないように努める。


「もう少しお話ししていたいのですけれど、今日はヴァイシャ様を独り占めするわけには参りませんわね」


 ひとしきり歓談してから、二人は場を弁えて和やかに去っていった。


 シンはその後ろ姿を、ほっとしながら見送った。ヴァイシャとして何とかこの場をやり過ごせた。


 背筋に冷や汗を感じる。

 遭遇したのはほんの数日前のことなのに、複雑な感情が心に吹き荒れていた。――もう懐かしいのか、まだ恐ろしいのか。


「――っ!?」


 出会った日のことをなんとなく思い出していて、頭の中で突然、全てが繋がった。

 『天弓宝珠』『正体』『計画』――樹海で聞いた二人の意味不明な会話の内容が、唐突に意味のあるものに変わる。


 彼らは真っ赤な偽物。外国の王族どころか、国宝を狙う盗賊の類だと、シンの持つ情報と状況が告げいている。


「――ヌアク」


 小声で呼びかけ、振り向いたヌアクの無表情を見て、はたと思い直した。


 ヌアクに情報を渡す必要はない。二人の居場所が掴めた以上、接触は自分でもできるのだ。

 彼らが王宮のどんな宝を狙おうが知ったことではないし、むしろ彼らが攪乱してくれた方が、色々と付け入る隙もできるかもしれない。


「何だ?」


 ヌアクを見ながら、瞬時に結論を出した。


「――あたしのヴァイシャ、完璧だろう?」


 ヴァイシャらしい花のような微笑みを浮かべて囁いた。

 ――腹の中で、手足に付けられた絡繰り糸を、何本か断ち切りながら。













 一方、宴もたけなわの頃、寥庵とイーライはパーティー会場をこっそりと抜け出していた。警備や使用人の多くが会場に割かれているため、今夜は警護が普段より手薄になる。調査を進めるには絶好の機会だ。

 一旦割り当てられた客間に引き上げ、探索の準備を整えいていた。


「寥庵? どうかした?」


 どこか腑に落ちない顔つきの寥庵に気付き、イーライが問いかける。


「――さっき会ったヴァイシャだが……」

「ヴァイシャ? 何か問題でも?」

「気付かなかったか? うーん……私もそんな気がするだけで、確かめたわけではないからなあ……」


 寥庵は曖昧な口調で首を捻る。


「気になることがあるならはっきり言いなよ。あんたらしくないなあ」

「まあ、何というか――なあ、あれ、シンじゃないか?」

「――はあっ!?」


 数秒置いて、イーライは素っ頓狂な声を上げた。


「何でまた……」


 先ほど談笑を交わしたばかりの王女の様子を思い出す。何を考えているのか分からない微笑で、客達にそつのない対応をしていた。


「どう見たってヴァイシャだったよ。それらしい素振りなんて、全然なかったし。大体なんで町娘が、晴れの席で王女とすり替わってなきゃならないんだよ」


 イーライの否定に、寥庵もどこか自信がなさそうだ。


「なんでと言われてもなあ……なんとなくとしか言えんが。シンの印象が強過ぎたせいで、同じ顔がそう見えてしまうだけなのかもしれんし」

「おや、次に会った時は見分けられるんじゃなかったの?」

「そのつもりだったんだがなあ。いやあ、いざそうなってみると結構分らんものだな」


 意地の悪いからかいに、寥庵は悪びれず答える。


「まあ、私の気の回し過ぎだろう。どちらにしろ今は手が出せん。せっかく調査を進められるチャンスなんだから、そちらに専念しよう」


 言い出した張本人が、あっさり直感を切り捨てて、促した。


「ごもっとも」


 イーライも否やはない。速やかに調査の準備を整えた。


「でも、一応調べてはみよう。ジェナイエンに頼んだシンの調査も、そろそろ結果が出る頃だろうしね」


 珍しく慎重なイーライに、逆に寥庵の方が難色を示す。


「あまり深入りしないほうがいいかもしれんぞ。藪を突くことにもなり兼ねん。私の不確かな疑念に振り回されて、本業が疎かになっては意味がない」


 エルシャスの民族衣装から普段着に着替え終え、光学迷彩をまとった。


「でも、もしシンだった場合って、オレ達の正体がバレたってことだからね。対処は早い方がいいでしょ」

「そうだな。私の杞憂を確かめられるならそれもいいか」

「ま、藪を突かない程度にうまくやるよ」


 イーライも出発の準備を終え、二人は客間を後にした。


 照明の技術のない世界のため、火の灯り程度では、余程のヘマをしない限り、廊下ですれ違っても二人には気付けない。

 こうやってコツコツと内部調査を進め、見取り図完成の目途も立ってきたところで、イレギュラーな事態は歓迎できない。


 聞いた瞬間は否定したイーライだが、今は『信』の割合の方が高い半信半疑となっていた。寥庵は人の心が読めない男だが、人を見る目に関しては結構なものだと評価している。データ本位の目に引っかかる何かがあるというなら、調べる価値はあると思った。


 二人は頭に叩き込んだルートを順調に進み、巨大な扉の前にたどり着く。今日の調査ポイントは王宮の最南端にある国王の謁見の間だ。そこからさらに百メートル程南の敷地内に、あのうるさくてかなわない『鐘の塔』がある。


「謁見の間は手薄になったが、鐘の塔の方はやはりいつも通り護りが厳重なようだな」

「特殊な役割のある鐘だからね」


 窓の外の様子をうかがった寥庵の感想に、イーライが答える。


 40メートルほどの高さの鐘の塔は、普通の鐘楼とは変わった形状をしていた。外から見ると、二層構造に見える。真ん中ほどの高さにいつも鳴る時報の鐘があり、さらに最上階にももう一つ特別な鐘があるという。

 最上階の方の鐘は常に全ての扉が固く閉ざされた密閉状態で、開かれるのは国王が崩御した時、或いは新国王が誕生した時のみ。俗に『弔いの鐘』などと呼ばれている。

 国民に、何より天の神々に、王位の継承を報告するためのものだ。


「もし間違って最上階の鐘を鳴らしちゃったりしたら、問答無用で国王交代って事態になるんだって。神々に嘘の報告をするわけにはいかないからって。だから、塔の周辺だけは常に警備が厳重なわけ。あの鐘を巡ってこれまでどんな陰謀が繰り広げられてきたのか、予想はつくよね」


 世間話的に解説しながら、イーライは謁見の間の扉を押してみる。

 当然扉は施錠してあるが、それは大した障害とならない。


「転送座標に物体なし、生命反応なし」


 確認してから、二人は自分の指に光る指輪に手を伸ばした。イーライのは赤い石、寥庵のは青い石がはまっている。

 以前イーライがクレームをつけていた、指輪型の簡易転送機だ。超小型な分、機能は二パターンしかない。予めプログラムされた『神々の森』へか、二メートルだけ先への転送か。


 その石の台座をかちりと回し、短距離転送モードに切り替える。スイッチとなる石部分を押して音声受信可動状態にすると、二人はそれぞれのパスワードを口にした。


 曰く――「寥庵」「イーライ」と。瞬時に二人の姿は掻き消え、扉の向こう、二メートル先の真っ暗な謁見の間へと移動していた。


「――ああ、パスワードが自分の名前って、パスワードの意味が……どんな情弱……?」


 イーライはブツブツとぼやく。

 最初にクレームを入れた時には、どうせ今回限りの間に合わせだし、咄嗟の時にも絶対忘れなくていいだろうと、寥庵は笑って答えたものだ。

 この世界の人間に転送機の存在が理解できるとは思えないし、そもそもパスワード入力の概念自体がないと言われれば確かにそうなのかもしれないが、それにしても慎重なのか不用心なのか分からないところだ。


 二人は暗視ゴーグルのスイッチを入れ、早速室内の物色を始めた。

 王宮入りした初日に、挨拶のため一度だけ入ったことがある。今回は、その時に感じた違和感を確かめるための調査だ。


 三段高い場所に玉座があり、天窓以外の窓がない。出入り口も、巨大な両開きの扉一つだけ。


「よし、イーライ、探してみてくれ。おそらく段上の玉座付近だと思うんだが」

「あるとしたら、でしょ?」


 寥庵の指示に、イーライがつっこみを入れる。


「この部屋の造りと王宮全体の設計、それから公に管理されている国家の倉庫の数が国の豊かさの割合に見合っていないことから考えれば、統計的にはなければおかしい。どこの世界も人間の考えることなんて似たようなものだしな」


 何とも根拠の弱い保証をしながら、段上に上がって壁や床に手を触れて回る。イーライも透過装置を使って、壁から床へと隈なく探ってみた。


「あった! 見つけた! 本当にあったよ、寥庵」


 イーライが目を丸くして呼びかけた。寥庵も素早く駆け寄る。


「玉座の下か」


 とりあえず力を入れて玉座を押してみると、横にスライドし、地下へと続く階段が現れた。


「すげー。こりゃ、大収穫だよ」

「秘密の地下通路というやつだな。宝物庫がある可能性は高いぞ。おそらく主要な複数の施設に通じているのだろう」


 寥庵は一切データのない地下へと、慎重に足を踏み出した。

 二人は無言で通路を進んだ。構造的にこの通路が本道のようだ。ここから細い脇道が、時折枝分かれして暗闇の先へ伸びている。途中、通路沿いには、幾つかの扉があった。その都度室内をチェックしてみるが、ほとんどは倉庫の類だった。

 宝物庫も二つ見つけたが、目的の天弓宝珠は残念ながらなかった。


 寄り道しながら一時間ほど進んだが、人の気配は一切なかった。


「この地下通路は、普段はほとんど使われていないようだな」


 寥庵はようやく少しばかり警戒を緩めた。イーライも大きく息をつく。


「あー、やっとしゃべれる」

「もし誰か見つけたら、捕虜にするのもありだな。この通路を使う者なら、色々知っているだろう」

「脅しはナイフとか原始的なヤツでね。銃自体知らないから」

「ああ、ここもシールド内だから、ESPでの攻撃はないんだろう?」

「そのはずだよ」

「ガス兵器も持ってきたな? あすらのおススメのがあったろう?」

「うん、その場でバッチリ記憶が消せるよ。ちょっとばかり記憶障害の副作用は出るかもだけど」

「まあ多少なら許容範囲だろう」


 幾分物騒な会話を交わしながら、何度目かに現れた扉の前で足を止めた。


 これまで現れた扉とは全く様相が違う。鉄製で、打ち込まれた鎖で何重にも取り巻かれ、錠も複数かけられている。


「なんか、この扉だけやけに厳重じゃない?」


 イーライが軽く扉を叩いてみる。ゴオン、と重く後を引く音が、地の底を這うように響いた。念のため透過装置を取り出して、扉の奥を探ってみる。


「随分広い空間があるみたい。……でも――なんだ、これ?」


 モニターの計測結果をイーライに見せられた寥庵は、あまりに不可解な数値に眉根を寄せた。


「全方向に、壁の反応がない。室内じゃないのか? ――いや、下方だけ、二十三メートル下に地面がある。ん? 流動しているから、液体だな。それも大量の。……この密度は海水か。……地下の扉の向こうに、いきなり海があるのか?」

「いやいや、航空写真見たでしょ。海なんかないよ。 ――あ、もしかして……」


 ある可能性に思い当たったイーライに、寥庵が頷く。


「手持ちの機材でこれ以上の調査は危険だが、別次元の空間に繋がっている可能性が高い。自然発生した次元の切れ目の類だろう。海に面した絶壁にでも通じているのかな」

「うわあ、危なかった。調べず転送してたら、崖下にいきなりダイブしてたとこだ」


 胸を撫で下ろすイーライの横で、寥庵はしばし考えこむ。


「面倒なことになってきたかな。情報が出回っていない以上、この扉は国家レベルで秘匿管理されているということなんだろうが、少なくとも国のトップは異世界の存在を知っているわけだ」

「考え過ぎるのはあんたの悪いクセだよ。異世界の存在を知ってたって、オレ達がしっぽを掴まれなければ問題ない」

「それもそうだな」

「でしょ。とっとと次に行こう」

「確かにここで立ち往生していても意味はないな」


 たった今まで思考の沼にどっぷりとつかっていた寥庵は、イーライの指摘にあっさり思案を捨て、踵を返した。イーライは微かに苦笑する。


「……意味のないことは一切しないのも、悪いクセかもね」


 口の中で呟いて、寥庵の後を追った。


 それからも扉はあったが、特別なものはなく、全ては空か、普通の倉庫だった。単調な確認作業が続き、イーライがダレてくる。


「ここも普通の扉だね。反応もこれまでと同じ倉庫だ。もういいよね、入るよ」

「ちょっと待て、生命反応が――気の早い奴だな」


 イーライがさっさと室内に移動してしまった。残された寥庵は、きっちり確認作業を続ける。びくりと立ち止まるイーライと、床に伏せている何者か。


「予想外に人がいて、焦っているな」


 とりあえず攻撃されている様子がないことを見て、制圧用の銃を手に遅ればせながら寥庵も転送した。


 唖然とするイーライの視線の先に、女の姿があった。代り映えのない倉庫の床の上に横になったまま、面白くもなさそうな目で、突然の闖入者を見返している。


「今までずっと順調だったのに、慎重さを欠いた途端くるものだなあ」


 寥庵がむしろ感心したような感想を述べる。


「あー、びっくりした。まさかこんなとこに人が住んでるとは思わなかったよ」


 イーライは驚きを収め切らないまま答えた。


 そんな二人の様子を、女は驚きもせずに観察している。なかなか肝の据わった態度に、寥庵は興味を持った。


「住んでいるのではなく、監禁されているのだろう」

「監禁?」


 寥庵の視線を追うと、女の足に繋がれた鎖が見えた。


「なんだい。あんた達は。あたしをここに押し込めた奴らとは別口かい?」


 じろりと見返しながら、女が問い質す。寥庵が頷いた。


「そのようだな。何故ここに?」

「そんなのあたしが聞きたいよ。眠り香を嗅がされて、気が付いたらこの様さ。一体ここはどこなんだい?」


「王宮の地下通路だよ。何かやったの?」


 今度はイーライが答える。女の風采は、どう見ても王宮と関わりのあるようには見えない普通のおばさんだ。『王宮』という言葉に、女は微かに表情を変えた。驚いているというよりは、納得の顔。心当たりがあるらしい。


「あんた達こそ、何をやってるんだい? どう見てもこの国の人間には見えないねえ」


 女は含みのある言い方で、聞き返した。イーライは即座に読み取る。


「つまり、お互い関係ないってわけ?」

「察しがいいじゃないか」


 近寄るでも突き放すでもない態度で、女は二人を見据えた。


「別にあんた達が何者で、何故ここにいるのかなんて、あたしにゃ何の興味もない。さっさと用事でもなんでもすませて出てお行き。これ以上の面倒は御免だよ」


 つっけんどんな物言いに、イーライはきょとんとする。


「監禁されてるのに、助けを求めるどころか出て行けなんて、変わってるね」

「どの道助ける予定はないぞ、イーライ」


 手早く室内を物色していた寥庵が釘を刺す。


「計画にないことをすると、どこで仕事に支障を来たすか分らんからな。もう用は終わった。すぐに出ていく」


 シビアだな、相変わらず――イーライは肯定とも否定ともつかない表情をした。侵入者の存在を自ら喧伝するような危険を冒してまで、人助けをする必要性など寥庵は感じない。もちろんそれに反論はないのだが。


 寥庵の率直な言動に、女は気分を害するどころか、そこで初めてわずかに笑みを見せた。


「上等さ。あたしを助けに来る人間は他にいる。あたしが勝手に動いてたら、そいつは見つけるまで無駄に探し回ることになり兼ねないからね」


 きっぱりと断る。

 その直後、女の腹の虫が盛大に鳴った。


「見世物じゃないよ。ただでさえ朝から何も食べてなくて腹が減ってるんだ。これ以上煩わせるんじゃないよ」


 ぽかんとする二人に、しっしっとばかりに手を振った。終始寝転んで、体力を温存したままで。

 イーライはある場所を見て指差す。


「それ、食べないの?」


 女の傍には料理の乗ったトレイがあった。


「毒入りさ。あたしは薬にはちょいと詳しくてね。試しにネズミに食わせたら、案の定さ」


 転がったネズミの死骸を視線で示す。寥庵は不思議そうに見比べた。


「監禁は通常、何らかの要求を果たすために適用されるものだろう。つまりあなたには、当初はあったはずの利用価値が、今はなくなったということかな」


 デリカシーの欠片もない感想を漏らす。


「利用価値が、なくなった……?」


 女が今までで一番大きな反応を見せた。そんな様子を観察して何やら考え込んでいた寥庵は、ポケットから小さなピルケースを取り出した。イーライは黙ったまま、不審そうに見守る。


「手持ちの栄養剤だ。これで三日は持つだろう。その後のことは知らんが」


 潜入時に愛飲している自分用の錠剤を全部取り出し、女に差し出した。


「これくらいなら平気だろう」

「……」


 イーライは答えず、ただ見届けた。


「ありがたくもらっとくよ」


 女な素直に申し出を受けた。助け出される前に餓死しては元も子もない。


「安心しな。ここには誰も来なかった。――それでいいんだろう?」


 二人の立場を見透かしたような物言いに、寥庵は微かに目を見開き、唐突に笑いだした。


「その通りだ。感謝する。それでは失礼しよう」

「腹の立つことばかりだったけど、あんた達と話せて何日かぶりに楽しかったよ」

「私もだ」


 女の別れの言葉に、寥庵はそれだけ答え、イーライともども倉庫を立ち去った。

 何事もなかったように、再び奥に向かって歩き始める。


「――あんたらしく、なかったよね。ずいぶん」


 後ろに従いながらしばらく沈黙していたイーライが、言葉少なに感想を漏らした。寥庵は漠然とした指摘の意図が掴めない。


「何がだ?」

「いつもなら必ず記憶を消すところだよね。口約束を信じるあんたじゃない」

「彼女は平気だろう」


 イーライは意味ありげに笑う。


「答えになってないね。非論理的だ。あんたがそう判断したならそうなんだろうけど、その根拠は? 自分の薬まであげちゃって。人でなしのあんたにしちゃ有り得ないぐらい破格の処置だよ。あのおばさん、かなり気に入ったみたいだけど」

「――そうかな?」

「そうだよ。でなきゃ、あんたがあんな人道的なわけないよ」


 からかわれて、寥庵は初めて自覚する。確かにいつもなら、もっと確実な選択を実行する。不明瞭な自分の直感など信じない。なるほどと納得し、改めてあの女のことを思い起こして、再び笑った。


「彼女を見ていると、別の人間を思い出さないか?」

「別の人間?」

「この国の庶民女性は、みんなあんな風なのかな」


 この一言に、イーライも話を呑み込んだ。


「シンだ。そうか、あのおばさん、言動がシンにそっくりだ」


 寥庵がおかしそうに頷く。


「だろう? なかなか面白い人物だった。――そういえば名前を聞き忘れたな」


 言いかけて、頭の中で否定した。それこそ聞いたところで意味がない。どうせもう二度と会うこともない相手だ。

 寥庵は強烈な印象を残していった女を、記憶に留めて切り捨てた。


 女の名前――それがノイエだとは、知ることもなく。













「面白い連中だったねえ……」


 一人残されたノイエは、嵐のように現れて消えて行った二人に思いを馳せ、シンと同じような感想を持った。エネルギー消費を極力抑えるべく、天井を仰いだままで。


「――にしても……」


 現時点で最も切実な問題に、思考を切り替える。

 利用価値がなくなった――その一言が、頭に引っかかっていた。


 ノイエもおかしいとは思っていた。初めの監禁は、ほとんど客人のような扱いだった。待遇としては、むしろ過ぎた程と言えた。

 ところが眠り香で意識を失い、ひどい頭痛とともに目覚めた時には、一転して毛布もない倉庫。朝に出された毒入りの食事以降、放置されて何の音沙汰もない。


 寥庵達のおかげで、色々なことが分かった。


 ヌアクの元から、王宮の地下へと移されたのは、どういうことか考えてみる。更にはこの待遇の激変の理由も。


 方針の変更というだけなら、わざわざ殺すために王宮まで運ぶのは不自然だ。それよりはむしろ、ヌアクの手から、また別の誰かの手に渡ったのではないかと思える。

 王宮の施設を利用できる程の誰か。ヌアクの政敵辺りだろうか。


 眠り香には強い自白作用もあり、自分の持つ情報は渡ったと考えるべきだ。そしてその誰かは、自分を人質として必要としていない。つまりは、シンに言うことを聞かせる必要がないということになる。


 何が起こっているのか、もうわけが分からない。シンの身が案じられた。その脆さを誰よりも知りながら、今は強さの方を信じるしかできない。


 そして今、自分がしなければいけないのは、とにかく生きるためにもがくこと。実はすでに、倉庫から殴りやすそうな角材を探し出して、体の下に隠していた。魔力錠で魔法が使えないからと、抵抗しない理由にはならない。この場所で魔法が使えないことは知らなかったが、仮に寥庵達が危害を加えようとしたら、殴って返り討ちにするつもりだった。さすがにシンの母というべきか。


 しかし彼がくれたのは、栄養剤。この先まともな食事が出ないなら、まさに天の恵みだ。掌を開いて、錠剤を確認する。九粒あった。三日分なら、一日三錠。一日一錠に抑えて、どこまで持つだろうか。


「……あたしは生きるから、お前も頑張れ」


 シンを思いながら、一錠飲み込んだ。


 寥庵達を疑う気は、全くおこらなかった。不遜なまでの率直さが、かえってノイエの気性にピタリと来たからかもしれない。シンの敵でさえなければ、何者かなどどうでもいい。 

 ふと、無性にシンに合わせてやりたくなった。

 あの奔放さ、闊達さには好感が持てる。極端に視野の狭いシンにも見習わせてやりたいところだ。


「ふふ、案外王宮で会ったりしてね」


 自らは明日をも知れない状況の中で、他人事のように笑った。



 


 


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