第二回 聖ルベルジュ騎士団②
暫く、待たされた。
出された紅い茶には手を付けていない。清右衛門が、厳しい表情のまま控えているのだ。
しかも、重苦しい沈黙だった。清右衛門は、こうした場では自ら口を開く事はしない。
仕方なく、助之進は長椅子から立ち上がると、窓の外に目をやった。
見渡す限り、聖ルベルジュ騎士団の広大な敷地だった。それを囲むように広がる、居留地の町並み。此処は日本であるが、日本ではない。国法が通用しない、サンレーヌ王国の領分である。
(攘夷派の気持ちも判らんではないな……)
洋学を学び、西洋文明に深い憧憬を抱いていた自分さえ、この状況を見ればそう思わずにいられないのだ。海外への知見が無い者なら、義憤に駆られ攘夷を叫ぶのも無理からぬ話であろう。
しかし、時代は進んでいる。四海が日本を守ってくれた時代は終わったのだ。それに対し、酒井得宗家は時代に追いつこうとする努力をしようとしない。サンレーヌ王国に土地を与えて守ってもらい、後は得宗の権力を固守する事だけを考えている。そして、日本人もまた同じである。旧習に固執して、新たな文明を取り入れようとしない。新しいものを忌み嫌い、変わる事を恐れているのだ。
(これでは日本は駄目になる)
今は味方であるサンレーヌが、いずれ日本を食い尽くすだろう。それだけなら、攘夷派とは同意見だ。彼らはサンレーヌの野心を警戒している。しかし、万事を刀で解決しようしているからいただけない。いずれ敵になるにしろ、それでは今すぐ敵になりかねないのだ。
二度、扉が叩かれた。助之進は慌てて窓から離れると、長身の男とそれに率いられた三人の男達が現れた。
「お待たせしました」
長身の男が言った。ロジーヌほどではないにしろ、はっきりとした日本語だった。セザールのたどたどしい言葉遣いの後だからか、余計にそう感じるのかもしれない。
「私は、聖ルベルジュ騎士団首席参謀長、シモン・ドゥ・アルベルク二等武官と申します」
狡猾そうな男だった。蛇のような目は挑戦的であり、高慢な性格をも伺わせる。歳は三十かその辺りだろうが、西洋人ほど歳が判らないものは無い。細い顎先に蓄えた、刈り込んだ髭が印象的だった。
「シモン殿ですね。私は芳賀助之進。そして、これなるは……」
と、そこまで言って、シモンは「ノン」と先を話そうとする助之進の言葉を、手で制した。
「お二人のお名前と御身分は、既に伺っております」
「左様ですか」
助之進は苦笑したが、その右斜め後ろで、清右衛門が顔を真っ赤にしていた。
シモンという男は確かに無礼な奴だが、短気は損気である。
「ほう、お茶に手を付けなかったのですね」
「いや、これは……。まぁ、初めて見るものですから」
「サンレーヌと貴国が国交を結んでまだ間もない。出されたものを警戒するのは当然でございます。……まさか、毒など入れてないかと思ってではないでしょうな?」
助之進は当然と言わんばかりに、頷いた。しかし、何故に毒などと。冗談にしても、性質が悪い。
「いやはや、これは失礼。我々が貴殿らを害した所で、何の利もございませんし、そうした懸念は無用に願います。しかし、日本の武士というものは不思議ですね。大胆なようで、こうした所では繊細と申しますか」
「それは判りません。私がとりわけ臆病なだけかもしれませんし」
「窮地の我が同胞を救う勇気があるのに、自らは臆病という。面白いお人だ」
「自分では判りません」
そう言うと、助之進はシモンと声を合わせて笑った。
(頼む、短気は起こしてくれるなよ)
と、横目で清右衛門を案じながら。
◆◇◆◇◆◇◆◇
シモンに案内されたのは、団長室であった。
大きな机で書き物をしていたのか、助之進が部屋に入ると、ロジーヌはゆっくりと顔を上げた。
「すまない、お待たせした」
ロジーヌは立ち上がり、長椅子に腰掛けるよう促した。
清右衛門は助之進の背後に、シモンはロジーヌの背後に、それぞれ立って控えている。
「芳賀助之進殿と申されたか」
「はい」
「奉行所の役人達が青い顔で報せてくれたのだが、貴殿は八院藩の家老・芳賀冬帆殿の御子息だとか。これは本当か?」
「ええ。ですが、私生児ですよ。今の歳まで江戸で捨て置かれ、初めて故郷に帰る途中だったのです」
「失礼だが、今はお幾つになられるのか?」
「十八ですが」
「若いな」
ロジーヌは、二つ上の二十だと言った。思ったより若い。西洋人の歳は、本当に判らないものである。
「しかし、それで納得した」
「何をでしょうか?」
「貴殿の勇気の所在だ。貴殿は八院藩の政治指導者の子息。故に、その高貴たる者の義務を果たしたのだな」
「高貴たる者の義務……ですか」
初めて聞く言葉だった。
「我が国では、ノブレッソ・ブリージュというのがだがな。身分ある者には、それに伴う責任があるという事だ」
「馴染みの無い言葉ですが、私が考える武士道と、ノブレッソ……なんたらは同じです」
「ほう」
「我々武士は、百姓が納める年貢で生きております。手を土で汚さず食べていけるのは、その百姓に何かあれば守らねばならない義務があるからです。故に武士は二刀を佩いています」
「それが武士の道か」
助之進が頷くと、会話が途切れるのを見透かしたように、戸を叩く音がした。
ロジーヌがシモンに目で合図をする。シモンが扉を開けると、中年太りした男がそこに立っていた。
剣などは吊るしておらず、着ているものも普段着のようだ。
「父上」
弾かれたように、立ち上がる。助之進と清右衛門が怪訝な顔をしていると、ロジーヌが咳払いをして、
「私の父親だ」
と、紹介した。
「私は、ロシャン・ドゥ・シュヴラン。日本総領事をしている」
「何と」
助之進は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「いやいや、頭を下げるのは私の方だよ。助けてもらったのは、私の書記でね」
「そうでしたか」
ロシャンに促され、助之進は向かい合って座った。
「有能な官吏でな。彼がいなければ、私の仕事がたちまち滞るのだ。いやぁ、本当に良かった。私用で出掛けていたそうだが、暫くは控えさせようと思う」
「それがよいかもしれません」
攘夷派浪士は他にもいる。無暗に出掛けない方が安全だ。
「ところで、君は芳賀冬帆殿の御子息だそうだね」
「ええ。四男です。ですが、ロジーヌ殿にも申し上げましたが、私は私生児です」
「ほう、そうか。どうりで……」
それから暫く歓談した。ロシャンは穏やかな物腰で、江戸の様子をしきりに訊いてきた。情報収集なのだろう。サンレーヌは江戸への立ち入りが、禁止されているのだ。助之進はどこまで答えるべきか悩み、結局当たり障りのない表現に終始した。
その間、ロジーヌがシモンに耳打ちされ、二人で部屋を出ていった。そして戻ったのは、四半刻後。ロシャンとの会話に飽きを感じ始めた時だった。
「父上」
ロジーヌの声は、何処か緊迫感を含んでいる。シモンの皮肉に満ちた表情は相変わらずだが、助之進は思わず身構えた。
「浪士の一人が、とんでもない計画を漏らしました」
「とんでもない?」
「ええ。風の強い日を待って、居留地に火を放つ計画があるようなのです」
「焼き討ちをする気なのか?」
「そのようです。ですので、これから騎士団を出動させ、敵の根城を叩きます」
「居場所が判るのか?」
「武士だと言うのに、情けないものですよ。少しの拷問で口を割るとは、何とも」
会話に入ったシモンを、ロシャンが目で制した。シモンは慣れた様子で、肩を竦めてみせた。
「父上。出動の御許可を」
「そうだな。日本には『善は急げ』という言葉もある」
「あの……」
そこで、助之進が口を開いた。
「私も伴っていただけませんか? 邪魔はしません」
「なっ」
思わず声を挙げたのは、背後に控えていた清右衛門だった。助之進の袖を掴み、
「なりませぬぞ」
と、首を振っている。
「私は見たいのです。騎士団の、サンレーヌ人の戦い振りを」
「若様」
「……いいのだ、爺」
助之進は清右衛門の腕を話すと、ロジーヌとロシャンに向かって頭を下げた。
「同胞が殺されるのを見る事になるぞ」
「構いませぬ、ロジーヌ殿。相手は子どもすら襲うような畜生ですので」
「父上、如何しましょう?」
「助之進殿の仰る通りにさせよ。ただ、怪我はさせぬようにな」
◆◇◆◇◆◇◆◇
本営の広場に、二十名ほどの兵が軍馬の鞍上で待っていた。
服装は裾が長い青い上着に、羽根飾り付きの塗笠。これはロジーヌやシモンと変わらないのだが、南蛮胴のような胸当てを装備していた。
全員が、ロジーヌと共に現れた助之進に目を向ける。助之進は騎兵が放つ迫力に気圧されそうになったが、何とか目を背けずに済んだ。
ロジーヌだけが、騎兵の前に出た。異国の言葉で、何か語っている。相変わらず、鼻から息が抜けるような、粘り気がある言葉である。
最後に気合を入れるような一声を挙げると、その場にいた騎兵が鬨の声を挙げた。その中でも、ひと際迫力を感じたのがセザールだ。まるで熊の咆哮である。
「これが聖ルベルジュ騎士団です」
と、シモンが耳打ちをした。
「強いですぞ、我が軍は」




