第一回 金髪の女武者②
二人が乗った弁才船は、九網半島を迂回して、榎津という湊町に入った。
日本でありながら、日本でない。異国の法が通じる、サンレーヌの居留地である。
ここで、二人は船を降りる事になっていた。この船は榎津までなのだ。八院城下まで行く船もあったが、船賃が高く歩けばいいという話になっていた。
しかし、それで良かったと思っている。清右衛門は、
「異人の本陣でございますれば、警戒を解きませぬよう」
などと言うが、助之進は楽しみの方が大きかった。
初めて異人を目にするし、榎津の町並みは異国のようになっているというのだ。異人への恐れより、好奇心の方が強かった。
勿論、そんな事は口に出して言えない。明言こそしないが、清右衛門も攘夷思想の持ち主。何と叱られるか判ったものではない。
しかし、そんな助之進を待っていたのは、役人による臨検だった。水夫を掴まえて訊くと、榎津に入港した船は、下船前に必ず臨検を受けるのが決まりなのだという。攘夷派を立ち入れさせない為の対策だそうだ。
乗り込んで来たのは、武士が二人とサンレーヌの兵が三人だった。
(あれが異人か)
その容姿に、助之進は目を丸くした。
背が高く、立派に手入れされた髭を蓄えている。髪の色は金、赤、茶とばらばらであるが、目の大きさや鼻の高さは、似せ絵で見た通りだった。
人相や体格のみならず、着物もやはり日本のものとは違う。裾の長い灰色の羽織に、革の長靴、首には白い布を巻き、羽根飾りがついた塗笠のようなものを被っている。そして、手には槍。槍ひとつとっても、その形状は日本のものと随分違う。
「あれが異人か」
「噂以上でございますな」
「うん。やはり、背が高いね」
「鬼と称する者がいるのも納得いたしますな」
船客に話を訊いているのは、日本の役人だった。それを帳面に記し、通詞を介してサンレーヌ兵に伝えているようである。
助之進は、洋学を少しだけ学んでいた。蕃書調所で教授を務めていた上村茂亭と父が昵懇であり、そうした関係の中で、父が茂亭に洋学を授けるよう頼んだそうだ。父の命である以上、異国嫌いの清右衛門も何も言えない。しかし、嬉々として学ぶ助之進を、苦々しく思っていた事であろう。
洋学の師となった茂亭は、サンレーヌ語を初めて習得した学者であった。が、茂亭の授業は主に国の紹介や民情、文化や国際情勢の説明ばかりで、語学を授ける事は一度とて無かった。
しかしそこで得た異国の知識が、役に立った。攘夷に対して懐疑的にさせたのである。
臨検が、助之進の順番になった。サンレーヌ兵が目の前に立つ。見上げるような大男だ。だが、助之進は臆する事なく向かい合った。
「失礼だが、姓名とお国は?」
日本人の役人は、少し疲れたような顔つきで訊いた。こうした役目にうんざりしているのだろう。助之進は、清右衛門に一度目配せをし、頷いたので素直に姓名を告げた。
「芳賀、助之進殿。生国は八院だが、江戸育ち……って」
そこまで言って、役人の表情が固まった。
「芳賀というと、あの?」
「ええ。多分、その芳賀ですが」
と、助之進は自らの家紋が入った脇差を差し出した。
「これは、左三つ巴……」
慌てて、役人はサンレーヌ兵に通訳する。耳元で囁くので、その声は聞こえない。聞こえたとして、異国の言葉は判らないが。
松平頼基ほどではないにしろ、芳賀の名は伊草島ではそこそこ通じるらしい。江戸で芳賀と言っても通じるのは藩邸か一部の事情通ぐらいしかいない。だから、頼基が父の事を「切れ者で江戸まで名が届いている」と言ったが、その実感は全く無かった。
「暫し、お待ちあれ」
別の場所にいた役人とサンレーヌ兵も駆け付け、四人で何か話し合っている。どうも込み入っているようだ。
「爺、あれはどうしたのだろうか?」
「……推察しますに、このまま詮議無しに通すかどうかでしょうな。申し遅れましたが、この榎津に詰める役人は八院藩士なのですよ」
「居留地というと、天領扱いのはずだが」
「いや我が藩は、幕府より榎津世話役を仰せつかっていまして、この役人も八院藩士なのでございますよ」
「なるほど、それで慌てているのか。芳賀の名も伊達ではないな」
嬉々として言うと、清右衛門は咳払いをして窘めた。
「だから、申したでしょう。若様の行いが、芳賀家の家名を左右すると。こういう事なのです」
「判っているよ。しかし、爺は詳しいな。少なくとも十八年は国元に戻っておらぬというのに」
そうこうしている内に、助次郎に詮議無しで下船が伝えられた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
船を降りると、聞きなれない言葉がすぐに飛んできた。
けたたましい声で喚いているのは、漢人であろう。喧嘩でもしているのかと思ったが、よく見ると楽しそうに談笑している。
次に耳に入って来たのが、口の中に納豆でも含めているかのような、粘り気がある発音の言葉だ。鼻から息が抜けているようだとも言える。これがサンレーヌの言葉であろうか。だが、漢語が激しいのでサンレーヌ語は掻き消されている。
湊は活気に満ちていた。荷の積み下ろしをする荷役、そこで商売をする行商、旅に出るのか戻ったのか判らない者、監視するサンレーヌ兵でごった返しているのだ。
「凄いな、爺」
「想像以上でございます」
ただ建物は日本風のもので、特に異国を感じさせるものは無い。そして、意外と日本人の数が多かった。次に漢人で、サンレーヌ人は二割ほどである。
(漢人は多いが、多くは荷役だな)
荷役の漢人は、上半身裸になり汗だくで働いている。日本人の姿は荷役の中で少なく、サンレーヌ人の荷役は一人とていない。
外国の知識を多少なりとも頭に入れている助之進にとって、その光景が驚くべきものだった。
漢人が奴隷のように、サンレーヌ人に使役されているのである。漢人にも富貧はあるだろうが、進んだ文化・学問・芸術を持つ、教養と誇りある民族だと聞いていたからだ。
実際、漢人の文化は日本に多くの影響をもたらした。漢字がまさにそうだし、仏教もそうだ。それは当世になっても変わらる事はなく、僧侶や画家が諸大名家に招聘された例は少なくない。だが、目の前の光景はどうだろうか。
(漢土の状況が関わっているのかもしれない)
漢はエスパルサ王国に侵略され、その大部分を失っているのである。茂亭が言うには、最早国家の体を為していないとも。一部には根強く反抗している者もいるというが、エスパルサの植民地化を受け入れている者の方が多いらしい。
だが、漢人は腹芸に秀でている民族である。
「漢人というものはしたたかでなぁ。蒙古や女真に征服されても相手を取り込んで、漢人にしてしまう」
という、茂亭の言葉を思い出した。抗うよりも取り込む道を選んだ者が、植民地化を受け入れているのだろう。
「さぁ、行きますぞ若様」
などと考えていると、清右衛門に袖を引かれた。
港湾を抜け、町の大通りに出た。ここでは商店が軒を連ね、あの喧騒は遠いものになっている。
「あの漢人共は、流民でございます」
ふと、清右衛門が口を開いた。
「流民とな」
「左様」
「やはり、戦乱を逃れて来たのか?」
「左様にございます。それをサンレーヌが安い賃金で雇っていると聞き及びました」
「しかし、幕府は居留地にはサンレーヌ人しか認めていないはず」
「サンレーヌが言うには、彼らは所有物なのだそうです」
「何と。詭弁にもほどがある」
「ですが、それは我が国とて同じ。人の売り買いをする事には、変わりはございません。ですが、若様にはもっと肝に銘じて欲しい事がございます」
「何だ、それは」
「国が滅びれば、民がああした目に遭うという事です。十年前、我が国はエスパルサの侵攻を何とか撃退しましたが、もし敗れていたのなら、我々がサンレーヌ人に使役されていた事でしょう」
「そうだな……」
「そして、サンレーヌは我が国を救いましたが、一方で漢人を奴隷にしております。つまり、エスパルサもサンレーヌも変わらぬ外夷であるという事も」
助之進は小さく頷いた。異国への憧れはある。しかし、彼らが武士道を弁えた正義ある国とは思っていないし、茂亭もそうは言わなかった。
それから、湊から離れた場所にある旅籠に、宿を取った。二階の二人部屋であり、窓からは海が望める。
まだ、夕暮れには間に合う時分である。見物をしたかったが、清右衛門がそれを許さなかった。




