【後日談】再会のとき 11
僕とスピカが久々に夫婦らしい夜を過ごした翌日の事。
春のうららかな日差しが差し込む朝、アウストラリスの客人二人は宮に戻ってきた。
今度は二人揃って僕たちの居室に顔を出し、これからジョイア国内の視察へ出発する旨を告げた。
ルティがいやにすっきりした顔をしているのを見て、笑いが出そうになる。でも鏡を見ているようなものかもしれないと思うと、それはすぐに苦笑いに変わった。彼はそんな僕を見ると一気にいつもの不機嫌そうな顔になった。その隣では、今まで一歩後ろに下がって俯いていたメイサが、しっかりと顔を上げて微笑んでいる。二人の立つ位置が同じ線に乗っているのを見て、胸の中に何か温かなものがこみ上げる。
宮を出る前は確かに王太子とその女官にしか見えなかったはずなのに、今は明らかに二人の間に何か約束があるのだろうと窺えた。
レグルスには昨日の彼らの行動については報告を貰っていた。それによると、城下町を散策中にメイサがはぐれてしまったそうだ。そして、突然ふらふらと現れた美女の登場に騒動が起こったという。その事でルティはひどく慌てたという事だった。
メイサの軽はずみな行動を見かねたレグルスが、ルティに助言したらしい。メイサに自分が周りからどう見えるかを教えてやるべきだと。
ぱっと見た感じ、その効果はあったようだ。レグルスが昔の上司だからなのか、どうやらルティは素直に言う事を聞いたらしい。もしかしたら、レグルスに頭が上がらないのは、彼も同じなのかもしれない。まあ、僕ほど頭が上がらない事も無いだろうけれど。
そんな風にルティを見ていると、隣にいたメイサがニコニコと微笑みながら一歩前に出た。
「あのね、スピカにプレゼントがあるのよ」
「え、なあに?」
スピカが驚いた声をあげると、メイサは握っていた手をスピカの前で広げた。彼女の手の中には緑色の宝玉で作られた首飾りがあった。おそらくは翡翠だろう。乳白色の石と、それから透明感のある別の緑石がバランスよく編み込まれたしゃれたものだった。
「うわぁ、綺麗!」
スピカが高い声を上げ、目を丸くした。
「お揃いなの。素敵でしょう?」
そう言う彼女を見ると、ショールの隙間から見える首元に赤い宝玉で出来た首飾りがあった。確かに、埋め込まれた花の形の石や、意匠の細かさが似ていて、対になっているとすぐに分かった。これはスピカに似合う。身につける前から分かる代物だった。
贈り物については全くセンスのない僕には、これはとても選べない。以前僕が贈ったものは決して質が悪いわけではないけれど、こういった華やかさには欠けていたと思い出す。
知らず頬が引きつるのが分かる。それは贈り物に対しての不満ではない。贈り主についての不満だった。
今、メイサは『お揃い』と言った。そして昨日は彼女の誕生日。ならば、これの贈り主はルティでしか無いのだ。
ふと視線を感じてそちらを見ると、ルティが面白そうに僕の顔を観察していた。慌てて平気そうな顔を取り繕うけれど、どうやら僕が何を思ったかはばれてしまったらしい。さっき笑った仕返しか? あぁ、むかつく。
ルティはにやりとひと際魅力的に笑うと、僕の後ろに控えていたシュルマとサディラの元へ向かう。彼女達は近づいたルティに魂を抜かれたような顔をしていたが、彼の目的はその腕の中の双子達だった。大きな手の中から小さな包みを二つ取り出すと、器用に包装を解いて中の物を取り出した。
「あ――」
僕は目を見張る。
おそらく周りの皆も同じ顔をしていたのではないかと思った。
メイサは特に驚いたようで、「いつ手に入れたの?」と呟いている。
彼の大きな手のひらには、小さな小さな耳飾りが二つ。僕の耳に着いているものと同じような美しい黒石で出来たものだった。
「リトスと、エアルか。――たいした美人になりそうだ。お前らの子だから当たり前か」
眩しいものでも見るような目つきで、彼は姪二人を眺めた。
スピカの足に抱きついていたルキアがルティに近づいた。そして大きな伯父を見上げてにっこり笑う。まるで「自分にも」とねだっているような様子に、周囲から笑みが漏れた。
「もしかして、ルキア様にもあるの?」
メイサが華やいだ声で問うと、
「――男にやる物は無い」
ルティはすげなく言う。
ルキアがメイサの胸を触った事を根に持ってるな、これは。視線をそっとスピカにやると、彼女も必死で笑いを堪えている。
「あー、あーー」
ルキアはルティの足にしがみついて、自分だけ〈おもちゃ〉を貰えなかった事(正しくは僕も貰ってないんだけれど)に不満を訴えている。ルティは眉を上げて、暫くルキアを見下ろしていたけれど、ルキアの声に泣き声が混じるととたんに顔を強ばらせてメイサに助けを求めた。
メイサの腕に抱き上げられ、たちまち機嫌を直したルキアを見て、ルティはとことんうんざりした顔をした。
「ああ、これだからガキは嫌なんだ」
「――って、おい」
僕は小さく突っ込む。それを作ろうと頑張ってたのはどこのだれなんだ。
「すぐにそうも言ってられなくなるわよ」
メイサが苦笑いしながらそう取りなすと、ルティが明らかに顔色を変えた。
「え? ……まさか出来たのか?」
メイサは直後、はっとしたように赤くなった。そして、ルティを見て、僕を見て、スピカを見る。皆が問うような顔をしている中、メイサは慌てて大きく首を横に振った。
とたん、肩にかけていたショールが流れ落ち――彼女の肩から胸元が露になる。
そこにはあからさまな痕跡。僕にも見覚えがあるもの――もちろん付けた場所は別だけど――だった。
「きゃあっ――!」
それが見えたのは一瞬だったけれど、どうして彼女が始終ショールを巻いていたか、そうさせたのは誰か、そしてなぜか。色々な意味を一瞬にして悟り、慌てて目を背けた。
メイサは首まで真っ赤になって、しゃがみ込むと、ショールを拾い上げてあたふたと体に巻き直す。そして裏返った声で叫んだ。
「違う――多分まだ出来てないし! でもあれじゃすぐに出来そうって意味で――……あ、えっと」
どんどん墓穴を掘って赤くなるメイサを見ていると、なんだか急激に恥ずかしくなってきた。ああ、これ、見てるの辛い。スピカを見ると、彼女にもあれが見えたのか、真っ赤になっている。
「ちょっとそこの二人! 痒そうな顔をしないでよ! あなた達の方がよっぽど――」
抗議の声をあげるメイサを今度はルティが取りなす。
「その辺にしておけ。せっかく黙ったガキが泣き出す」
ルティはメイサの腕の中から不安定になったルキアを抱き上げると、力強い腕で頭上に持ち上げた。とたんルキアは涙を引っ込めてケラケラ笑い出す。
その様子を見て、
「案外、いいお父さんになるんじゃないかしら?」
とスピカがメイサに話しかけると、
「……だといいんだけど」
メイサは赤い顔のまま、にっこりと――それはそれは幸せそうに笑った。
ルキアはそのまま伯父に懐いて、ルティは戸惑った様子を見せながらも幼子の相手を続けてくれた。穏やかな時間が過ぎ、やがて出立の時刻が告げられ、ルティとメイサは部屋を出た。
花が咲き誇る中庭を横切る渡り廊下に出たところで、ルティは突然立ち止まった。
あれ?と思って前を見ると、一人の美しい少女が廊下の中央に待ち構えていた。
「ミルザ……」
まだ諦めてないのか、とぐったり肩を落とすと、彼女は胸を張ってこちらへ歩いて来る。ひらりひらりと白いドレスが廊下を舞った。確かあれは彼女が一番気に入ってる服だ。どうやら今日勝負をするつもりだったらしい。
ちらり、と後ろを見ると、メイサが表情を固まらせ、スピカが心配そうに僕に目配せする。
「ルティリクス様。私をアウストラリスへお連れしていただけませんか? ジョイアとアウストラリスの為に、私も見聞を広めたいと思っているのです」
ミルザは頬を染めて潤んだ瞳をルティに向けた。
普通の男なら一目で落ちそうだと僕は思ったが、ルティは当然普通の男ではない。ふっと魅惑的な笑顔を浮かべ、言う。
「それは良い心がけですね、ミルザ姫」
「では――」
目を輝かせたミルザを、ルティはすぐに遮った。
「では、私の結婚式の折りには、シリウス殿下と共にアウストラリスへいらっしゃると良いでしょう。招待状を増やさねば」
ルティの心には他の女が入り込む余地など微塵も無かった。それが、ミルザという美少女でもだ。当然のように、ミルザは頬を張られたような顔になった。
「け、けっこんしき? もう、そのようなお相手が?」
「ええ」
「聞いておりませぬが。――ど、どんな方なのです!」
「美しい女性です。ミルザ姫は気高い白百合のようですが、私の妻になる女性は、ほら――」
ルティは廊下の脇に植えられていた赤い花を指差した。蕾がほころびかけたその花は、早咲きの牡丹。慎ましく、可憐。でも花が開けばきっとどんな花にも負けずに大胆で華やかだろう。
「――その花のようとでも例えれば良いかもしれません」
あくまで丁寧に、礼を欠かないように。ルティは王太子の顔で、歌うように言った。
僕はミルザの怒りの矛先を向けるのを恐れ、後ろを見ることができなかったけれど、数歩後ろでメイサが真っ赤になっているのが目に見えるようだった。
「それでは、またお会い出来る日を楽しみにしております」
ルティは茫然自失とするミルザに優しく声をかけると、横をすり抜けた。僕はレグルスに急遽叔母を呼んできてもらうように頼むと、ミルザの肩を励ますようにそっと叩いてルティの後に続いた。
ルティは涼しい顔をしている。一体どうしてあれだけ気障な言葉を吐いておいてこんな顔をしていられるんだろうと呆れた。
四人分の足音が門の前に差し掛かった頃、ルティはようやく口を開く。
「あいつはどんな顔してる」
「へ? あいつって」
「メイサに決まってる」
イライラと言われて後ろを向くと、メイサは意外や意外、嬉しそうというよりは、怒った顔をしていた。首を傾げながらそう伝えると、ルティはがっかりした顔をする。
「やっぱり駄目か」
彼がぼやいたとたん、後ろから鋭い囁き声がかかった。
「何考えてるのよ。あんな風に持ち上げて、がっかりされたら私の立場が無いじゃない。恥をかくのはあなたでもあるのよ?」
そう言い捨てると、メイサはぷいとスピカの元へと戻ってしまう。
風が吹き、赤い髪が額に落ちた。
影が差して僅かに寂しそうになった顔に、僕は提案する。
「あのさ、さっきのちゃんと顔を見て言えば? 的確な表現だったと思うし、愛が伝わるかもよ?」
面と向かってメイサにあの台詞を吐くのを想像して、僕は笑いを奥歯で噛み締める。
「あれをか? 無理に決まってるだろう。喜劇じゃあるまいし」
ルティはぶつぶつ呟くと、ふと僕の顔をじっと見る。
「――たまに羨ましい、お前の単純さが」
「素直と言ってくれない?」
「同じ事だろ」
ってことはこれはもしかして誉められたのだろうか。首を傾げる僕の前で、ルティはメイサを促して隣に立たせた。
「じゃあ、出発する。世話になったな」
その言葉にスピカがなんだか泣きそうな顔をすると、メイサは彼女を抱きしめて背を撫でた。
「またすぐに会えるわ」
「次は結婚式かしら?」
「……そうかもね」
くすぐったそうにメイサが笑うとスピカもようやく口元を綻ばせる。
「花嫁姿、きっとすごく綺麗でしょうね。楽しみにしてるわ。絶対に呼んでね」
女性達の感動的な別れを横目に、ルティが僕の耳にだけ聞こえるように囁いた。
「もうしばらく子供は作るなよ。スピカの体が持たないし、式に支障が出る」
「そのつもりだよ」
「出来ない方法、知らないんじゃないのか。教えてやろうか?」
少々強引に言われて、僕は思わず身を引いた。嫌がらせの一種なのか、本気で余計なお世話だった。大体、この件に関しては、僕の方が絶対的に先輩なんだ。それは譲れない。
「知ってるし、遠慮しとく」
「全く信用出来ないんだが」
ため息をついたルティに僕は反撃を仕掛ける。
「君のところは結局どうするんだ? それこそ、花嫁衣装とか色々あるだろ」
「詮索するな」
彼は冷たく言って輿に乗り込むけれど、さっき『出来たのか?』とメイサに問うた時の顔色の変え方を見るに、きっと新婚生活を楽しむ方向に変換したに違いないと思っている。
なんだか羨ましくて悔しいけれど、……まあ、僕らは僕らでとても幸せだ。
「じゃあな」
「またね。くれぐれも体に気を付けて」
最後にそう言った二人を、輿が乗せて静かに山を下って行く。それが樹木の影に隠れて見えなくなったあとも、僕とスピカは彼らを見送った。
「義兄さんと義姉さん、か」
呟いてスピカと顔を見あわせ、微笑みあった。――そう呼ぶ日は、きっともうそんなに遠くない。
〈再会のとき 了〉