【後日談】再会のとき 10
アウストラリスの客人の滞在は、十日の予定だった。
初日と同様に翌日からもメイサは普通にスピカと子供達と一緒に寝た。そして放置されたルティは日に日に表情が険しくなった。彼のメイサをスピカと僕の子供たちは奪ってしまったらしい。
彼にも甥っ子と姪っ子が可愛いという感情は多少はあるのかもしれないけれど、僕の子は可愛くないらしい。特にルキア。あの時に言ったとおりに分身だと思っている節があり、僕にとってそれは少々嬉しい事でもあった。
スピカとメイサは、僕とルティが語り合ったという話を聞いて、驚きつつも嬉しそうにしていた。それほど楽しく過ごした覚えもないのだけれど、女同士の話はよほど楽しかったのだろうと想像はついた。それならば、彼女たちのためならルティを引き受けてあげるのも悪くないかもしれない。
そう自分に言い聞かせていた五日目のこと。
視察を兼ね、ルティはメイサを伴って城下町に降りた。
三月の末日は休暇として、万が一会談が終わらなくても一度中断させてほしいと予め頼まれていた。なぜなのだろうと不思議には思っていた。ちょうど中日だ。彼は予定通りにきっちり会談を終わらせたので、文句の言いようもなかったのだけれど、会談は予定通り進むことが少ない。すべて終わってから残りの日程で視察の方が色々と円滑に進むだろうし、まず切れ者の彼にしてはその提案自体が不自然だなと思っていた。
残りの日程で彼らはジョイア国内視察を行う予定だ。その最初の土地が皇都シープシャンクスの城下町だった。当然当初は日帰りの旅――の予定だったのだけれど……僕は今朝、彼を見送るついでに、自分のためにとある提案をして、鬱屈していた彼はあっという間に餌に食いついた。そのため、彼らは今日は城下町の別邸に滞在することになった。つまり宮殿には戻ってこない。慌ただしい中の静かな休暇、そんなところだ。
勢いづく暖かい日差しも手伝って、一気に春めいた中庭を眺めつつ、僕とスピカは庭を散策した。そして、花の道の途中に設えた休憩場所で座り込むと、ルキアの背ほどある茎の長い花たちが僕らを取り囲んだ。
ルキアは乳兄弟のイザルと共に部屋でシュルマとおままごとに熱中していて、リトスとエアルは昼寝中でサディラに見てもらっていた。
つまり、花の垣根の中でスピカと二人きり。事情を知っている近衛隊は遠巻きに警護中だ。
「春だよね」
花と花の輪の中から覗く空をぼんやりと眺めながら僕はつぶやいた。丸く切り取られた空は柔らかい水の色をしている。スピカと結婚したこの季節の空の色は妙に印象深く、あのときの心の震えが今も鮮やかに蘇った。
「ほんとうね。明日から月が変わるし。四月と聞くだけで、心が浮き立つもの」
「三月も終わりか。じゃあ、もうあの子たちが生まれてひと月になるんだね」
双子が生まれたのは今月のはじめ。慌ただしかったなあと振り返る。
「久しぶりに君とゆっくり話してる気がする。リトスとエアルだけじゃなくて、ここしばらくはメイサにもとられちゃってたし」
五番目の気分だと僕がぼやくと彼女はゆっくりと僕の頭をなでた。見上げると太陽みたいな笑顔。目を伏せると鳥の声と花の匂い。頭を支えてくれる柔らかい膝枕が気持ちいい。至福のときだ。
目の前に落ちてきた蜂蜜色の髪を一筋引くと、彼女は逆らわずに頭を下げる。彼女の頬に軽く口づけると、僕は起き上がって交代を促した。スピカは膝枕は拒んだ代わりに、隣に腰掛けて甘えるように僕に体をもたれさせる。
「メイサからいっぱい話を聞いたの。ルティがどうしてジョイアにやってきたのか。彼が何をしたかったのかって。……全部、メイサを守るためだったって知って――もちろん彼女はそうは言わなかったけれど、聞いてたら手に取るように分かったの――すごく、すっきりした。ずっと、彼が何を考えてるか分からなかったから」
少し恥ずかしそうにスピカは笑う。
「ルティの気持ち、分かったの。あたしも、小さな時からあなたを守りたいってずっと思ってたから。ああ、……似てるなって。そういうところ、母さんに似たのかもって。やっぱり……兄妹なんだって」
「うん」
「それにね。なんだかね、メイサが彼の隣にいる事が、すごく嬉しいの。兄と姉が一緒にできたみたいで」
「うん」
泣き笑いの顔。僕は涙は見ない振りをして口づける。
久々のキスはずいぶん長いものになった。名残惜しく思いながら体を浮かせると、スピカはここが屋外だったと思い出したようで、僕の背中に回した手を慌てて引っ込め、芝の上から起き上がる。頬を上気させた彼女は、照れ隠しのように話題を元に戻した。
「し、シリウスがメイサに取られたって思ってたんなら、ルティはあたしにメイサをとられたって思ってたでしょうね」
「うん。慰めるのが大変だった。もしかして、最初から五日が限界って分かってたのかな?」
そう言ってくすりと笑う。あれはある意味中毒症状かも。スピカと思いが通じ合った頃は、昼も夜も離れたくなかったし……気持ちは分からないでもないけれど。
そんな事を考えていると、
「…………あっ」
スピカが急に手を叩く。
「今日が誕生日なのかも」
「え? 誰が?」
僕は一瞬ルティの誕生日なのかと思ったけれど、たしか、彼は新年早々生まれたみたいな事、ちらりと聞いた覚えがあった。
ということは、メイサの誕生日という事? ああ――それなら、納得だ。
「この間、話の中で生まれたのは三月って言ってたと思うの。でも、まだ誕生日の話って出てきてなかったし」
「ってことは……、今日はさすがに邪魔できない、かな」
僕の方も、邪魔させる気はないんだけど。かれこれ三月ほど待っている。妊娠後期は双子の健やかな出産のために禁止され、出産後は彼女の体調回復のために我慢した。ルティがその日を待っていたのと同じように、僕もこの日を指折り数えていたんだ。
「う、うん」
僕が彼女にもう一度口づけると、彼女は少々照れた様子で俯いた。
「あ、あのね、シリウス」
「なに?」
あえて何も言わずに、スピカを引き寄せると、彼女はとうとう真っ赤になった。
「し、シリウスは分かってて言ってるの? イェッドが、シリウスが聞いたって言ってたのに」
「なんのこと?」
確かに僕は『経過も順調ですし、もうそろそろ大丈夫ですよ。スピカ様のお気持ち次第ですけど』と医者の了承を取っている。そして、さっきのキスで彼女の気持ちも確かめた。
でも、彼女から求めてほしくてとぼけると、
「意地悪」
スピカが真っ赤な顔のまま僕を睨んだあと、小さなキスで答えを返してくれた。