【後日談】再会のとき 7
部屋の中央には毛足の長い絨毯が敷いてあり、その周りに革張りのソファが二脚。それから長椅子が置いてある。子供が遊べるようにと、家具等は極力置いていない。
そんな広いはずの部屋は、来客二人と部屋の主二人と幼子一人、それから臣下二人の計七名が部屋に収まったとたん、妙に狭く感じられた。息苦しさを感じるのは気のせいなのかなんなのか。
おそらくは僕の隣に立つ男がその圧迫感の原因ではあった。まず体格からして、部屋で一番場所をとっている。その上、その目つきが異常に鋭く、しかもその視線の先には場を和ませるはずの幼子がいたからだ。
「どうしてもう帰って来たの? 会談はまだ終わる時間じゃないでしょう?」
メイサが尋ねた。そうして、抱っこしていたルキアを絨毯の敷かれた床に下ろして、自分もそこに座り込む。ルキアが引き続き抱っこをせがむと、嬉しそうに彼女はルキアを膝に乗せた。ルキアはメイサの膝の上に収まったとたん、彼女のショールの端を引っ張ってご機嫌で遊び始める。
ルティはそれをすこぶる不機嫌そうな顔で睨んで、彼女の問いに答えた。
「抜けて来た。どこかの馬鹿がふらふら出歩いていると聞いたからな」
「散歩していただけなのに、邪魔しないで欲しかったわ。花畑を堪能してたのに」
メイサは散歩を中断させた男に、少々立腹しているようだった。床からルティを睨んでいる。
「それに、せっかくルキア様と仲良く遊べていたのに」
「人の迷惑になる場所で遊ぶな」
「誰にも迷惑なんかかけてないわ」
メイサは、そうよね、とスピカに訴える。スピカはレグルスの方をちらりと見たあと、「あ、ええ、まあ」曖昧な笑顔を浮かべて、是とも非とも取れそうな相槌を打つ。その様子とレグルスの不機嫌そうな顔を見る限り、どうやら彼女は怒られたらしい。
しかし、ルティが言うように、迷惑と言ってしまうのはメイサには気の毒だ。どちらかと言うと、近衛隊員の勤務態度の問題だろう。その問題は、スピカが妃になる前に自分も感じた事ではあったので、申し訳ないと素直に思った。
一応、スピカの安全の為にも近衛隊員には妻帯するよう奨励しているのだけれど、それはここ一年くらいに始めた事だったので、そう簡単に進むわけもない。そして、今回についてはそれが裏目に出ている感じもしていた。
ちらりとイェッドを見ると、彼は会得したようにメイサに向かって報告した。事実に私情を交えずに伝えるのは、イェッドの得意技だった。
「『あの女性はどこのだれだ?』『皇太子殿下の新しい側室か?』……そういった噂が火のように広がっていますが」
「ああ、ごめんなさい。それは悪かったわ」
それを聞いて、メイサが慌てたように言った。
「すぐに否定しておきましたが。先ほどメイサ様が『女官』とおっしゃっていましたので、そのように訂正させていただきました」
「ああ、ありがとう。良かったわ」
メイサはほっとした様子だったけれど、……良くないんじゃないか、それ。
僕は目を見開いて、イェッドを睨んだ。
「ってことは――」
不安を裏付けるように、イェッドは頷く。
「ええと、メイサ様宛にいくつか文を預かってきましたが」
イェッドがメイサに紙の束を渡そうと一歩足を踏み出したところ、赤い影がそれを遮った。
手紙の束はメイサの手には届かず、ルティの手の中に収まる。彼はそれらを開きもせずに破り捨てると、イェッドを睨み、そして僕を睨んだ。
「皇太子の側近のくせに、状況の判断も出来ないのか?」
「いや……ええと」
本人に説明させようと、僕がちらりとイェッドに視線を移して丸投げすると、
「基本的には指示されない事は行わない事にしておりますが、ご客人にいらぬ傷がついてはと、ひと言口を挟ませていただきました。王太子殿下は、メイサ様が皇子殿下の新しい側室という噂を黙認されるおつもりでしょうか?」
イェッドは涼しい顔で言い返す。正論だ。だけど、イェッドのことを知っている僕には、彼が従順なふりをしながら、事の成り行きを面白がっているのがすぐに分かった。全て分かっていて、わざわざ言ったのだ。近衛兵にも手に入るかもしれない、『女官』だと。
「……あら?」
その声に床を見下ろす。すると、ルティとイェッドがやり合っている間に、メイサはいつの間にか床から拾った紙を繋ぎあわせていた。
読み終わったメイサの顔が輝いた。
「素敵。宴へのお誘いだわ。ジョイアとアウストラリスの親睦を深めましょうって……ちょ、っと!」
ルティが素早く横からそれを取り上げると、今度は暖炉に焼べてしまった。
あっという間にその招待状は灰になる。
「なにするの! それは私宛よ?」
「この馬鹿、喜ぶな」
メイサは悔しそうにルティを睨んだ。
「一体なんなの。どうしてそう横暴なの。せっかくだから、お話を色々聞いてきたかったのに」
文句を言うメイサを無視して、ルティは全て手紙を焼べた後、忌々しげにレグルスの方を見た。
「ここの近衛隊の教育はどうなってるんだ」
それまで部屋の端で細かに肩を震わせていたレグルスは、突如振られた怒りにごふっと妙な咳払いをした後、何かを堪えるようにして答えた。
「は、……申し訳ありません。以前王太子殿下がご遊学されていらした時と、あまり変わっておりません」
「変わってない? あれだけの騒ぎがあってもか?」
騒ぎを起こした張本人は、信じられないというように、その茶色の目を開いた。
「いや、実は今変えようととしてるところで、えっと」
僕が口ごもると、イェッドが涼しい顔で補足した。
「現在、皇子殿下が近衛隊員に妻帯するようにと推進されていらっしゃいますので、皆目の色が変わっているのです」
直後ルティはメイサを振り返った。
「メイサ。お前は、帰るまでこの部屋から一歩も出るな」
「え? なんで?」
「なんででもいいだろう」
この期に及んで何の説明もしないルティときょとんとするメイサに、堪えきれなかったのかスピカが吹き出して、僕もつられて吹き出した。
それを機に、部屋の中の人間はルティとメイサ以外皆笑顔になる。そんな中、スピカがふと思いついたように言った。
「部屋から一歩も出られないなら、メイサは、今日はあたしと一緒に寝ましょうね。ルキアも一緒に」
「え、ええ」
メイサはいきなりどうしたの? というような顔でスピカを見た。どうも彼女は僕が思っているより鈍いらしい。もしかしたらスピカよりも鈍いのかも、そう思って、ルティが説明しない理由も何となく理解した。きっと説明しても分かってくれないのだ。あのルティがメイサに理由を必死で説明しているところを想像するとどうにもお腹がよじれそうなので、途中で止める事にした。
彼の気持ちはもう部屋にいるメイサ以外の人間にはあからさまになっていた。
もう、いろいろと聞く必要はないな。僕がそんな事を考えた、その時だった。
「かあたー、ぱい」
ルキアが、何を思ったか、メイサの胸を嬉しそうに触ったのは。事情を知っている大人達が息を呑み、水を打ったように静まり返るその場で、メイサは目を丸くしつつも、にっこり微笑んだ。
「あら。ルキア様? おっぱいが欲しいの?」
恐る恐る視線をやると、隣で男はしっかりと体を固めている。僅かに震える拳が今にも飛びそうで、僕は慌ててその手を押さえ込んだ。
「ちょっと、相手は一歳の子だよ!? 何考えてんだよ!」
するとルティはすごい形相で僕に向き直った。正直、命の危険を感じた。
「お前の子だ、チビでも下心があるに決まってる。しっかり躾けとけ、この馬鹿親!」
ルキアはきょとんとした顔で伯父を見上げている。その斜め後ろのスピカはひどく晴れやかな笑顔だった。メイサも、隣でしっかり笑っている。ああ、ルキア。お前はちゃんと知りたかったのかな?
「可愛い甥っ子なんだから、文句言わないでよ? お兄ちゃん」
そう言って、いたずらっ子みたいに笑うスピカ。僕にとっては天使だったけれど、――ルティにはどんな風に見えたのだろう。




