【後日談】再会のとき 1
シープシャンクスの春は、スピカの瞳の色に似ている。
僕がそう言うと、周りの皆は皆苦笑いを浮かべるけれど。
彼らが言うには、僕が何か美しいものを讃える時は、必ず彼女になぞらえるらしい。全く自覚はなかったけれど、そう言われてみればそうかもしれなかった。
例えば、初夏の新緑の風は、彼女の吐息に似ていると言い、秋、オリオーヌの黄金色の稲穂が揺れる様は彼女の髪の色に似ていると言う。そして、冬、新雪に宮が覆われると、彼女の肌の様に白いと言うらしい。イェッドが溜息まじりに言うには、普通は言い方が逆だそうだ。つまり、この場合、スピカの瞳の色は、シープシャンクスの春に似ていると言えばいいのかもしれない。僕にとっては同じなんだけれど、誰もそれを分かってはくれない。──いや、きっとルキアなら分かってくれるんじゃないかな。
そのルキアは、僕の膝の上でおもちゃを持ってご機嫌だ。
スピカが生まれた子供に手一杯なので、空いた時間を利用して僕が面倒を見ているのだ。今、彼女は疲れ果てて眠っている。サディラとシュルマに双子を預けて。
なにしろ、一度に二人増えたのだから疲れも二倍だ。だからこそ、僕は今回、前よりももっと子育てに参加するつもりでいた。ルキアを一時期しっかり世話した事で、子供の世話には少しは自信があったし。
しばらく母の不在にぐずぐずしていたけれど、少し前おやつでなだめたらやっとニコニコと笑顔をみせてくれるようになった。そんなルキアは、三月が過ぎ去れば一歳半になる。お兄ちゃんになったせいなのか、急にしっかりしたような気もしないではない。ミルザが生まれた時の事なんか僕は覚えていないけれど、僕もそうだったのかなあなどと空想に耽った。
「とうた」
片言で話しだしたのは本当に最近の事なのだけれど、『とうた』というのは、僕の事。たまに『とうたん』になることも。スピカの事は『かあた』。叔母のヴェガは『ばぁば』と呼ばせて大喜びしている。まだ若いのに孫みたいに思っているらしい。同様に孫馬鹿のレグルスは『じぃ』で顔がとろけている。そして、父上の事は『へぇか』。これは本人は口に出さないが、寂しく思っているらしい。教えなければ周りの人間が呼ぶように呼ぶから、仕方がないのだ。
ルキアはちょうど音を立てて開いた扉から覗いた顔を見て、にっこりと笑う。
「みぃみ!」
それは彼が大好きな若く美しい叔母だった。
「ミルザ? どうかした?」
「お兄様! ね、ルティリクス王太子がいらっしゃるって、ほんとうですの?」
儚げな外見から発せられているとは思えないような、どこか押しの強い声に圧されて、僕は思わず背を後ろに逸らした。
「あ、ああ。北部開発の件で以前からジョイア国内の視察と、それから援助についての条件を話し合うことになってて……」
ミルザは僕に掴み掛からんという勢いで、傍に駆け寄った。
「どうして教えて下さらないの! 絶好の機会なのに! ──あ、お兄様、反対だからってそういうやり方は卑怯だと思いますわ!」
僕はへらっと笑って誤摩化そうとして──あっという間に失敗する。
「笑って誤摩化そうと思われても無駄ですからね! お兄様の笑顔は確かに武器、下手すれば凶器になるほどに魅力的ですけれど、慣れれば平気になりますもの!」
長い白金の髪がさらりと揺れて、天井から差し込む、色硝子に彩られた光に輝いた。
美しい妹のこの頃の興味は、このところ、隣国の王太子であるルティリクスに偏っていた。以前彼がジョイアから妃候補を招くことになった時にミルザは立候補したのだけれど、僕は七歳の歳の差を理由にそれを妨害した。本当の理由は別にあったのだけれど、それを彼女に言うわけにはいかないし。
「送った妃候補と縁談が纏まったとの話は聞きませんもの。お気に召さなかったという事でしょう? も、もしかしたら、自ら私に会いにいらしたのかもしれないではないですか!」
「いや、それはないから」
顔を赤らめて興奮し始めるミルザを僕はあっさり遮った。
「あくまで仕事だって言ってたよ。あちらの北部の貧困は深刻だし、遊んでる暇はないから」
少々言葉がきつくなったと思ったけれど、ミルザはめげなかった。
「それならば、早々に縁談が纏まれば、もっとしっかりとご助力出来るのではないです?」
「だけど……お前も分かってると思うけれど、そうなるとティフォンを含め、周りの国が黙っては居ないだろう?」
「それは、そうですけれど……」
ミルザはそこでしゅんとした。さすがに皇女としての自覚があるらしい。
ジョイアとアウストラリスの結びつきが強固になればなるほど、周辺諸国は警戒を強めるだろう。二つの大国が協力によって、力を蓄える。力の均衡が崩れる。脅威に映るに決まっていた。
そんな風に刺激したくない。それが妃候補にミルザを送らなかった一番の理由。
幼いながらも賢い妹は、それを肌で感じているのかもしれない。
あとは、ルティがミルザの母である元后妃を陥れた事実も大きい。それから、彼自身の恋愛遍歴とか女癖の悪さとか、えっと、彼にはお似合いの女性が既にいるって頑固に言い張るスピカの猛反対とか……とにかく彼女には言えない理由は山ほどあった。
「僕は、お前に苦労はさせたくない。上手くいったからいいものの……僕もスピカも苦しんだし、あんな想いはわざわざするもんじゃないよ」
半年前ほどの苦しみを思い出しながら、諭すように言うと、ミルザははっと顔を上げた。
「そ、そうですわよね。ああ、そうよ。私、簡単に諦めようとしたりして。お兄様を見習わなくては──」
あ、あれ、もしかして逆効果?
そう思って焦った時には、ミルザは既に部屋を飛び出していた。