【第3部番外】仲直りのきっかけ1
それは秋風が夏の重く怠い空気を追い払うようになった、ある初秋の日のことだった。
もう明け方は随分冷えるようになった。窓を開けるとやはり冷たい空気が部屋を洗う。そんな中私は皇太子殿下、妃殿下部屋の新しい部屋の掃除の最終確認を行っていた。
二部屋続きになっているその広々とした部屋は、もとは亡きリゲル様が使われていらした部屋だと聞く。一部屋目には殿下の部屋にあった応接用の肘掛け椅子、長椅子、円卓が全てここに移動されていて、奥のもう一つの部屋には大きな寝台。これも殿下の部屋からお引っ越しされたものだった。部屋の入り口から入らないものだから、わざわざ解体して、この部屋の中で組み立てられたのをこの間少々呆れながら見守った。つまり殿下はもうここでしか寝ないと宣言されていらっしゃるのだ。
その殿下の空になったお部屋は仕事用の書斎にすっかり改装されている。こちらにも仕事用の机が二つ。一つは殿下、もう一つは妃殿下の分。昼も夜も離れたくないというのがだだ漏れだ。いろいろあからさますぎて、苦笑いするけれど――でもそういうところを隠そうとされないところが可愛らしいと思う。
私は、昨日の夜作った胡桃と干しぶどうの焼き菓子をテーブルの上に並べると、ため息をつく。
今日は、スピカ様――ああ、なんて言いにくいのかしら――が隣国アウストラリスから戻られる、晴れがましい日。
宮中が浮ついた雰囲気に囲まれる中、私はその中でもひと際落ち着かない気分で居た。次々に出迎えに向かう侍女仲間に誘われるけれど、どうしても足を向けられない。
なぜなら、彼女は皇子殿下を裏切って、私を騙した。そしてその原因は私の父にある。そんな状況で……どんな顔をしていればいいか分からなかったのだ。まったく私らしくないとは思うけれど、相手が彼女だとそうなっても仕方がないと思う。
『皇太子第一妃スピカを皇太子の正室に迎えることは、アウストラリス王国とジョイア皇国の新たなる架け橋となる』
陛下が皆の前で宣言されたそのお言葉。
お聞きして、どれだけ驚いたことか。
スピカ様は、あのルティリクス王太子殿下――昔これを聞いたときにも目玉が飛び出るかと思っちゃったんだけど――の妹君だということが発覚して。これは皇子殿下が彼女を取り戻すために必死で突き止められた真実だったのだけれど、そのことが今回のもろもろの諍いを解決する決め手になったのだと聞いた。
彼女の父親はレグルス様。つまり母親が同じだけでアウストラリス王家の血を引かない。血筋を重んじる人間は確かに少なからず居る。けれど、現時点でジョイアに嫁げるだけの身分と財産を同時に持つ姫はかの国には居らず、そして彼女の母方の実家であるシトゥラ家は、かの国を陰で支えてきた家で、だから王家との繋がりも深かったそうだ。その伝統ある家の出身である彼女が、次期アウストラリスの王位継承者であるルティリクス殿下の妹で、王家の後見を手に入れるとなれば、それは良い縁談なのだと、学があまりない私は簡単に納得してしまう。
なにより、これで戦が避けられるのならば、それ以上のことは無い。国民の大半がそう思っているに違いないのだ。
だから堂々としていればいいと思うのに、きっとあの子のことだから、今まで通りに私や姉に礼を尽くそうとするに決まっていた。
まあね、やっぱりあの仕打ちは私個人に対しては失礼だったし(なにより殿下に対してひど過ぎるわよね?)、普通だったら謝るのは当然と言えば当然だと思うんだけど、それはうちの父のことを考えると彼女だけを責める訳に行かないし、おあいこだと思うのだ。
あ、ちなみに塩の流通を一手に任されていたオルバースのうちの実家は、今回の件で専売権を取り上げられて、今後今までみたいに腹を肥やすことは出来なくなった。それは当然の報い。牢にぶち込まれなかっただけ感謝しないといけないと思う。父がその頭をもっと自分のためだけでなく、国のために有効に使うようになってくればいいと願うだけだった。
そして私と姉は、殿下の口添えで、相変わらず何もなかったかのように宮仕えを許された。こういう風に親の罪を被ることがないのは――宮で仕えるものが身分を明かすことが無いのは、そんな理由もあるそうで――この国の優しいところだとしみじみ思う。そして子の罪を親が被るところは厳しいところ。子の監督は親の責務っていうことね。まあ、この周辺の国じゃ珍しいけれど、割合上手いこと行っている制度だと私は思っている。
姉とともにスピカ様の傍付きを頼まれたのはつい先日のこと。可愛い甥っ子のイザルまでルキア様の遊び相手にと有り難い申し出をいただいた。スピカ様たってのご希望と聞いて、もちろん二つ返事で承知した。
それなのにいざとなると憂鬱なのは……彼女の性格のせいかも。うん、彼女ちょっと空気が読めないところがあるから――まあ皇子殿下には負けるけれどね――皆の前で膝をついて謝っちゃいそうで嫌だったのだ。なんていうか、あまりに簡単に目に浮かぶ。そのくらいしないと気がすまないとか平気で言っちゃいそう。そして――それだけしても気がすまないに決まってるのだ。根に持つタイプだから(殿下のこと限定だけれど)。ほんと、びっくりするくらい面倒くさい性格してるのよね。
あ、こんなこと言ってるけど、私、彼女のことほんとに大好きなのよ? だってやっぱり健気で素直で可愛いんだもの。皇子殿下とよく似ていらっしゃる。本当にお似合いの夫婦だと心から思う。
「あーあ。どうしようかしら」
そもそもこういったことを避けて生きて来たのだ。軽く表面だけ楽しければいい、そんな風に。深入りするのは大変だし、疲れるし。
だけど、彼女たちには深入りさせる何かがあった。二人ともいつも真剣だったからだと思う。なぜか見ていて楽しかったし、力にもなりたいと思った。なによりまったく退屈しなかった。この関係は大事にしなさいと心の中の何かが言い続けた。下手を打って壊したくはなかった。自分に似合わずとも慎重になるのにはそんな理由があった。
だからこそこの確執は厄介だった。
「どうやったらうまく消えるかしら。とにかくきっかけが欲しいんだけど……」
ため息をつくと、花を散らしたような模様の入った硝子窓――スピカ様のご実家からの贈り物だそう――に見とれるのをやめて、磨き上げに専念することにした。
小さな黄色の花たちが朝日に絶妙な色合いで輝く。それを見るとどうしてもオリオーヌの皇子殿下の別宅を思い浮かべてしまう。殿下がスピカ様のために用意した色硝子。同じものをと送って頂いたら、贈り物として届いたみたいだった。
「――あ」
そういえばあれはどうしたのかしら? 殿下があのとき言われていたことをふいに思い出した。結局そのままにして預かっておいたけれど。
「今からでも間に合うかしら?」
思い出したら、急にそれが重要なものに感じてしまった。単なる勘かもしれないけれど、さっき思った〈きっかけ〉、それになりうるかもしれないと思った。私は窓を一気に拭き上げると慌てて外宮の自室へと走りだした。
珍しく別視点を加えています。名前をあえて入れませんでしたが、分かるでしょうか(汗)
全四話の予定です。