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皇子たちの饗宴 番外編  作者: 碧檎
「闇の眼 光の手」番外編
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【第1部番外】真昼の星のその下で

本編第1部読了後にお読みいただくことを推奨します。

 その日の空は久々に雲一つない、真っ青な空だった。

 少年は、今日も彼の母の墓の前から動かない。彼は母の葬儀以降、もう1週間もそうしている。

 うだるような熱気が、辺り一面に籠り、彼の小さな体は、水分を失って萎びてゆく。

 彼の黒い瞳からは留まることを知らないかのように、涙が川を造っていた。

「皇子、お願いです。せめて日陰にいらして下さい」

 背の高い大きな男が、少年の腕を掴む。

「いやだ。母さまの側を離れるのは。僕が側にいないときっと母さまは悲しむ」

 男の影から一人の少女が心配そうに顔をのぞかせる。

 金色の髪が、日の光の中で蜂蜜のように輝いている。

「ねえ、どうしたの」

 少年は答えない。

 しかし少女の顔を見ると、少しだけ涙の勢いが弱まった。

 男は、ため息をつくと、少女に何か耳打ちして、荷物を持たせその場を去った。

 この少年は、なぜかこの幼馴染みの少女の前では少しだけ強くなる。

 幼くとも、いっぱしの男のような顔を見せるのだ。

 彼女の前でなら立ち直ろうとするかもしれない、そう思った。


 少女は大きな薄い布を荷物から取り出すと、少年と自分の上に軽く引っ掛けた。

 少年も少女も真っ白な肌をしているため、ひどく日に焼けやすい。

 すでに少年の腕は赤くなり始めていた。

 おまけに少年の髪は炭のように真っ黒で、触ると火傷しそうなくらい熱くなっていたのだ。

「暑いね」

 少年が少女を見ると、彼女の額にはすでにびっしりと汗の玉が浮かんでいて、顔もかなり赤くなっている。

 それでも少女は少年の側を離れず、一緒に墓の前に座り込んでいた。

 少年は少しだけため息をつくと、少女の手を取って、木陰へと移動する。

 自分だけなら、いい。

 でも少女が辛そうなのを見るのは嫌だった。

 木に寄りかかって、じっと墓を見つめる。

 涙は少女が隣に来た時に一度乾いていた。

 しかし、墓を見つめていると、母との思い出が浮かび上がって来て、それがもう二度と増えることが無いということが心に迫って、涙がどうしても止められなくなる。

「母さま……」

「泣かないで。あたしが、あたしがずっと側に居てあげるから」

 少年は少女を見つめた。

 緑色のその瞳が、力強い光をたたえて少年を見つめていた。

 少年はその光にすがるように、彼女の瞳を見つめ返す。

「本当に?母さまみたいにぼくを置いていったりしない?ずっとぼくと一緒にいてくれるの?」

「置いていったりしないわ。あたし、あなたが好きだもん。だからずっと一緒よ」

 少女ははっきりとそう言った。

「本当だね?ぜったいだよ?」

「ぜったいよ。約束するわ」

 「約束」と聞いて、少年の頭の中に一つのことが思い出された。母がやさしく少年に語ったその言葉。


 ──あなたにもこの先、すごく大事な人が出来るでしょう

 ──その人を手放したくない、そう思ったなら、あなたの大事な名前を教えてあげなさい

 ──それは大事な大事な「約束」になる

 ──そうすればきっと、その人はあなたとずっと一緒ににいてくれるから


 少年はその意味を正しく理解はしていなかった。

 しかし、母を失ってしまった彼は、大事なこの少女まで手放すのは嫌だった。いつまでも一緒にいて欲しかった。

「わかった。じゃあ、約束のしるしに、ぼくの名前を教えてあげる──」

 気がつくと少年は少女に自分の大事な「名前」を教えていた。



 少し離れた木陰に、先ほどの男と、少年によく似た美女が立ってその様子を眺めていた。

 女は墓の主の妹、そして少年の叔母だった。

「あらあら、かわいらしいこと」

「……」

 ひどく嬉しそうな女とは対照的に、男はひどく不機嫌そうだった。

 それもそのはずで、少女は彼の娘なのだ。

 名前を教える、その意味を男はよく知っていた。

 彼は娘を一人であの場において来たことを、後悔したが、時既に遅し。

 娘は将来少年の伴侶になる約束をしてしまっていた。

「これも運命なんじゃないかしら? ……あなたと姉さんが結ばれなかった代わりに、その子供たちが──」

「……面白がらないでもらえますか。私は今すごく不機嫌なんです。大体、私と彼女はそんな関係ではありませんでした。何度言えばいいんですか」

「まぁた、強がっちゃって」

 女は、知っていた。

 男が、彼女の姉を慕っていたこと。

 その二人を引き裂いた自分に気を使って、ずっとそんな風に言ってみせること。

 そう自分を偽っていること。


 もうそれは過去のことなのだろう。

 しかし女はそのことを一生忘れないつもりでいた。

 だから、彼女は恋をしない。

 ──いつか、彼がそれを素直に認めてくれれば。

 そのときやっと、彼女は呪縛から解き放たれるのかもしれなかった。


 男は、ひどくイライラしながらも、少年の顔が輝き出すのを見て、あきらめたように大きく息をつく。

「まあ、子供の言うことです。大した意味は無いんでしょう」

 そう自分に言い聞かせるようにして、男は少年たちに背を向け屋敷の方へと戻っていく。

 ──これで二度目だ。

 一度目は、彼の幼馴染み。想いさえ一度も伝えられなかった、あこがれの女性。

 二度目は自分の大切な一人娘。

 「彼ら」はそうやって自分から大事なものを奪っていく。

 いくらその愛しい思い出のひとの息子と言えども、そう簡単に許すわけにはいかなかった。

 しかし。

 もともと少年と少女を引き合わせたのは自分なのだった。

 幼馴染みとしての親しみが、恋に変わる可能性が高いことを身に染みて知っているくせに。


 でも、その関係もこの夏までだ。

 もう少年がこの土地を訪れることは無いだろう。

 彼の母が亡くなった今、この土地への里帰りの機会は与えられない。


 時が彼らの幼い約束を風化させてしまうに決まっていた。


 *

 

 夏が終わり、少年が城へと帰る日がやって来た。

 少年は、少女が一緒でないことにひどく動揺し、馬車の扉が閉まる頃には、泣き出していた。


「いやだよ!一緒じゃないとうちには帰らないよ!ぼくたちは約束したんだ!ずっと一緒だって!」

「……泣かないで。あたし、いつかお城に行くわ。今は一緒に行けないけど、きっと行くから。あたしが守ってあげる。あなたが泣かなくてもいいように」


 少女は涙をこらえ、必死で少年に向かって言いきかせる。

 彼女は必死だった。

 少女は父にもう少年に会えなくなるということを聞いていた。

 だから、最後に見る少年の顔は、笑顔がいい、そう思っていた。


 少女に懇願され、少年は必死で涙を止める。

 少女が泣かずに堪えている、それなのに自分が泣いているのは恥ずかしかった。

 馬車が出発する直前、ようやく、少しだけ笑うことが出来た。

 少女は、それを見て安心したように、微笑んだ。


 馬車が発つ。


 少年の姿が見えなくなったとたん、少女は涙を堪えるのを止めた。

 堪えていた分の涙がすべて流れきるまで、少女は泣き続けた。


 *


 そして10年後。

 少年と少女は真昼の星の下で交わした幼い約束に導かれるように再会を果たす。



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