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朧時 ~終わりない夢~  作者: 佐治道綱
最終章 時の終わり
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45:「ザウバー・ヴァンデル」




 間合いを急速に詰めていく。


 フラーゲンの手。その異質な力を感じ取る。力は刃のように右腕に集中する。


 ヤツの眼から見た刃。刃は鋭く、右腕を包み込み、腕の先へと伸びている。


 フラーゲンの心の声。『リンクスの意志のみを斬り捨て、私の研究にとって扱い易い存在に変える。そう。タヤスイコトダ』


 間合いに入った。


 フラーゲンの余裕の表情。振り翳されるヤツの刃。


 眼に見えない刃を躱し、フラーゲンの眼前に肉迫する。


 ワタシの一人。「そんな甘い太刀筋では儂には触れる事すら出来んよ」




 一瞬。


 動く。水の流れるように。風が流れるがままに。


 絡み付く。全身の力が集中する。骨の折れる音が響いた。




 私の声。「私を利用する事など出来はしないと言ったはずだ」


 フラーゲンは私の声に応えない。応える事が出来ない。


 ワタシの一人。「我々の事をさんざん観察しておきながら、自らの勝利を疑わなかった事が愚かしい」


 フラーゲンの動きは止まっている。ヤツの腕は奇妙な形に捻じ曲がり、その手の先は自らの頭部へと翳されていた。


 ヤツの心を観る。心の記憶はあっても、心は無し。命はあっても、意志は無し。


 フラーゲンの身体を支えていた力が統制を失う。その身体は力無く崩れ落ちた。


 俺の声。「殺すのは止めだ。本当に容易い事だったな。フラーゲン」


 白い部屋の中。白い床に倒れたゾガール所長とフラーゲン医療主任の身体。


 ザウバー・ヴァンデルは何処だ?




 白の扉を開き、白の通路を進む。


 感じる。ザウバーはこの先にいる。


 白い。白い通路。白い光に満たされた空間。


 白き道はその輝きを徐々に潜めていく。白き道は透明度を増し、その色を夜の景色に染めた。透き通る黒に星の輝きが瞬く。黒き床は下界で輝く数多の灯火を透かし見せている。道は夜空の中心にあるかのように。


 私は夜の闇の中心を歩く。


 深く深く。醒めた心。自分の心を眺める。数多くの心で。




 夜空に聳え立つ黒き塔。


 夜空を渡る道は黒き塔へと繋がっている。


 道の先にいるのは白衣を着た長髪の男。


 ザウバー・ヴァンデルは旧式のエレベーターの前で私を待っていた。


 「よく来たな、リンクス。さあ、立宮堂一のいる所まで案内しよう」


 エレベーターの扉が開き、ザウバーが中へと入る。近年のエレベーターとは違い、旧式のエレベーターの中は異様に狭い。五、六人も乗れば満員となるだろう。私はその狭い箱の中へと足を進めた。


 ザウバー・ヴァンデルと肩を並べてエレベーターの中に立つ。微妙な緊張が漂う。


 ザウバーが扉を閉めるスイッチを押す。扉が閉まり、動き出すエレベーター。


 彼は正面の扉を見たまま言う。「私は『特別』ではない」


 エレベーターの外壁は透明。外の様子が見える。無数に聳え立つ超高層ビル群。


 私は言う。「お前が特別だろうがなかろうが私には関係無い」


 ザウバーは微笑む。「そう。そんな事は重要ではない」


 エレベーターは登っていく。上へ上へ。


 夜空が美しい。遥か下界の灯火もまた美しい。あの灯火の中で人々は生きている。


 ザウバーの声。「無数の人々がそれぞれの欲望を抱えて生きている。フラーゲンは彼の思う様々な可能性を叶える為に命を掛け、その為に他人の命も奪う事も厭わなかった。ゾガールは上からの命令に忠実に従い、それを喜びとする為に存在した。自分が何者であり、何の為に生きているのかなど考えようともしない。人にはそれぞれ意味があり、限りなく無意味でもある」


 何が言いたいのか。私は心を見るが、ザウバーの心を理解する事は出来なかった。


 「それぞれが求めるもの。平穏な生活、自堕落な生活、優雅な暮らし、刺激溢れる人生。金、権力、ささやかな幸せ。優越感、快楽を求める。探求心、自分たちが何者であるか、この世界がどのように成り立っているのか。何かに縋り、安らぎを求める。それぞれの為に生きる。それを守る為に他者を追い抜き、他者を追い落とし、他者に縋り付く。時には争い、他者の命を奪い、自分の命さえ捧げる事もある」


 エレベーターは登る。どこまでも。


 空は夜の暗さを太陽に明け渡し始める。神々しい太陽の輝き。


 「哀れだとは思わないか。たくさんの人々がそんなつまらない事の為に命を失う。そんな事の為に懸命に生きている。だが、私はそれに恍惚を感じてしまう。『なんと哀れなことか』とね。微笑んでしまうのだよ」


 俺は笑う。「そういうお前はどうなんだ?」


 ザウバーも笑う。「そうだな。私もまた愚かであり、哀れだ」


 外壁から見える外の様子。下界は遥か遠く、その姿はぼんやりとしか見えない。


 そこには青と白だけ。果てしない空が広がっている。


 ザウバーが私を見る。「私は君の存在を聞かされ、ウロボロスを開発した。ウロボロスは君の外部記憶装置であり、脳波増幅装置。君の『特別』を更に際立たせる為の物だ。君という存在が組み込まれる事によって、ウロボロスは完璧となる。全ての過去を捉え、あらゆる情報の変化に対応し、無数の多世界さえも予測する事が出来る。立宮堂一が唯一知りたかった過去を手に入れる為に作り上げた」


 「唯一知りたかった過去。それが立宮の祖父の事か」


 「そうだ。どんなに『特別』な存在であっても、そんなちっぽけな事が気になるのだな。立宮堂一もまた哀れ。私は多世界の存在を証明する為にウロボロスを作り上げたのだ。この世界など意味の無いモノ、多世界は無数に存在し、自分という存在も無数。全ての存在は哀れなモノでしかない事を証明したかったからな。彼も私を利用したが、私もまた彼を利用したのだ。君を利用する事には失敗したがね。ウロボロスの呪縛から君が解き放たれるとは思いもしなかった」


 美しい青空、白い雲。日差しが暖かい。


 ザウバーは静かに言う。「私を殺すのであれば、構わない」


 「死ぬのが怖くないのか」


 「怖いさ。ただ、必死に抵抗する私は私らしくないという事だ。私が私で無くなるのであれば、死を選んだ方が遥かにましだろう」


 ザウバーは懐から拳銃を取り出し、私に差し出した。


 俺は拳銃を受け取る。「俺ならそんな選択は絶対にしないね」


 ザウバーは果てしない空を見つめる。「それは人それぞれだよ」


 私は頷き、引き金を引いた。




 エレベーターが止まり、扉が開く。


 そこはとても明るく、全てが空に包まれていた。


 立宮堂一の声。「ようやく来たね」




 既視感。あやふやな記憶。


 いや、そうではない。


 これは…


 昔見た夢。





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