43:「時の終わり」
「礼を言う」
立宮堂一は静かにそう言った。静かな言葉。漆黒の闇のように。
少年であるはずの立宮堂一の姿に黒い背広を着た成人の立宮堂一の姿が重なる。光は沈み、闇は広がる。暗い。暗い恐怖。恐怖が深く染み込んでいく。闇が全てを包み込む。
言葉が聞こえる。声が聞こえる。どこかで聞いた声。
『あとは眠れ。目覚めるその時まで』
闇の中で光を見る。
風は吹く。竹林の中。笹の葉は鳴る。
闇の輪郭の中。ぼんやりとした光が視界を広げていく。
少年は消え、目の前にいるのは黒髪の女性。長久保美季。ヘテロクロミア。金と銀。優しい瞳が私を見つめている。彼女が浮かべる優しい笑顔。日の光に煌く艶やかな黒髪。
彼女は言う。「また会えた」
風は吹く。心地良い風。心は穏やかに。全ては暖かく。
美季の声。「ずっと一緒に居ましょう。永遠の時の中で」
安らぎが手招きしている。安らぎの時。心が望む事。永遠のシアワセ。
ウロボロスの庇護の下。今なら失ったものを取り戻す事が出来る。
美季が私に手を差し伸べている。私が知らない美季の手。
「悲しみは注がないで。二人の幸せだけを望むの」
彼女の手が私の腕に優しく触れる。彼女の肌の暖かさ。彼女の肌の柔らかさ。幸せが注がれる。穏やかな安らぎが全てを包み込んでいく。
ナニかが違う。
心は違和感を覚えた。
目の前の美季の姿に重なる姿。陽炎のように朧げな姿。
もう一人の美季。黒く澄んだ美しい瞳。私のよく知っている美季の姿。
記憶は巡る。記憶という記憶。全ての記憶。走馬灯のように浮かぶ様々な思い出。
彼女の記憶が見える。彼女の心、彼女がよく知る私の姿が見える。
記憶は流れる。心は記憶を詠む。思い出と心。
アナタの思い出を受け取った。
ヘテロクロミアの美季。「リンクス?」
確かな違和感。私は私。美季は美季。ヘテロクロミアの美季はナニかが違う。
ずっと変わらないものがあるのだ。私はそれを知っている。
もう一人の美季。『そう。アナタはアナタよ』
美季の声が心に響いてくる。私がよく知っている美季の声。
『アナタは全ての記憶を観る事が出来る。でも、それは重要な事じゃないのよ』
そう。私も思う。アナタは全ての未来を観る事が出来た。だが、それは重要な事ではなかったんだ。
『アナタはずっと変わらないものがナニかという事を知っている』
そう。変わらないものはずっと変わらない。
『でも、知っているという事とそれを信じるという事は違う。アナタは信じるという事が出来る。それがアナタをアナタとして成り立たせている大事なものなのよ』
そうなのだろうか。私は信じているのだろうか。自分の事を信じているのだろうか。アナタの事を信じているのだろうか。
『そうよ。アナタはわたしがわたしである理由を知っていた。それを信じてくれた』
そう。信じている。私は自分が自分である事を信じている。同じようにアナタがアナタである事を信じている。
彼女の頷き。『だから、あの時、アナタはわたしの望みを叶えてくれた』
そう。知っている。だから、アナタを撃ったのだ。アナタの放った言葉を信じていたから。そして、私は涙を流す。それは取り返しのつかない過ちであったから。
『わたしはアナタが信じていてくれた事を知った。わたしの言葉を。わたしがわたしのままでいる事を信じてくれた。だから、それが過ちだったとしても、わたしは本望だったのよ』
ヘテロクロミアの声。「リンクス、どうしたの?」
確かな違和感。信じられるものと信じられぬもの。
美季の声。『知っている事と信じるという事は違う。心を観る事が出来ても、それが本当の心かどうかは分からない。色々なものを感じる事が出来るとしても、それが真実かどうかは分からない』
そうだ。どれが真実かどうかなんて誰にも分からないのだ。
だが、この世界はナニかがおかしい。私は自分が信じるものを信じる。
時の歪んだ世界。過去に遡れる世界。事実が歪む世界。目の前にいるヘテロクロミアの美季。タイムマシン、ウロボロス。そんな様々な有り得ないモノたち。
確かな思い。本来の時へ戻らなければならない。目標点は?
『目標点なんてないのよ』
そう。そんなものなんてないのだ。
『アナタが目覚めれば、この時は終わるの。目を開ければ、その世界は終わる』
そう。この目を閉じれば、この世界は終わる。
目を閉じる。全ては閉ざされる。
ヘテロクロミアの美季が消える。
風が消える。音が消える。世界が消える。
ウロボロスの力を借りず、私は世界を飛び越える。
時の終わり。
美季が明るく微笑む。『良かった。アナタがアナタのままで』




