35:「甲斐葉司」
クリムズンスターの頂点。広がる血の海。血に塗れた大量の紙幣。
撃ち砕かれた男。吹き飛んだ女。
血。肉片。骨片。死の証し。
長久保美季。「アナタは誰なの?アナタはわたしの知るリンクスではないわ…」
そう。私は彼女を知っているが、彼女はこの私を知らない。
甲斐葉司が立ち上がる。落ち着いた表情。
「美季さん、君の能力は紛い物だったようだね。明日の朝どころではない。アケミもタツヤも殺されてしまったよ」
甲斐葉司の右腕。砕け散ったはずの右腕は元通りの姿を取り戻していた。
ヤツの平静な声。「だけど、僕の力を使いさえすれば、そんな事実だって無かった事に出来る。未来も変えられる。過去も変えられる」
甲斐の傍に倒れていた比嘉暁美の体が起き上がる。それを見た美季がびくっと体を震わせた。起き上がった比嘉暁美。吹き飛んだ体が復元していく。
真実ではない。
甲斐葉司が作り出した偽り。
私だけではなく、美季にも影響を及ぼしている。明らかに異質な能力だ。
私の横で倒れている長田龍哉も頭部を復元しながら起き上がってくる。
長田龍哉の怨嗟の声。「野郎、お前にも今の俺と同じ痛みを味あわせてやるぞ!」
比嘉暁美が美季の頬を殴る。「この女にもね…」
甲斐葉司が再び銃口を美季に向ける。「女の命が惜しいなら銃を捨てなよ」
真実ではない。
これが全て甲斐葉司の作り出した幻か。
私の知覚能力が甲斐葉司が作り出した偽りの情報に騙されている。
ナニがイツワリでナニがイツワリでないのか。コノ世界ハ。
私は拳銃を投げ捨てた。
ヤツらが笑う。私も微笑む。
ナニかに思い当たった甲斐葉司。「待てよ。何故、アケミとタツヤを殺せたんだ…」
長田龍哉、比嘉暁美、甲斐葉司が拳銃を構える。私を狙う。
三人の声。「コイツも特別なのか?」
私の中。たくさんの私の眼。全てを見る。
たくさんの視覚。たくさんの痛み。ワタシの眼。
ヤツの見たもの=甲斐葉司の見たもの=ワタシの見たもの。
私の姿。私の横に倒れている長田の死体。甲斐の傍で死んでいる比嘉暁美。
右腕からはおびただしい出血。左手で構えた拳銃。揺らめく照準。
三人が同時に引き金を引く。
私の狙い。甲斐葉司の左腕。ナイフを飛ばす。
放たれる三発の弾丸。轟く三つの銃声。
私の意識が自分の頭部に向かってくる三発の弾丸を捉えている。
これが真実であれば私は死ぬ。
頭部への衝撃。
意識が遠のく。
美季の悲鳴。
クリムズンスターの床が視界いっぱいに近付いてきた。
甲斐葉司の呻き声。「う、腕が…!」
私は死んでいない。衝撃が遠のいていく。感覚が戻ってくる。
ゆっくりと立ち上がる。肋骨に激痛が走った。
甲斐葉司を見た。肘から先の無い右腕。左腕に突き刺さったナイフ。おびただしい流血。おびただしい汗。血走る眼。
ヤツの狂った笑い声。「無駄だよ。僕にはこんな事をしても無駄なんだ!」
甲斐葉司の両眼が虚ろとなる。とてもシアワセな表情。
ヤツのうわ言。「…アケミ。タツヤ。僕らに不可能は無いんだ。そうだよな」
とてもシアワセな表情。おびただしく流れ出していた汗は止まっている。
また自らの力を自らに使ったのか。甲斐葉司の虚実の力。
甲斐の身体は本人の意志に反して床に崩れ落ちた。
ヤツの口がヤツの幻の世界を語っている。もはや人の言葉ではない。
自分の力によって全てを錯覚しているのだ。甲斐葉司は甲斐葉司の異質な力に囚われ溺れている。今のヤツにとってはそれが世界の全て。自らの能力に食われてしまう異質な者。自らの尾を食らい続ける蛇ウロボロス。
ウロボロス・システムも自らを滅ぼす原因と成り得るのかもしれない。
甲斐葉司はこのまま出血多量で死を迎えるだろう。
長久保美季の声。「わたしの見た未来が違ってしまったのは初めてだわ…」
アノ時は美季の見た通りの結末だったのだろう。
明日の朝。一人残らず。私以外は死んでいた。




