1:「殺しの売人」
目が覚めた。
仰向けに寝ていた私の視界には、灰色がかった空が広がっている。
今日は美しい天気だ。
太陽の光が厚い雲を突き抜けて、地上に光の梯子を降ろしている。
ヤコブの梯子。天使が行き交う階段。
超高層ビル群の下方からは見ることの出来ない景色。
下界は流れの澱んだ息苦しい場所。
私がこの屋上を住処の一つとしているのも、こういった空の光景を眺める事が出来るからである。幾つもの住処の一つ。
空。灰色の空。時折見える鮮明な青。美しい空。
美しいものを見ていると心が落ち着く。
心落ち着く。
殺し。生きる事。生きる手段。
私の仕事。殺しの売人。
電話が鳴っている。
ガラスのテーブルの上の電話機。
しばらくして、電話の音は鳴り止み、相手の声が響いてきた。
相手の声に合わせて、電話機の光が踊る。
「先日の件を頼む。期限は1週間だ。君の方法で良い」
雲が流れる。空を覆う広大な雲。
私は雲の切れ目を見つめていた。
「すぐにやる。確認したら報酬を送れ」
私の声。別の声。
電話の向こう側。「分かっている。そちらも分かっているな?」
下界に注がれる太陽の光。天使の梯子。
「当然だ。あんた方に興味は無い」
不審の声。「興味は報酬だけと言う事かね?」
頭の中を行き交う哄笑。「そうだ。それと『殺し』にな」
満足げな声と軽蔑の声。「噂通りの男のようだ。安心したよ」
相手にとって望ましい姿。御し易いと思わせる事で、こちらの本当を見失わせる事が出来る。
相手には聞こえぬ嘲笑。金になど興味は無い。ナイン。ノー。ヌル。ゼロだ。金は手段であり、必要最低限の金以外はただの道具でしかない。
「今度の仕事が終わったら、次の仕事も頼む」
「仕事の内容次第だな」
「依頼主は大物だ。標的は君が探し出す事になる」
「今度の仕事が終わったら詳しく聞こう」
「分かった。期待に応えろよ」
電話が切れる。踊りを止めた光の声。
探し出さねばならない標的。正体の知れない標的か、何処かへ逃げた標的か、それとも…。何かの犯罪を犯した者、何かの犯罪を目撃した者、大きな失敗の原因を作ってしまった者。標的はどのような人物か。どのようなものか。
次の仕事の内容がどのようなものか。今までも似たような話はあったが、今回は次の仕事に不思議と興味を引かれた。
今度の仕事を手早く片付けることにしよう。
私は仕事の仕度を済ませた。
今度の仕事の標的を仕留める為、超高層ビル群の下方へと降りる事になる。
私は屋上からエレベーターのある階までゆっくりと歩いて行った。