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不良少女と呼ばれたあの頃

 備後南高には制服がないため生徒達は皆、私服で登校している。

 その日の梨恵の恰好と言えば、スタジアムジャンパーにところどころ破れたジーパン、顔にはしっかりと化粧が施されていた。


「慧ちゃん」

 翌週火曜日の午後、今岡慧がいつものよう登校すると、教室の入り口のところで高岡梨恵が仁王立ちになって待ち構えていた。

「よう、おはよう。珍しいじゃないか、始業時間から学校にいるなんて」

「……どうして教えてくれなかったの?」

「何が?」

「とぼけないでよ! 優ちゃん、慧ちゃんのお家がやってるお店の常連さんなんでしょ?! あたしがあれだけ優ちゃんに会わせてって言ったのに、どうして黙ってたの?!」


 どこから情報が流れたのか、と考えてふと思い当たった。優作たちが店に来ていたあの日、同じクラスの女子生徒達も来ていたのだ。

「別に、言いたくないから黙ってただけだ」

 慧はそれだけ言ってやり過ごそうとしたが、梨恵は引き下がらなかった。

「今度いつ来るの? 何曜日だったら会える?!」

 苛立ちを何とか抑えつけ「さぁな」とだけ答えた。


 時々、慧は思う。

 この子の母親は失踪してどこかに行ってしまったらしいが、父親はどうしているのだろう?


 他に家族はいないのだろうか。

 どういう教育をされたら、ここまで自己中心的で我儘な娘が育つのだろう。


 実は先週の土曜日、梨恵のことを優作に聞かれた時には黙っていたが、慧はいろいろと気がかりな事実を知っていた。

 当時不良と呼ばれる少女達の間で流行っていたのは、くるぶしまで隠れる長い丈のひだスカート、たいていの学校で禁止されていた、髪にパーマをあてること、それから真っ赤な口紅を特徴とした派手な化粧だった。


 同じクラスの中に多々いるヤンキーにすぐ影響された梨恵は、やはり同じようなファッションで学校にやってきた。

 そうしてヤンキーのグループに仲間入りした彼女は、夜の校舎窓ガラス壊して回った、などと某有名な流行りの歌にのっとって、悪い仲間達と共に窓ガラスを割り、校舎に落書きをしたり、挙句の果てには教師に対して暴力を振るったこともある。


 しかし、そのうち梨恵は仲間外れにされるようになった。

 後で慧がグループのメンバーの一人に聞いた話では、あまりにも自分勝手で仲間の輪を乱すから、という理由だそうだ。

  

 気が弱く、強い人間の言いなりになるようなタイプならこうはならなかっただろうが、梨恵は自己主張が強く、気に入らないことがあると常にグループのリーダーに食ってかかっていたという。

 そういう性質を直さない限り、優作に好かれることはできないだろうと慧は思う。


 とはいえ人格は簡単には改善できないものだ。


「あたし……毎日行くから」

 どこへ? などと尋ねるのは愚問だ。

 優作に会えるまで『小松屋』に入り浸るつもりなのだ。「優ちゃんに会えるまで、あきらめないからね!!」

「……勝手にしろ。ただし、優作は化粧した女なんて嫌いだからな。そういう格好も」

 その時、慧はまさか、梨恵が本当に毎日店に来るとは考えていなかった。

 しかしそれは彼の認識が甘かったとしか言わざるを得ない。


 

 最近、一番気に入っているモスグリーンのワンピースが見えない。あと、ピンクのフリルのブラウスも。花柄のフレアスカートも。

 洋服ダンスを何度も見回したが見つからない。


 今のところ特に他所行きの恰好をして出かける予定もないのだが、ある日曜日の午前中、さくらが衣替えをしようと思ってタンスを明けた時、異変に気付いた。


 思い当たるのは梨恵が勝手に持っていったぐらいだが、洋服の趣味がまったく異なる妹が何のためにそんなことをするのか見当がつかない。


 幼い頃は母親が双子のためにお揃いの服を着せてくれたものだ。しかし、物心つく頃になると二人の好みはまるで違ってきて、体型はほぼ同じだが、洋服を交換して着たことなど一度もない。


 おかしいなぁ、と首を捻った時。居間で電話の鳴る音が響いた。

「はい、高岡です」さくらが受話器を取り応対したが、少しの間が空いた。

「……」

「もしもし?」誰がかけてきたのかわからないが、電話の向こうの相手は何故か、ひどく驚いているように感じられた。

「あの……」

『失礼しました、高岡梨恵さんのご自宅で間違いありませんか?』

 口調はいたって丁寧だが、声の感じは若々しい。

「そうですが、梨恵が何か?」急に胸騒ぎがしてきた。


『梨恵さんのお母さんですか?』

「いえ、姉ですけど……そちら様は?」

『こちらは土堂にある【小松屋】という店ですが、保護者の方は……』


 その時、夜勤明けの聡介が帰ってきた。

「少々、お待ちください」保留ボタンを押して、さくらは玄関に急いだ。

「お父さん、お帰りなさい。あのね……」

「ただいま。どうしたんだ?」

「小松屋さんていうお店から、電話なの」

 どこかの店から電話がかかってくるということは、まさかとは思うが梨恵が万引きか何かで補導されたのではないだろうか。


 さっ、と聡介の顔にも緊張が走った。

「お電話変わりました、高岡梨恵の父ですが……はい……え? ……そうですか……わかりました、すぐに伺います。場所は……はい、わかりました」

 気が気でないさくらは、ずっと父親の横顔を傍で見守っていたが、

「何だったの?」

「……今から出かける。さくら、お前も一緒に来てくれ」

 それだけ言って聡介は、今脱いだばかりの靴をまた履き直した。



『小松屋』はてっきり本屋か文房具屋だと思っていたさくらは、行ってみたらそこが飲食店だったことに驚いた。ドアに準備中の札が掲げてある。

 尾道駅前商店街の入り口からほど近く、清潔で料亭を思わせる店構えだ。


「ごめんください、高岡と申しますが」

 暖簾をくぐり中に入ると、白衣姿の中年男性と若い男性が二人、そして和服姿の女性が一人、それからさくらの一番気に入っているワンピースを着た梨恵がいた。

「すみません、お呼び立てしたりして」

 そう言って迎えてくれたのは、おそらく歳の頃は自分と同じか少し上ぐらいだろう、若い方の男性だった。

「娘が大変なご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 聡介が深く頭を下げるのでさくらもそれに倣ったが、正直なところ何が起きているのかまだ理解できていない。

 梨恵はふてくされた顔で、黙ってそっぽを向いている。


「ただ、あの、電話ではあまり事情が呑み込めなくて……」

「どうぞ」おかけください、ということらしい。中年の男性が手で椅子を示した。

 勧められるまま二人は椅子に腰かけた。

「もう、ご昼食は召し上がりましたか? 良かったら、何かご用意しますけど」

 和服の女性はそう申し出てくれたが、聡介は辞退した。

「いったい、何があったのでしょうか」父の声は少し震えていた。


 緊張というよりも、梨恵に対する怒りによるものだとさくらは感じた。

「俺から話していいかな? 父さん、母さん」三人は家族らしい。若いのに随分落ち着いた雰囲気で、話し方もしっかりしている。

「俺……自分は、今岡慧といいます。梨恵さんのクラスメートです」

 さくらはすっかり驚いてしまった。まさか同級生とは思わなかったからだ。

「今年の春、ちょっとしたきっかけで自分は梨恵さんと知り合ったんですが、その時一緒に有村優作という友達がいて……」

「えっ?!」

 思わずさくらは声を出して、全員の注目を集めてしまった。

「……あ、ごめんなさい、話を続けてください……」

 優作と梨恵が知り合いだったのは知っていたが、もう一人の存在については全く知らなかった。


「お父さんの前でこんなことを言うのも多少気が引けるんですが、梨恵さんは、優作のことが随分気に入ったようです。でも、学校も違うし、家も知らない。そこで優作がよくこの店によく客として来てくれるのを知った彼女が、まぁその……彼に会いたくて、ここ何日か連日開店から閉店までこの店で、刑事の張り込みよろしく優作が現れるのを待っているわけです」

 聡介もさくらも言葉を失った。好きな男に会いたくて、学校にも行かないでひたすらこの店で待っていただなんて。

「この店はアルコールも提供します。客層の中にはどうひいき目に見ても品がいいとは言えないお客もいます。酔っぱらいもいます。とてもじゃないけど、ずっとここにいるとお嬢さんに良い影響があるとは言えません」


「つまり……梨恵がご商売の邪魔をしていると、そういうことですね」

 無言のうちの肯定。

「本当に申し訳ありません。何しろ母親が甘やかして育てたものですから」

「子供は、父親と母親が二人で育てるもんだ」と、言ったのは慧ではなく父親の方だ。

 返す言葉もない聡介は気まずそうに眼を逸らした。


「本当に、すみませんでした。すぐに連れて帰りますから、ほら行くぞ」

 さくらは梨恵の腕を掴んだが、ものすごい力で振り切られた。

「嫌よ! 優ちゃんに会えるまで帰らない!!」


「いい加減にしないか!」

 それはまるで容疑者を確保し、手錠をかける時のような勢いだった。聡介は梨恵の頭を大きな手で鷲掴みにすると、上着を被せてまさに『連行』しようとした。

「嫌! 触らないで!!」

 暴れる梨恵は、店の中の椅子やテーブルを蹴飛ばし、最後には店の入り口付近に置いてあるビールやジュースの冷蔵庫まで倒しそうになった。

 それが足に強烈な痛みを覚えさせたようで、次第に大人しくなって、とうとう店の外に連れて行かれた。


 さくらはただ、呆然と見守ることしかできなかった。

「……お姉さんも、大変だね」

 苦笑しながら慧に話しかけられ、さくらも苦笑で返した。

「優作のこと、知ってるの?」

「ええ、クラスメートだから」

「えっ? ……てことは、同い年?」

「私と梨恵は、双子なの」

 答えてさくらは倒れた椅子を起こし、曲がったテーブルの位置を直す。よくあることだが実年齢より上だと思われてしまう。


「優作は学校じゃどう? うまくクラスに馴染んでる?」

「……どうなのかな。女の子にモテるのは確かだけど」

 思えばいつも彼は一人でいる。誰かクラスメート達と親しげに話している姿を見たことがない。

 やっぱりな、という顔で慧はその話題からは離れることにした。

 「後はやっておくから、いいよ。お父さん待ってるだろ?」


 類は友を呼ぶとは言うが真実なんだなと思う。大人っぽくて優しくて、ダメなことはダメとはっきり言える。

 優作にはこんな友達がいたんだな、とさくらは思った。


 その時ふと、

「もしかして……今年の春って、梨恵が自殺しようとした……? あの時、助けてくれた人なの?」

「たまたま見つけたんだ、俺と優作でね」

「そうだったの……本当に、ありがとうございました。そして、ご迷惑をかけて……ごめんなさい」

 さくらは再び深く頭を下げた。


 慧は店の外に目をやると、

「梨恵に言っておいてくれないか。本気で優作に好かれたいなら、お姉さんの半分でも他人の気持ちを考えられるようになれって」


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