どうかよろしくお願いします。
箱の中に入っていたのは赤いサテン地のバレッタ。リボンを象ったデザインで、中心にパールが飾ってある。
「ずいぶん、可愛いのをもらったんだな」
梨恵が風呂に入っている間、さくらはずっと妹からもらったプレゼントをダイニングテーブルの上で眺めていた。
「うん……」
驚いた。
梨恵がこんなことをしてくれるなんて、本当に思いもよらなかった。
「ねぇ、お父さん。怒らないで聞いてくれる?」
さくらは真っ直ぐに聡介を見つめて言った。
「私……正直言って『あの人』がいなくなってくれて、ほっとした……」
本当はそんな言い方をしてはいけないとわかっている。
仮にも母親なのに。でも。
父は黙っている。『あの人』が誰を指すのか、きっとわかっていることだろう。
「『あの人』がいると、私は家に居場所がないような気がしていた。一度だけ聞いてしまったことがあるの。『あの人』がゆかり叔母さんとケンカしてた時」
ゆかりとは聡介の妹だ。
自分達が産まれたばかりの頃、よく手伝いにきてくれたらしい。
近頃はすっかり疎遠になってしまったが、気性のさっぱりした明るい人だったという記憶がある。
「双子なんか産むつもりじゃなかった、って『あの人』はそう言ったらしいの」
意味がわからない。
なぜそんなことを言うのか、どういうつもりだったのか。
私が生まれたのは何かの間違いだったの?
だからお母さんは私を無視するの?
梨恵のことばっかり可愛がるの?
手間が二倍に増えるってどういうこと?
大嫌い。こんな人、母親じゃない。
「私、生まれてきて悪かったのかな……って思った。でも、でもね。お父さんは私のことを可愛がってくれた。だから、生きていてもいいんだって思えた」
さくら……と、父は泣き出しそうな声で言う。
「ごめんね、変な話して。でも……ずっと誰かに聞いて欲しかったの」
今までずっと隠していた本心。
口にしてしまえば、案外大したことではないような気がしてきた。
お父さんたら、泣きそうな顔してる。
さくらは立ち上がって聡介の胸にそっと頬を寄せた。
「私ね、今になってわかるの。今回のことであの子、きっと誰よりも深く傷ついてる。それはそうよね。置いていかれたって、自殺を図ったぐらいだもの」
絶対に許せない。
でも、それは口にしないでおいた。
これ以上、優しい父親を困らせてはいけない。そう思ったからだ。
「さくら、お前に……梨恵の母親代わりをしろとは言わないよ。むしろ、そんなことはしないでくれ」
温かくて大きな手がそっと頭を撫でてくれる。心地が良い。
「うん……」
「その代わり、これからはいつまでも仲良く……」
「約束するわ、お父さん」
たぶん、今は心から笑えていると思う。
それはとても幸せな気持ちだった。
以前と同じ手は使えない。
だいたい同じ手を使うのは芸がない。
その日の朝、優作は意を決して、さくらに直接声をかけることにした。
今朝の彼女は何があったのか、晴れ晴れとした表情をしている。
友人達と他愛ないおしゃべりに興じている今がチャンスだ。
「さくら」
優作が彼女の名前を呼ぶと、なぜか彼女の他、一緒にいた女子生徒全員が振り返る。
お前らに用はない……!
「……いや、やっぱりいい……」
「ふーん、じゃあね」
「ちょ、ちょっと待て!!」
さくらのまわりいた女子生徒達は察してくれたのか、彼女から離れていく。
「……今日、昼休憩の時間……一緒に……その」
「屋上に行けばいいのね?」
「あ、ああ……」
拍子抜けしてしまった。
こんなに上手く行くとは思っていなかったから。
それからしばらく、昼休憩までの時間、優作は気持ちが落ち着かなかった。
4時限目の授業が終了すると、生徒達は一斉に動き出す。
優作も立ち上がった。
さくらも立ち上がったのを横目で確認してから、教室を出ていく。
ドキドキしてきた。
しかし、優作にはどうしても彼女に言わなければならないことがあった。
体育祭の後の、打ち上げと称したカラオケボックスからの帰り道。さくらに誤解を与えるようなことを口にしたのはちゃんと理由がある。
彼女がそのことを気にしているか否かは重要ではない。
ただ、自分の気持ちがすっきりしないからというだけだ。
いつもの場所に腰かけると、さくらが無言で隣に座る。
「……一緒にお弁当食べるの、久しぶりだね」
さくらは前を向いたままそう言った。
「誤解のないように言っておきたいことがある」
先に済ませておこう。
このままでは何も喉を通らない。
「俺は梨恵とはきっぱり別れた。あの時あんなことを言ったのは、チンピラ女からお前を守るためだ。あの女はとにかく梨恵に敵意を向けていたようだから、同じ顔をしているお前のことを傷つける危険性があった。矛先が俺に向けば、なんとか助けられるんじゃないか……そう考えたんだ」
「ふーん……」
さくらはたいして興味がなさそうに紙パックのお茶を飲んでいる。
どうしよう?
ここからどう、話をつなげていけばいいのだ?
さんざんいろいろ考えた末、優作は思い切って本当のことを伝えることに決めた。
「……他に、好きな人がいる。だから……」
「そう……和泉さんのことが一番好きなんだものね」
「……!!」
優作は心臓が冷たくなったのを感じた気がした。
「あ、あれは手違いだ。本当は父親を連れて行くつもり……って、なんだ、その顔は?」
初めてさくらがこちらを向いてくれた。が、彼女の表情は微妙だった。
「お前だって立派なファザコンだろうが。だったら、お前はどうなんだ?!」
ふっ、と場の空気が変わったような気がした。
もう少し何か言いたいのを抑えて口を閉じる。
「一番好きな人……私だったら、あなたのことを連れて行く。優作君」