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毎週月曜日はお魚の日

 新しい制服に袖を通すと、少しだけ気分が軽くなった。

 さくらは忘れ物がないかを再度チェックして部屋を出た。

「お父さん、何度も言って悪いけど……」

「ああ、わかっているよ。ちゃんと出席するから」

 聡介はネクタイを締めながら、力ない笑顔で答える。

 今日は高校の入学式。高岡家の長女さくらは尾道市立西高校、次女の梨恵は備後南高にそれぞれ入学する。

 母親の奈津子が犯罪者の逃走を手助けし、事故を起こして被疑者を死亡させるという大事件を起こしてから約一週間経過した。

 今まで入学式や卒業式と言えば、さくらの方は聡介が出席し、梨恵の方は奈津子が出席するという図式が暗黙の内にできあがっていた。

 普段は仕事で忙しくしている聡介も、この日ばかりは無理にでも時間を取って来てくれていた。

 しかしその図式は奈津子の失踪によって崩れた。

 車で事故を起こした割に軽傷で済んだ母は、警察の事情聴取が始まる前に病院を抜け出して姿を隠した。思い当たるところすべてをくまなく探したが見つからない。

 さくらとしては、多分そうなるだろうという予感があった。

 プライドの高い母が警察の取調に耐えられるはずもなく、また愛人だけを死なせて自分は生き残ったなどと、生き恥をさらすような真似はできないはずだ。

 それよりも梨恵がバカな真似をしないかと、そのことを心配した。

 梨恵は子供のころから母親にべったりで、それこそ一卵性親子などと言われるほどだった。

 案の定自殺を図ったようだが、親切な人に助けられたと聞いて安心した。

 それからしばらく妹の様子を注意していたが、どういう訳か悲しみに暮れるふうでもなく、比較的元気そうに見えた。

 さくらは聡介に、入学式は梨恵の方に付き添ってやるよう頼んだ。

 父親は渋い顔をし、なかなか承諾しなかった。

 それで、自分と梨恵と半分ずつ式に出席するということでようやく折り合いがついた。双子でなければ自分が妹に付き添っていたところだ。


 坂道の街と言われる尾道市内の学校は、たいていがちょっとした山を登らないと到着できない不便な場所にあるが、さくらがこれから通う西高校は、駅前から続く海沿いの商店街を抜けた先の平地に建っている。

 通学路の途中に生鮮食料品を扱うスーパーがあるので彼女にとって便利な立地だ。

 聡介は先に梨恵の入学式に行ったので、さくらは一人で新しい学校の門をくぐった。

 他の新入生達は男の子も女の子もたいてい母親と一緒に歩いている。正直なところ、少しだけ羨ましいと思ってしまう。

 正門をくぐると、新入生達が校庭に出されたクラス分けの掲示板を見ていた。

 自分が何組なのかを確認しようと、さくらが掲示板に近づいた時だ。

「おい、何でここにいるんだ?!」

 知らない男の子にいきなり手首をつかまれ、引っ張られた。「お前、備後南高に行くって言ってただろ?」

 見たことのない顔だ。

 名札を見ると『有村』と書いてあり、自分と同じ新入生であることを示す印がついている。

 さくらがきょとん、としているのを見て、相手も不審に思ったらしい。

「……高岡梨恵じゃないのか?……」

「え? ……あ、梨恵のお友達なの?」

 全然知らなかった。梨恵は家の中ではまるで話をしない。

 父親とはもちろんだが、母親がいなくなってからは、さくらとさえ殆ど口をきかなくなってしまった。

「え……?」

 今度は有村と名札を付けた男の子の方が、きょとんとしてしまった。

「初めまして。私、梨恵の双子の姉の高岡さくらっていうの。よろしくね」

「双子……姉……?」

 ふふっ、と笑ってさくらは「私、まだ自分のクラスを確認してないの。それじゃ」と掲示板の方に向き直った。



 梨恵に双子の姉がいるなんで、全然聞いてない。

 しかも西高の新入生だったなんて。

 おかげで要らない恥をかいた。優作は苦々しい気持ちでいっぱいだ。

 あの晩船着き場で、梨恵と初めて出会った翌日。

 彼女は本当に『小松屋』へやってきたのだった。まだ父親とは交戦中で家に帰っていなかった優作は、店の片隅でひっそりと親友の両親の好意に甘えて、昼食を御馳走になっていた最中だった。

 梨恵は前の晩の礼を言ってから、いきなり猛烈な勢いでしゃべりだした。

 中身などはほとんどない。

 要するに、自分のことをいろいろ聞いて欲しかったらしい。

 ただし優作は興味がなかったので右から左へと聞き流していた。

 慧はこういうタイプの女の子が好みらしいが、同じ年齢のはずなのに、自分のことを名前で呼ぶことや、少しも筋道立たない話し方が、正直うっとおしいとさえ思えた。

 だけど。恐らく間違いなく、この少女が自分に対して好意を抱いているらしいことだけは伝わってきた。

 ただ、その気持ちに答えることはできない。

 慧に遠慮している訳ではない。多少それもあるかもしれないが、基本的に自分は異性を愛することなどできないだろうと考えている。

 愛し方を教えてもらわなかったから。


 ところでその後、同じクラスで、しかも出席番号の関係で、高岡さくらと席が隣同士になった時は、優作はもう笑うしかないと思った。

 しかし、双子でも雰囲気がこんなに違うものかと驚いた。

 梨恵もそうだが、周りの同級生の女子たちは皆まだ幾分幼さが抜けないのに対し、さくらはどこか慧に似た落ち着きがある。

 彼女となら、友達になれるかもしれない。そう思えた。


 

 体育館での式が終わり、新入生達はそれぞれの教室へと入って行く。

 さくらが教室に入ると、後ろの方で他のお母さん達にまぎれて、聡介が窮屈そうに立っているのを見つけた。

「さくらちゃんでしょ?! 久しぶり!」

 担任教師の紹介と諸々の説明が終わり、さくらが父親と一緒に下校しようと立ちあがった時、後ろからそう声をかけてくれる女子生徒がいた。

「千鶴ちゃん?! 久しぶりだね」

 さくら達が小学校に上がる前、高岡家は市内の官舎に住んでいた。

 沢村千鶴の父親もやはり県警の警察官で、同じ官舎に住んでいた幼馴染みである。

 その後それぞれの家庭が家を買ったり、異動で別の市に部屋を借りることになって引っ越したため会うことはなかった。

「良かった、同じ学校で同じクラスになれたんだ。これからよろしくね」

 千鶴はさくらの手を握って微笑んでくれた。

「こちらこそ。良かった……全然知ってる人いなくて、ちょっと不安だったんだ」

 実際さくらの中学時代のクラスメートは、同じクラスには一人もいない。

「そうなの? ねえ、これからお昼は一緒にお弁当食べようね」

「うん、約束ね」

「あ、この子も一緒でいい? 美樹ちゃん」

 千鶴が呼びかけると、少しふっくらとした、にこにこ顔の女の子が近付いてきた。

「清河美樹子です、よろしく。ちぃちゃんと中学からずっと一緒なんだ」

 旧友と再会できた上、新しい友達もできて、さくらはこれからずっと楽しい学校生活を送ることができるだろうと、そう思っていた。


 母親の奈津子は自分でもお嬢様育ちだと言っていたが、その通り一般の主婦と比べて少し金銭感覚がずれていた。家計の管理のことで度々聡介と揉めていたのを、さくらは今でも覚えている。

 特に食料品に関しては、上手に得する買い方というのがまったくわからなかったらしい。

 そこでさくらは、どうしたら毎月上手くやり繰りして両親が争わずに済むのか、当時住んでいたアパートの隣の部屋の、一人暮らしのお姉さんに聞いたことがある。

 会社員だったその女性を、正確な名前は知らないが「由佳お姉さん」と呼んでいた記憶がある。

 由佳お姉さんはさくらを近所の安いスーパーに連れて行ってくれて、上手な買い物のノウハウを授けてくれた。

 今、由佳お姉さんがどこでどうしているのかは分からないが、彼女のおかげでさくらはすっかり買い物が上手になっていた。今でも感謝している。

 西高校への通学路の途中にあるスーパー『つるや』は、安くて新鮮で、品ぞろえ豊富な良い店だった。

 その日、さくらは『つるや』がタイムセールで卵が一人1パック88円という安さで売り出すという広告を見つけた。ちょうど6時間目の授業が終わって間もない時間だ。

 ダッシュで学校を出れば間に合う。入学式の翌日のことだ。

「ねぇ、さくらちゃん。今日なんか予定ある?」

 急いで荷物をカバンに詰め込んでいるさくらに、千鶴が声をかけてきた。

「美樹ちゃんとさ、一番街にある喫茶店に寄って帰ろうって思うんだけど一緒にどう?」

 駅前から続く商店街は「一番街」「センター街」「三番街」と続いている。

 全長約3キロはあるその商店街は、西高校に通う生徒にとって絶好の寄り道スポットである。

「あっ、ごめんね。私、今日は急いでるから、また今度!」

 自転車通学のさくらは、自転車の鍵を振り回しながら必死の形相で教室を出ていく。

 急がないと、卵は数量限定なのだ。


 スーパーに着くとやはり混雑していた。さくらはなんとか卵を買い物カゴに入れ、他の食料品も買い求めて、自転車のカゴに荷物を下ろすとほっと一息つく。

「……すごい形相で帰って行ったと思ったら、こんなところで会うなんてな」

 誰だろう? さくらが顔を上げると、目の前に有村優作が立っていた。

「有村君……」

 どうしてここに? と聞きかけてやめた。買い物以外の用事でスーパーに来ることなんてあるだろうか。

「いつもここでお買い物するの?」

「いや、ここは初めて来た。通学路の途中だから便利でいいと思って。食材の買い出しは俺の役目なんだ」

「そうなんだ。有村君って、孝行息子なんだね。ご両親は共働きなの?」

「……俺に、母親はいない」

 しまった、とさくらは息を呑み込んだ。

 知らなかったとはいえ、余計なことを言ってしまった。

「ごめんなさい……」

「別に、謝らなくてもいい。お互い様だろう?」

 何故知っているのだろう? 自分の家も母親不在だと。

「どうして知ってるの?」

「梨恵に聞いた」

 ああ、とさくらは合点がいった。そう言えば、梨恵の知り合いだったのだ。

 あの子のことだから、余計なことまでペラペラとしゃべっているに違いない。

「今日は、何が安かった?」

 優作は買い物カゴを手に取り、さくらの買い物袋を一瞥した。

「卵が88円だったよ! 急がないと売り切れちゃうかもしれない。あと、豚小間と牛乳が安かったよ」

「わかった、ありがとう。じゃ、明日学校でな」

 そう言って微笑むと、優作は店の中に入って行った。

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