Q&A
始末書を書かなければいけない『何か』をしでかしました。
「……さん、聡さん!! どこ行くんですか?! その先は留置場ですよ!!」
「……」
考え事をしながら廊下を歩いていた聡介は、後ろから追いかけてきた和泉の声で我に帰る。
「どうしたんですか、朝からずっとぼーっとして。それより、始末書の書き方を教えてくださいよ。『ごめんなさい』『申し訳ございません』『以後気をつけます』を、繰り返し書いておけばいいんですか? 『許してニャん』じゃ、ダメですか?」
「……わからん……」
「そりゃそうですよね。聡さんは優秀な刑事ですから、始末書なんて書いた記憶はありませんよね」
そうじゃない。娘の気持ちがわからないのだ。
何を考えているのか、さっぱりわからない。
昨日の体育祭の代休で今日は休みである。
でも、さくらは何時になっても起きて来なかった。
いつもなら誰よりも早く起きて、家族の為に朝食の用意とお弁当を作ってくれて、洗濯物を干し終えていて……。
それほどきつく叱ったつもりはない。
ただ、めずらしく自分の言うことを聞かなかったことに驚きも覚えていた。
それに、梨恵のあの変わりようも……。
「ねぇ、聡さん。ちょっとお出かけしませんか?」
「……出かけるって……」
「あまり人には聞かれたくない、親子の会話をしたいんです」
ぐいっ。和泉は遠慮なく聡介の襟首を掴んで引き摺って行く。
気がついたら彼の所有する軽自動車の助手席に座らされ、どこに行くのかわからないまま国道2号線へ出ていた。
海沿いの道路は空いていて快適である。だけど、秋の陽光にきらめく美しい海を見ていても、少しも気分は晴れなかった。
「……昨日、家で何かあったんでしょう?」
運転席の和泉は前を向いたまま、不意に訊ねてくる。
「あの時、僕がもう少し上手く立ち回って、無理にでもさくらちゃんと一緒に帰っていればよかった……なんて言いませんからね」
「……なんだと?」
最近、この男の物言いにややカチンとくることが多い。
「最終的に判断を下すのは彼女自身です。自分の行動の決定権があるのは、あくまで自分自身です。さくらちゃんがお友達と一緒にいたいと思って、一緒に打ち上げと称してどこかに寄り道したとして、それは彼女の自由でしょう」
聡介は言葉を失ってしまった。
実を言うと和泉に対しても少しばかり不満を感じていた。
お前がもっとしっかりあの子を説得してくれていたら……と。
昨日、和泉が優作に持たせたという発信器を追っていたら、なんと娘達が暴走族に囲まれていた現場に出くわした。
優作がすぐに110番通報したおかげで、交通機動隊が即時対応してくれ、その場は彼らに任せた。
それから発信器の信号を頼りに、娘達の居場所を突き止めた。
商店街を抜けた駅前で二人を見つけた時は複雑な気分だった。
さくらがしっかりと、一緒にいた優作の腕に掴まっていたからだ。真っ青な顔をしていたのは、恐怖の為だろう。震えていたのも。
だけど……。
帰宅してからは梨恵にも驚かされた。
今まで双子の娘達を間違えたことなど、一度もない。
すぐに見分けがついたのは彼女達の眼である。
さくらはいつも思慕の情を込めた眼差しで聡介を見つめてくる。
こちらの姿を見た瞬間の表情だってそうだ。嬉しそうに顔を輝かせるのが長女で、そうでないのが次女。
そういう図式だったはずだ。
自分の知らないところで確実に事態が動いている。
そうだ、いつまでも二人とも子供ではないのだ……。
「なぁ、彰彦。お前、さくらのこと……どう思う?」
「いい子ですよ」
それは予測していた返答でもあり、期待していた答えでもあった。
「健気だな、といつも思います。ただ……」
「ただ……?」
「いつもお父さんが望む通りの自分でいようって、必死だったような気がします」
「俺が、望む通りの……?」
自分はさくらに何を望んでいたというのだろう?
「昨日のことも……これは僕の勝手な推測ですが、さくらちゃんはお友達と一緒にいたいという気持ちの他にも、もし万が一アルコールを飲み始めるような子がいたら、止めようと考えていたんじゃないでしょうか。聡さんに似て、真面目な子ですからね」
本当にそうだろうか?
わからなくなってきた。
「……聡さん」
どこへ向かっているのか知らないが、和泉はひたすら車を走らせている。
「さくらちゃんが何をどう考えていて、何を望んでいるのか……知りたいと思いますか?」
「当たり前だ!!」
「だったら……簡単な方法が一つだけあります」
「どんな……」
「会話をすることですよ」
会話?
会話ならいつもちゃんとしているつもりだ。
家に帰ればそれなりに、今日あったこと、今後の予定などを話していた。
「話なら、毎日だって……」
「学校であったことだとか、梨恵ちゃんがどうしたとか、そんな話でしょう?」
「他に何があるっていうんだ……」
「たぶん、さくらちゃんが話すのはただ事実だけで、それについて自分がどう考えたとか、こう思った、なんていうのはほとんど口にしないんじゃありませんか?」
言われてみればその通りだ。
娘はほとんど自分の意見を言わない。
彼女にだっていろいろ、思うところがあるだろうに。
「質問は刑事の専売特許ですが、それはあくまで事件の中の話です。我々は被疑者や被害者の言い分を聞きとり、ただ起きたとされる事実を調書にまとめます。そこに自分の感情を挿し挟むことはありません。検事も判事も、刑事がその件についてどう思ったかなんて、そんなことはここから先も求めていませんから」
「何が言いたい……?」
「要するに、家庭の中では刑事ではなくて普通のお父さんであってください。さくらちゃんが何を考えて、どう思っているのか……我々に人の気持ちは読めませんのでね、深い井戸水を汲み上げるような、上手な質問をしてあげたらどうでしょうか」
その時になって聡介は初めて、車がかなりの遠回りをした挙句、自宅に向かって走っていることに気付いた。
「言っておきますけど、尋問でも取調べでもありませんよ。この頃、何か気になっていることがないか、ってそれだけでいいんじゃないですか。仮にすぐ答えてくれなかったとしても、焦らないで……」
聡介はしばらく黙っていた。
何も言えないでいたからだ。
「俺は……父親失格か?」
夫としては、何の言い訳もできないぐらいダメだったという自覚はある。
いつも仕事に逃げていた。
現実から目を逸らしたくて、妻と向き合う努力をしなかった。
「そんな訳ないでしょう」
力強い、真剣な返答に聡介は顔を上げる。
「何しろ、この僕を手懐けた聡さんなんですからね」
驚いて和泉の横顔を見つめた。
「……原田課長が言ってましたよ、聡さんは胸に何か抱えている人間を決して放っておけないタイプだって。でも、一番放っておくべきじゃないのは家族で、可愛い娘さんじゃありませんか? 今日、学校休みでしょう? どうせ腐るほど有給休暇が余っているんですから、たまにはゆっくり休んだらどうですか」
車が自宅の前に到着する。和泉はレバーをパーキングに入れて、エンジンを止めた。
しかし、聡介はすぐに動けないでいた。
「一緒に過ごす時間が大切なんだと思いますよ」
和泉はこちらを向いて微笑む。
「聡さんが自分の気持ちを正直に伝えたら、彼女だって本音を明かしてくれるでしょう。どんな答えが返ってきても、受け止めてあげてください。ただ、理解してもらえたということだけでも……きっと救いになりますから」
僕がそうだったようにね、と息子は付け加えてから再びエンジンを回した。