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バックヤード

 停学処分が解けて梨恵は久しぶりに登校した。

 まだ全快とまではいかないまでも、家に閉じこもっているよりはずっとマシだ。

 いろいろな意味で清々した気分である。優作とのことも解消したし。

 ちなみにアルバイト先のドーナツショップから、昨夜解雇の連絡がきた。休みの連絡をせず無断欠勤が3日以上続いたからだ。

 これからは『小松屋』で働かせてもらおう。梨恵は気軽にそう考えていた。

 教室に入ると、慧があの北川明奈と話をしていた。

 未だに傷テープも包帯も取れないでいる梨恵に比べて、明奈の方はすっかり綺麗な様子である。

「高岡さん!」

 明奈は梨恵の姿を見るなり走り寄ってきて、いきなり抱きついてきた。

「ごめんなさい、私……あの時はつい、カッとなっちゃって」

 今までとキャラが違う。多重人格者なのだろうか?

「具合どう? 何か私にできることがあったら言って」

 気味が悪い。

 何か裏がありそうで、素直にありがとうとは言えない。

「とりあえず、かまわないで。それだけ」

 すると明奈はそう、と離れて行った。そして再び慧の元に戻って行く。

 しかし慧は右手を軽く上げ、彼女に一言二言何か告げると、梨恵のそばにやってきた。

「よぉ。どうだ、怪我は治ったか?」

「まぁまぁ、ね。それにしても、何なの? あの女」

「そういう言い方するんじゃねぇよ。ところで……」

「私、優ちゃんと別れてあげた」

「……らしいな。本人から聞いた」

「慧ちゃんと優ちゃんって、何でも筒抜けなのね」

 慧は苦笑する。

「この先、絶対にさくらとだけは付き合わないっていう条件付きでね」

 やはり間違っていなかった。

 さくらも優作のことが好きなのだ、と、あの時はっきりわかった。

 すると慧は不思議そうな顔でこちらを見てくる。

「お姉さんて、確か彼氏がいるんだろ?」

「何それ? 誰のこと言ってるの?」

「いやだって、優作が……そう言ってた、ような気がする」

「慧ちゃんも知らないわよね、さくらって優ちゃんのこと好きなのよ」

 慧はしばらく口を開けたまま、何も言えないでいる様子だ。

「ちなみに優ちゃんもね。あの人たぶん、さくらのことが好きよ」

 梨恵は拳をきつく握り、震わせた。

「あの二人、あたしをダシにしてきっと腹の中では笑ってたのよ。許せない、絶対に許せない……!」

「それは違うだろ。もしお前の言う通りだったとしたら、二人ともお前の気持ちを考えて、本当のことが言えなかっただけじゃないのか」

 実を言うと梨恵自身、薄々そんな気はしていた。

 だけど認めたくなかった。

 同情される、ということは彼女にとってイコール見下されている、という意味にしか受け取れない。

「梨恵……?」

「慧ちゃんもなの?」

「え?」

「慧ちゃんも、さくらの味方するの? お父さんも優ちゃんも、みんな大事なのはさくらのことばっかり。梨恵の味方をしてくれるお母さんは、もういないんだよ」

 ぽろっ、と涙を一つこぼして梨恵は教室を出て行く。

「梨恵、おい、待てってば」

 慧が追いかけて来てくれるのが足音でわかる。

 梨恵は校庭の中にある桜の木の前で立ち止まり、手の甲で涙を拭った。

「……なんでみんなが、お姉さんの味方をすると思う?」

 わかるわけがない。

「お姉さんにあって、お前にないもの。それが何かよく考えてみろ」

「わかんないよ、あたしバカだもん。教えて、慧ちゃん」

 慧が深く溜め息をついたのが聞こえた。

「すぐ人に頼るんじゃない。まず自分で考えてみろ」

「考えるのって嫌い……」

 だったらもう何も言うことはない、という顔で慧は去って行こうとした。

「あ、待って慧ちゃん!!」

「なんだよ?」

「あたしを小松屋さんで使ってくれないかな? 実はね、ドーナツ屋さんクビになったんだ」

 すると彼はニヤリ、と意味ありげな笑みを浮かべた。

「……いいぜ。ただし、辛いからって簡単に辞められるなんて思うなよ?」


「あら、梨恵ちゃん! 久しぶりね」

 慧の母の秀美は両手を広げて歓迎してくれた。

「秀美さん、こいつ今日からうちでバイトしてもらうことになったから。いろいろ教えてやってくれよ」

「慧、あんたねぇ。他所の家のお嬢さんを『こいつ』呼ばわりはないでしょ?」

 と母は息子を睨むが、

「いいんだ。もう今までみたいにお客じゃないから、鍛えてやってくれよ」

 あらそうなの? じゃあ、梨恵ちゃんこっちにいらっしゃいと、連れて来られたのは店の裏口。

「制服はないんだけど、いつか梨恵ちゃんが来てくれた時のためにエプロン、用意しておいたのよ」と、渡されたのはフリルとレースだらけの少女趣味全開の白いエプロン。

 梨恵は顔をひきつらせたが、嫌とは言えなかった。

「用意できたら、こっちに来てね」

 そしてエプロンを着けた彼女の眼の前に待ち構えていたのは、大量の食器類である。

 梨恵が店に来たのは午後2時半ごろ。ランチタイムに使った大量の皿やコップが汚れたまま流し台に置かれている。

 食器洗浄機にかけた後、ぜんぶに布巾をかけて食器棚にしまうよう言われた。

 家で使う食器とは規模がまるで違う。

 そもそも梨恵は、家で食器を洗ったことなど一度もない。

 油汚れがひどい物は、一度下洗いをしてから洗浄機にかけるよう言われて梨恵はその通り人生初の洗い物をした。

 すぐに片付くだろうと思っていたが、全然終わりが見えない。

 うんざりしかけた時に、秀美が洗い場に姿を見せた。

「そこ終わったら、ホールのお掃除お願いね。まずはほうきで床を掃いて、それから雑巾がけね。あとはモップがけ。それからテーブルの拭き掃除と……」

 そんなに?! と、思わず梨恵は口をあんぐりと開けた。

 ドーナツショップでアルバイトをしていた時も、掃除や食器類の洗浄などの仕事はあったのだが、梨恵は上手い具合に他人にそれらの仕事を押しつけて、自分はひたすらレジに立って接客していた。

 いわゆる裏方仕事は自分のすることじゃない、と勝手に決めていたのだ。

 他のバイト仲間達はみな表面的には何も言わなかったが、本当は不愉快だったかもしれない。梨恵はそのことに今、気がついた。

 やっとのことで食器洗いが終わった。

 本当は一息つきたかったのだが、休む暇も与えられず秀美からほうきを渡されて、嫌とも言えず、これまた人生初の掃除に取りかかるのであった。

 慧の友人としてお客さん扱いしてもらっていた時は、にこにこと愛想よく接してくれていた秀美だが、従業員として扱う時は容赦なかった。

 何しろ夕方5時半から夜の営業が始まるのだ。のんびりしている時間はない。

 母親におよそ叱られたことのない梨恵は、ビシビシと指導する慧の母親にだんだんと反感を覚え始めた。しかし、生来の負けず嫌いな性質が逆に彼女の闘争心に火をつけた。

 洗い物と掃除、ゴミの分別、それからテーブルセット。

 自衛隊もしくは警察学校での授業かのように、秀美が次々と指示を出し梨恵が従う。

 こう言うのを世間一般では【体育会系】と呼ぶ……かもしれない。

 五時半になり小松屋は暖簾を掲げた。

「梨恵、お前は今日ホールには出るな」

「なんでよ!?」慧の言葉に梨恵が反発する。

「鏡で自分の顔見てみろ。顔に傷テープや痣のある人間に、接客なんか任せられるか」

 確かにそうだ。そしてふと、

「怪我人のあたしに、あれだけの肉体労働させたわけ?!」

「お前が働きたいって言ったんだろうが。文句あるなら給料払わねぇぞ」

「……」

 その時、最初のお客が入って来た。

 立地条件が良い上に、料理がおいしいと評判のこの店はいつもだいたい混雑する。

 梨恵は厨房の中で食器を洗い、皿を出し、飲み物を作り、と裏で大車輪の働きをした。

 そうして気が付けば、あっという間に閉店時間になった。

 最後の客を見送って暖簾を外したのが午後10時半。

 慧に言わせれば、今夜はまだ早く終われた方らしい。

「梨恵ちゃん、お疲れ様。じゃ、ご飯にしましょうか」

 仕事が終わるといつもの慧のお母さんに戻る。

 終わった、と思ったら急に、どっと疲労感を感じた。

「お疲れ、よくがんばったな」

 椅子に座り込んで放心している梨恵の頭を、慧が優しく撫でてくれた。

「修さん、慧と一緒に梨恵ちゃんのこと送って行ってあげてね」

 そうだった。自分はこれからまだ、家に帰るという仕事が残っていた。

「梨恵ちゃんが慧のお嫁さんなら、毎日ここで寝泊りしてもらえるんだけどなぁ」

「……くだらない冗談いうんじゃねぇよ!」

 慧の頬が赤く染まる。

 まかないの食事が提供されたが、空腹を満たすことよりも先に、疲労のために眠ってしまいたかった。

 実際、慧と秀美が何か話しているのを遠くに聞きながら梨恵は、いつの間にか眠り込んでいた。


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