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悪役令嬢っていうのはつまり、こういうことでしょうか。

どうにかスランプ脱出……したかもしれません。

 さくらが帰宅すると在宅していた父は嬉しいような、それでいて困った顔で優作を迎えた。

「こんにちは。お約束してないのに、伺ってすみません。今日はどうしても梨恵さんと話がしたくて」

「梨恵と……? いや、今はちょっと……」

「事情は全部、慧から聞いています」

 すると聡介はあきらめたように、

「……どうぞ。もしかしたら、不愉快な思いをさせるかもしれないよ?」

 はい、と答えて優作は梨恵の部屋へ迷わず向かう。

 さくらは聡介と一緒にその後ろ姿を見守った。

「梨恵、俺だ。開けてもいいか?」返事はない。

 しばらく待ってみたが、反応はない。

 もう一度、ドアをノックする。すると中からドアが開いた。

 顔の傷はだいぶ回復していたが、やはりところどころ青く痣になっている。

 梨恵は唇を固く結んで、射貫くような眼で優作を見つめた。

 それからベッドに腰掛けて足を組む。中に入れば? と顎をしゃくって見せる。

「ドア、閉めて」

 言われるままに優作はドアを閉め、さくらと聡介の視界から消えた。


「それで、何の用?」刺々しい口調。

 優作は梨恵の向かいに膝をついて、包帯が巻かれた彼女の両手を握った。

「ごめんな、梨恵……俺、お前とはこれ以上付き合えない。別れて欲しい」

 ふん、と梨恵は鼻を鳴らす。

「どうして今まで、梨恵と付き合ってくれたの?」

「それは……」

 答えることなどできる訳がない。

「あたしとは、付き合っても何の得にもならない?」

「違う、そういうことじゃない」

 本当のことは言えない。

 優作は黙り込み、梨恵もしばらく何も言わなかった。

 2人の間に沈黙が降りる。

 やがて、梨恵の方が口を開いた。

「あたしのこの様子を見ても、どうしたんだの一言だってないのね。その上、自分の言いたいことばっかり」

 それは、慧から事情は聞いているからだ。

 でも、後半の言葉に対しては何も返すことができない。優作は俯いた。

「……いいわ、別れてあげる」

 安心したのも束の間。

 顔を上げた優作は梨恵の表情を見て、思わず息を呑んだ。

 怖い。

 怒りで顔を真っ赤にしていると言うのであれば、こちらが冷静に対処すれば、何とかなると考えていた。でも、彼女はどこまでも無表情だ。

 何を考えているのかわからない。

 それが怖いと思った。

「ただし、条件がある。絶対に……さくらだけは駄目。優ちゃんがこの先、他の誰と付き合ってもいい。でも、さくらだけは許さない」

「……どうして……」

 どうして? と、梨恵は目をギラつかせながらこちらを睨んでくる。

「自分で考えなさいよ」

 なんとなくだが、彼女の言いたいことが理解できるような気がする。

 彼女はきっと気づいている。

 自分が本当に好きな相手が、さくらの方だということに。

 二人で共謀して、自分を笑い物にして、バカにしている。もしかしたらそんなふうに考えているのかもしれない。

「……すまない……本当に、申し訳なかった……」

「そんなことが聞きたいんじゃないの!!」

 彼女の手近にあったマンガ雑誌が飛んでくる。比較的分厚いそれは、優作の頬をかすめて床に落ちた。

「もういい、帰って!! 二度とここには来ないで!!」

 優作はもう一度謝罪し、部屋を出た。

 梨恵があれだけ大声で叫んでいたのだ、聞こえない筈はないだろう。

 案の定、さくらも彼女達の父親も、苦い顔をしてこちらを見つめてくる。

 失礼します、と優作は言って会釈し、立ち去ろうとした。

 が、思いがけず強い力に腕を掴まれる。

「待ってくれ。詳しいことを話してくれないか……?」

 父親としてはそう訊ねるのが当然だろう。しかし、優作には本当のことを話すだけの勇気を持ち合わせていない。

「梨恵が喚く声ばかり聞こえてきたんだが、あの子がまさか……君に何か悪いことでもしたのか?」

「違います」

 それはむしろ……。

 ふと、背後で扉が開く音がした。

「梨恵……?」と、呟いたのはさくらだ。

 梨恵はズンズンとこちらに詰めよってくる。彼女は無表情だった。

 しかし、気魄とでもいうのだろうか。

 全身から漂う空気はひどく攻撃的で、父親が思わずぱっと手を放してしまうほどだった。

「1つ、忘れてたことがあったわ」

「な、に……」

 初めて感じる、女の子の柔らかい唇と肢体。

 抱きつかれてキスされたのだ、と理解するまで多少時間がかかった。

 やがて。

「……ざまぁみろ」

 梨恵がそう呟いたのが、はっきりと優作には聞き取れた。

「何やってるんだ、お前は!!」

 聡介は梨恵を優作から引き離すと、羽交い絞めにして娘を部屋に押し込む。彼女が怪我人であることを忘れているような扱い方だった。

 優作は急いで手の甲で唇を拭う。

 予想の範囲外だった。

 まさか、こんなことになるなんて……。

 とにかく帰ろう。このままでは気まずくて、いてもたってもいられない。

 不意に、後ろで何か声が聞こえた気がした。

 声のした方を優作が振り返ると、さくらが震えていた。

 何か言わなければ。でも、なんて?

 あ……と、言葉にならない音が唇から洩れた。

 途端にぶわっ、とさくらの眼に涙が浮かぶ。

「さくら……?」

 さくらはポロポロと涙をこぼし、それからいきなり玄関へ向かって走り出すと、

「さくら、どこへ行くんだ?! さくら!!」

 玄関のドアを大きく開き、どこへ行くかも告げずに出掛けてしまった。

「俺、探してきます!」

 急いで優作も靴を履いて外に出た。

 そして思ったよりもすぐに、優作はさくらの姿を見つけて追いつくことができた。

「さくら!! 待ってくれ」

 しかし、さくらは止まらない。もう一度名前を呼ぶ。

 そして次の瞬間。

 足をもつれさせてしまった彼女が短い悲鳴を上げて転んだ。

「大丈夫か?!」

 優作は膝をついて腕を伸ばし、さくらを抱き起こそうとしたが、

「いや、触らないで!!」

 拒まれて手を引っ込めた。胸が痛む。

 膝を擦りむいたようで血が滲んでいる。

「……なんで……?」

 涙で滲んだ瞳でさくらは優作を見つめる。「どうして、どんな話をしたらあんなことになるの?」

 この時の優作には、なぜこんなにさくらがショックを受けて泣いているのかなどと、考える余裕もなかった。

「俺と別れてくれって……そう言ったんだ」

「どうして今日、こんな時に別れ話なんか持ち出すの?」

「ずっと、言おうと思ってたけど……梨恵が会ってくれなかったから。いつかは言わないといけないことだった。早い方がいいと思ったんだ」

「どうして? なんで梨恵と付き合ったの? 好きだったからじゃないの?」

「それは……」

「ねぇ、教えて。本気で梨恵のこと好きだった? それとも、あの子の気持ちを弄んだだけなの? だとしたら、どうしてそんなかわいそうなことするの?!」

 こんな時でもさくらは、梨恵の肩を持つような発言をしている。

 それが優作の心を苛立たせた。

「お前……本気で言ってるのか?」

「え?」

「梨恵がかわいそうだとか、本気で思ってるのかって聞いてるんだ!!」

 びくっ、とさくらは身を震わせてきつく眼を閉じた。

「お父さんの前でも妹の前でも、いい子を演じてるだけなんじゃないのか? 本当の気持ちを言ってみろよ!!」

 優作はさくらの両肩をつかんで揺さぶった。

「あ、あなたなんかに……何がわかるっていうの?」

「なに?」

 さくらが挑むような眼で見つめてくる。

「小さい頃から両親の仲が悪くて、いつも何かで揉めてて、いつも家の中の空気が悪くて……お母さんが可愛いのは梨恵ばっかりで……まともに家事もしないし、お父さんは仕事で忙しくて……わ、私がせめて笑顔でいなければ、いい子でいなければ、どうしようもなかったの!!」

 少しも知らなかった。

 知っていたのは母親がいないことと、わがままな妹に振り回されていることだけだ。

 さくらは優作の手を振り払うと、よろよろ立ち上がる。

「私の本当の気持ちなんて、誰にもわからない。私にしかわからないわ」

 ふらふらと歩き出す方向はしかし、自宅とは反対方向だった。

「どこへ行くんだ?」嫌な予感がした。

 もしかしたら……。

「あなたには関係ない」

「だめだ、行くな! ……アキ先生のところだったら、行くな」

 優作が和泉のことを『アキ先生』と呼んでいることはさくらも知っているだろう。

 自分がそうであるように彼女もまた、少し年上の、優しい兄のような存在である彼を頼ろうとしているのかもしれない。

「『いい子』なら、ちゃんと家に帰れ。お父さんが心配するだろ」

 どうして「好きだから他の男に頼らないでくれ」と、素直に言えないのだろう。

「だいたい、アキ先生だって仕事中にいきなり訪ねてこられたら迷惑だろ。いつも自分のことより他人のことばっかり考えてるお前が……梨恵がどれだけ慧や、慧の両親に迷惑をかけたと思ってるんだ」

 この台詞は効果絶大だった。

 さくらは足を止めた。そして躊躇している間に聡介が迎えに来た。

 父は娘に近づくと、そっと抱きしめた。

「家に帰ろう、さくら」

 聡介の胸に顔をうずめ、さくらはしばらく返事をしなかった。

「高岡さん」

 優作に呼びかけられ、聡介は彼の方に眼を向ける。

「お嬢さんを傷つけてしまって、申し訳ありませんでした」

 深く頭を下げる。

 どんなに責められても仕方ない。悪いのは自分なのだ。

「こちらこそ、申し訳なかった。娘が迷惑をかけたね」

 しかし、そう答えただけでいつまでも頭を上げようとしない優作に背を向けて、聡介はさくらの背中を押しながら家へ帰って行った。


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