少しのズレも許さないタイプ
和泉は車で来ていた。彼の愛車は軽自動車で、狭い市内を走るのにはちょうどいい。
「久しぶりだね、優君にまさかまた会えるとは思わなかったよ」
ハンドルを操作しながら、和泉は助手席の優作に微笑みかけた。
「俺も……でも、嬉しかった。何年ぶりかな?」
「何年ぐらいだろうね? 君はあの頃、まだ小学校に上がる前ぐらいだったかな。すっかり大人っぽくなってて驚いたけど、やっぱり面影があるね。すぐに優君だってわかったよ」
「ところでさ、アキ先生は今何やってるの?」
「尾道東警察署の刑事課にいるんだ。さくらちゃんのお父さんとは同僚なんだよ」
「えっ、警察?! ……公務員になったとは聞いてたけど。ああ、それでなんだ。なんでアキ先生が? と思ったけどそういう関係なのか」
優作は思わず、ほっとして息をついた。
「俺、先生がさくらと……付き合ってるのかと思った」
夏休み中、さくらと一緒に車で出かけた男を優作は見かけたが、その時は後ろ姿だったので顔はわからなかった。
しかし今思えば、もしかしたらあれはこの将棋の先生だったのではないだろうか?
今までさくらとその友達がしていた会話から漏れ聞いた情報は、顔がカッコよくて、背が高くて、歴史が好き……全てこの先生に当てはまるではないか。
「うーん、僕としてはそうなってくれるといいなぁ、とは多少ならず思ってるけどね。さくらちゃんの気持ちはいまいちわからないな」
なんだ、そうなのか。
思わず顔がゆるみそうになるのを優作は必死で堪えた。
「それにしてもさくらのお父さんって、刑事なんだ……おどろいたな」
「意外だろう? 聡さん、さくらちゃんのお父さんって優しそうな顔をしてるから」
優しそうというか、どこかのほほんとしたのんびり屋に優作には思えた。
でも、考えてみれば確かに目付きだけは妙に鋭かった。
それに対局してみて、頭の回転が速いことも分かったので納得できる。しかし、
「その上、アキ先生も刑事ね……」
「なんだい?」
「いや、別に」
優しそうな顔といえば和泉の方がよほどそうだ。外見だけで言えば、悪い奴らになめられるに違いないと優作は思ったが口にはしなかった。
もっとも外見に反して、腹の中は悪党も真っ青になるほど黒いのだが。
「ところでさ、優君」
和泉はなぜか急に、車を路肩に停車してハザードランプを着けた。
「慧君とケンカでもした?」
不意を突かれ、優作は動揺を隠すことができなかった。
「え? な、なんで……」
「さっき慧君は元気? って聞いた時、目をそらしたよね?」
良く見ているし、覚えている。認めない訳にはいかなかった。
慧も優作と同じ将棋教室に通っていて、和泉に習っていた生徒の一人だ。
「めずらしいね、あんなに仲良しだったのに。君達、教室に来る時はいつも手をつないで一緒に歩いてたよ?」
「いつの話だよ、それ……」
思い出して優作は少し赤面した。
「ところで話を戻そうね、優君。慧君となんでケンカしたの? 察するにまだ仲直りしてないね? それでいいとも思ってないでしょ?」
うまく話を逸らしたつもりだったが、失敗だったようだ。
「……かなわないなぁ、アキ先生には」
実は、と優作は事情を話した。
自分の好きな女の子が、他に付き合っている男がいるみたいで切なくて、腹いせというか当てつけのつもりで、自分に好意を寄せてくれている梨恵と付き合うことにした。
そんな人の気持ちを弄ぶようなことをして、と慧に怒られた。
その『好きな女の子』がさくらだとは一言も言わず、出来る限りさくらへの想いを悟られないように、注意して言葉を選びながら。
しかし恐らく、先ほどからの話の流れでバレているような気もするが。
そこまで話して優作は深く息をついた。
そして、和泉は言った。
「じゃ、行こうか」ウインカーを右に出す。
「どこへ?」
「慧君のお家に決まってるだろう」
「なんで……」
「なんでって、仲直りしたいでしょ? 黙ったままじゃ何も解決しないよ。そういえば小松屋って移転したんだね。前は栗原の、優君の家に近いところにあったよね? こないだ駅前商店街の入り口で店を見つけてね。いつの間に? ってびっくりした」
話しながら車はどんどん駅前に近づいていく。
和泉は途中で車を止めると、公衆電話から小松屋に電話をかけた。
これから少し伺います、慧君を5分ほど貸してください。
一瞬この隙に逃げようかと優作は思ったが、やめておいた。
このままでいいと思っていないのは確かだ。
戻って来た和泉は運転席に乗り込み、シートベルトを締めながら、
「優君もそうだけど、慧君、すっかり声変わりしててびっくりしたよ。あと3分ぐらいで着くから、ちょっとだけ裏口に出てて、って言っておいたよ」
「うん……」
どんな顔で話したらいいのだろう? 少し悩んだ。
少し時間を戻して。
「慧、ちょっと! 危ないじゃない!!」
母親の秀美に大きな声で言われて、慧ははっ、と我に返った。
熱湯の入った鍋を手にしたままぼんやりしていたようだ。
最近の彼にはこんなことが多い。調理場は常に火や刃物など危険なものが置いてあるため、集中していないと怪我をする危険性が高い。
優作と妙な別れ方をした、あの始業式の日以来ずっとこんな調子だ。
仕事に集中できている間はいいが、ふとした瞬間にあの日のことを思い出すと考え込んでしまう。
「いったいどうしたの?」
「……なんでもねぇよ」
その時、店の電話が鳴った。
「お電話ありがとうございます、小松屋でございます」
秀美が電話を取る。
「……はい、ええ。あら?! あのアキ先生ですか?」
母親の口から懐かしい名前が出てきた。
幼い頃優作と一緒に通っていた将棋教室で、将棋を教えてくれていた先生だ。
それにしても今になって突然電話がかかってくるとは、一体何事だろう? と慧はいぶかしんだ。
「慧、アキ先生って覚えてる?」
「覚えてるよ、将棋の先生だろ」
「代わって欲しいって」
慧が受話器を受け取ると、懐かしい声が聞こえてきた。
今から間もなくお店に行くから裏口で待ってて欲しい、と。
会わせたい人がいるんだ。
慧が優作と一緒に通っていた将棋教室は、二人が小学生を卒業する頃に経営難で閉鎖されてしまった。その少し前頃から、アキ先生も理由は知らないが、教室にほとんど姿を見せなくなっていた
それ以来一度も会っていない。
表面上は優しい先生だった。子供の扱いが上手くて、あの先生がいる時はケンカする子供はほとんどいなかった。
あれから何年経つのだろう?
「俺、ちょっと外に出てきていいかな? すぐ戻るから」
「外に出て頭を冷やしてらっしゃい」と、母。
しかし今まで年賀状のやり取りぐらいしかなかったのに、今になって急にいったいどうしたというのだろう?
会わせたい人って?
白衣姿の慧が待ってくれている。
しかしいざ、慧を目の前にすると優作は泣きたい気分になってしまう。
別にケンカしたというよりも、自分がバカな真似をしたせいで慧を怒らせてしまっただけだ。
そのことを思うと悲しい気持ちになる。
和泉は車から降りるのを躊躇う優作の頭をそっと撫でながら、
「大丈夫だよ、ほら」
シートベルトを外し、優作は車から降りた。
「よぉ、優作。久しぶりだな」
慧はどこかぎこちない笑顔で、右手を軽く挙げた。
実際はたいした日数が経過した訳ではないのだが、ひどく長い間会っていなかったように感じられた。
和泉に背中を押され、優作は一歩踏み出した。
「あの、こないだのこと……俺も、慧の言うことは正しいと思う。梨恵との事は必ずなんとかする。だから、これからも親友でいて欲しい。俺、慧のこと大好きだから」
すると慧は、駆け寄って優作を抱きしめる。
「俺も、キツいこと言い過ぎたって反省してる。許してくれるか?」
優作は何度も頷く。
「俺だって、優作以外に親友はいねぇよ」
結局、どんなにケンカしても嫌いにはなれない。幼い頃からの友情は今も、少しも変わらない。
これで心に引っかかっていた問題はだいぶ解決した。
あと一つだけ。
これが最大の難関なのだが。