すれ違い、勘違い
昭和60年代って確か、こんな感じのドラマとかマンガとか、少女向け小説が流行った気が……。
長江で起きた殺人事件は、地道な聞き込みと証拠集めにより以外なほどあっさりと終結を見た。犯人逮捕、送検に至って捜査本部は解散。
その晩さくらは試験終了と事件解決を祝って、腕によりをかけて大量のご馳走を用意した。
本当は刑事にとって最も忙しいのはここからなのだが、今夜は早めに帰ると父から連絡があった。
帰宅した聡介と、共にやって来た和泉が驚くほど、いつになくさくらのテンションは高かった。
「和泉さん、ありがとう。おかげさまで試験無事に終わったよ! 今回は和泉さんのおかげでいい成績取れそう」
思わず和泉の手を両手で握ってブンブンと上下に振る。
「さくらちゃん、何かいいことあったの?」
「……うふふ、内緒。じゃ、ご飯にしましょ」
ルンルンと鼻歌交じりにさくらは茶碗にご飯をよそった。
食事中、聡介は今回の事件で和泉がどれほどの活躍を見せたかを熱く語った。
実際、犯人に手錠を掛けたのも彼だ。
父親が家でそんな話をするのはめずらしいのだが、さくらは相槌を打ちながら、実は頭の中では別のことを考えていた。
昼間の優作とのやりとりはきっと一緒忘れない。
ふわふわと浮足立つ思いで、自分が何を食べているのかさえ半分はわかっていないような状態だ。
半分ほど料理がなくなった頃、玄関のドアが開く音がした。梨恵が帰ってきたのだ。
「お帰りなさい」
居間に入って来た梨恵と眼が合った途端、さくらの気分は一気に急降下した。
激しい怒りと憎しみ。ギラギラと嫉妬の炎を瞳に宿し、睨みつけてくる。
「……さくら、あんたどういうつもりなの?」
つかつかとさくらの方に歩み寄り、仁王立ちになって見下ろす。
どう見ても不穏な空気に、聡介も和泉も手を止めた。
「梨恵……」
昼間、優作と一緒にドーナツショップにいたことを怒っているのだ。
「どうしてあんたが、うちのお店に優ちゃんと二人で来るの? どういうつもりなのかって聞いてんの!!」
いつもなら妹に立ち向かったり、反論することなど少しも考えないさくらだが、今日は違う。椅子から立ち上がり、
「友達とドーナツ屋さんに行って何が悪いの?」
一瞬だけ梨恵は怯んだ。
しかしそれが、却って怒りに火を注いだようだ。
ぱーん、と乾いた音が響く。
梨恵がさくらの頬を叩いたのだ。
その勢いがあまりにも強かったので、さくらはよろけて床に倒れ込んだ。
すぐに和泉が動いて抱き起こしてくれたが、さらに追撃がきた。
髪の毛を引っ張られ、激しい痛みに顔を歪める。梨恵は左手でさくらの髪の毛を引っ張り、右手の拳を引き、殴りかかろうとしている。
しかし予想していたような衝撃は来なかった。
短い悲鳴と共に、今度は梨恵の方が床に倒れ込む。
父が妹を張り倒したのだ、とすぐにわかった。
しかし梨恵はテーブルに手をついてよろよろと立ちあがると、今度は食卓の上の料理を皿ごと次々と床にぶちまけ始めた。
ガシャン、と皿の割れる音。しかしこれも長くは続かなかった。
聡介は梨恵を羽交い絞めにし、そのまま玄関へと引きずっていき、外へ連れ出した。
「出て行け。もう二度と帰ってくるな」
バタン、と眼の前でドアが閉められる。
「さくらなんて、死ねばいいのよ!!」
呪いの言葉を吐いて梨恵は走り去った。
「……さくらちゃん、大丈夫?」
あまりの出来事にしばらくの間呆然としていたが、和泉に声をかけられてさくらは我に返った。それと同時に、とてつもなく恥ずかしい気分になった。
とんでもないところを見られてしまった。
「……あの、ごめんなさい……みっともないとこ見せちゃって……」
のろのろと立ち上がり、割れた皿と散らかった食べ物を回収し始める。
「彰彦、すまないな。気分を悪くしただろう?」
「いえ……」
陶器の破片を掴もうとしたさくらの手を、和泉は掴んで止めた。
「怪我しちゃうよ。食器の破片を集めるのは、僕に任せて」
聡介はさくらに雑巾を持ってくるように言い、自分も割れた皿と床にばらまかれた食べ物をそれぞれビニール袋に集め始めた。そして、
「さくら……梨恵が働いている店に行ったのか?」
今さら否定はできない。テーブルの端に置いてある、買って来たドーナツの袋が動かぬ証拠だ。
消え入りそうな声で、うんと答える。
「まさかとは思うが、有村君だったか? 梨恵の……彼を一緒に連れて行ったんだな?」
まともに返事をすることはできなかった。あまりにも考えなしの行動だったと今は後悔している。
「お前……どうして、そこまでしてやる必要があるんだ?」
「えっ?」
「梨恵に、彼を会わせてやろうと思ったんだろう?」
思いがけない父親の言葉に、さくらは戸惑った。そんなことは少しも考えていなかったのだから。
聡介は雑巾を水道で洗い流して手を拭くと、娘の肩を抱き寄せる。優しい手つきで乱れた髪を撫でてくれ、そして一つため息をつく。
「あれは……梨恵は、奈津子の生き映しみたいな人間だからな。プライドばかりが妙に高くて。お前は良かれと思ってしたことなんだろうが、あれにしてみればバカにされたと思ったんだろう」
「……」
「さぁ、もうさっきのことは忘れてドーナツを食べよう。彰彦、お前どれにする?」
なんだか思いがけない方向に話が進んでしまった。
でも、ここは真実を言わない方がいい。ただ単純に優作と二人で話がしたかっただけなどと言えば、父を戸惑わせるだけだ。この気持ちは胸の奥にしまっておこう。